セトの1日 サティス編
昼過ぎ、クラシカルなドレッサーを前にセトの散髪は始まった。
首から下を覆い隠すように布を巻いたセトの後ろで、サティスは器用にハサミを使いこなす。
「ほら、動かないでジッとしてて」
「うぅ、なんか変な感じだなぁ」
「自分で切るよりずっといいですよ。はい、次は横側です」
そう言って耳を切らないように細心の注意を払ってハサミを動かす。
この間、かなり集中しているためか顔がかなり近い。
思うように動けない状況で、ジッと見つめられるのは緊張する。
ほんの少しばかり、サティスの吐息がかかった気がした。
「……ぅ」
「ん、どうかしました?」
「いや、なんでもない。続けてくれ」
鏡にサティスの真剣な顔が映る。
その横で顔を紅潮させているセト自身も映っている。
顔を拭ったりしたかったが、下手には動けないのがこの散髪の苦しいところだ。
痒いところはないかと聞かれたりはするが、そんなことでサティスの手を煩わすのは如何なものかと渋ってしまう。
(それにしても、すっごい集中力だな)
しばらくサティスのその表情を見ていた。
戦闘時とはまた違う真剣み溢れる年上の女性の姿に、セトは思わずぼうっと見惚れてしまう。
無表情のようでありながらも暖かな眼差しをしており、髪を整えてくれる手付きは優しく丁寧で安心できた。
左右の髪を整えてもらったところで、次は前髪とその付近となるのだが……。
「じゃあやりますね。髪の毛が目に入らないように閉じたほうがいいですよ」
「わかった」
早速前髪にハサミが入る。
鼻先や頬骨辺りに、細々とした髪がおちるのがわかった。
ふと、セトが片目を開けたときだった。
(────ッ!?)
「ん、どうかしました?」
「あ、いや、別に……続けて」
「ふ~ん。じゃあ続けますね」
セトはこれ以上ないくらいに顔を紅潮させた。
サティスが前屈みになっているせいか、それが偶然にも彼女の胸部を強調させるかのようなポーズになってしまっている。
しかも、それがセトの至近距離で、微かなリズムで揺れるものだから、セトは堪らなくなった。
歯を食いしばって、心臓の鼓動が早まるのを感じている。
サティスは集中しているせいか、それに気付いていない。
普段の彼女ならそういったことでからかったりしそうなものだが、状況が状況なだけにそうはいかないようだ。
「ほらセト! モゾモゾしない!」
「え、あ……あの」
「あと、髪の毛かかるから鼻息で飛ばしたくなるのはわかりますけど、あんまりはしないでください。私にもかかっちゃいますので」
「ご、ごめん」
そうは言っても、と言いたげにセトはサティスに身を委ねる。
しかし一度目に焼き付いたあの光景を再度見ようとセトの瞳は何度もその方向へと動いた。
早く終わって欲しいようで、まだ終わって欲しくないというような生殺しに近い感覚がずっとセトの中で続く。
「────さぁ、終わりましたよ」
「……」
「あれ? セト、どうかしました? もしかして髪型が気に入らなかったとか」
「いや……」
「じゃあ、なんです?」
「なんでも、ない」
「ふぅん、変なセト」
そう言ってセトに巻いてある布を外して、また別の短い布を取り出し首回りや顔に付いた細かい毛髪を取り除いていく。
その過程で、襟首を広げて息を吹きかけたりもするので、これにはセトも身体を震わせた。
「ひゃん!?」
「ちょ、なんですか今の声……」
「だ、だって……いきなり息吹きかけるから……」
「我慢なさい。さ、もうイスから降りて大丈夫ですよ」
「は、はいぃ」
セトはトボトボとソファーへ向かい、勢いよくうつ伏せになる。
傍にあったクッションで頭を覆い、そのままジッとしていた。
「ちょっと、私も座りたいんですけど?」
「向かい側があるだろ」
「ダ~メ、セトの隣に座りたいんです」
「今は、ダメだ!」
「んも~ワガママ言っちゃって……あ、あの、やっぱり髪型がダメだとかそういうのじゃ」
「い、いや、そう言うのじゃない。わ、悪かった」
セトはクッションをどけて座りながら切ってもらった髪を手で整えた。
その様子を見ながらサティスは心配そうに向かい側のソファーに腰を下ろす。
「本当に?」
「本当だよ。うん、これくらいがいいや。ありがとう、サティスって上手なんだな」
「さすがに他人のは初めてでしたけど。……で、セト、なんでクッションを頭に、こう、悶えるようなポーズとってたんですか?」
「それは……言えない」
「なんで?」
サティスが前にあるテーブルに手を付くように前のめりになったときだった。
セトの顔が紅潮し、その視線が何度か自身の胸のあたりにいったのに気付く。
「まさか……アナタって子は」
「笑わば笑えい。なにも言うまい」
「フフフ、一緒に寝たり膝枕してあげたりとかしても、妙に純情っぽいのは変わりませんね」
「し、仕方ないだろ。あんな近くで見たら……その」
「訂正、セトはムッツリスケベ」
「す、スケ……!?」
「事実でしょう? まぁイケない子。女性に対してそんな目を向けるなんてセトはなんてスケベなんでしょう」
「からかいやがって……」
「まぁまぁそう言わず。それに、子供にはちょっと刺激的だったかもですね」
「ま、まぁその……うん」
「でも私、アナタからのそういう情熱的な視線、もっと欲しかも」
「へっ!?」
「────サー、紅茶デモ飲ミマショー」
そう言ってサティスはセトの反応を楽しみながら腰を上げて、ティーポットやカップを用意し始める。
後ろでセトがなにかを喚いているようであったが、サティスは聞こえていないようにわざとらしく鼻歌交じりに湯を沸かし始めた。
「うぅ、サティスめ……」
(しょげちゃって……可愛いなぁもう……)
こうしてともにティータイムを楽しむこととしたふたり。
まだ悶々とした感覚を残すセトの表情や反応を楽しみながらも、サティスはセトの隣に座って身を寄せる。
お触り禁止というのを出会った当初言ったが、今となってはもうあってないようなものに変化していた。
だからといってベタベタと触れようとせず、節度を保とうと必死にしているセトは、どこか愛らしい。
「セト、私にはいいですけど、グラビスやヒュドラにはそういう目を向けるのダメですよ? 特にグラビスなんか私より胸大きいんだから。さっきみたいにジロジロ見ちゃうんじゃないかって心配で……」
「サティス……それは言わないでくれ。いや、言わないで欲しかった」
「あらどうして?」
「……意識しちゃうだろ。折角の友達なのに」
「う~ん、ごめんなさい」
「いいよ。お詫びとして、しばらくギュッとしてくれたら許す」
「……アナタ、言うようになりましたね」
ふたりで過ごす部屋の中に、昼の陽光が差し込んでくる。
穏やかな時間は夕食前まで続き、その後も特に異常や用事はなかった。
アダムズや使用人たちと話したり、途中でヒュドラやグラビスと会話をしたりもした。
こんな日々がずっと続けばいいなと思えるくらいに平穏な時間をセトとサティスは今日一日で味わう。
明日からはまたお互い仕事へと戻る。
今回のように非番が被ることがあとどれくらいあるか。
そんなことを考えながら、サティスと部屋へと戻ろうと歩いていると、中庭に綺麗な花壇が見えた。
月光に照らされる名も知らぬ花を横目に、セトの口元はわずかに緩んだ。。




