16話 気がつけばいなくて、彼女はいた
花螳螂が去ったあと、僕は暇をしていた。
遊ぶものなど病院にはない。かといって寝ることはできない。
『蜘蛛』である僕は、昼寝などはとれない。飽くまで、人間として、夜に寝れるだけだ。
だからこの時間帯、寝て暇を潰すことができない。――誰もいなければの話だけど……。
「気がつけばいて、気がつけばいない。それが蜚蠊っスよ、先輩!」
いつもの決まり文句で現れるゴキだが、僕の前にいきなり現れた、というわけではない。
というのも、
「お前……身体……大丈夫なのか……?」
ゴキも僕と同様、大欄蜘蛛の刺激毛を受け、重症といっても過言ではない状態だからだ。
そのため、普通に、それこそ一般人のように僕の寝室に入ってきた。
「大丈夫っスよ! 元気オブ元気っス! 」
「……お前、勝手に自分の寝室出て大丈夫なのか? 僕より酷い怪我してると思ったんだけど……」
「大丈夫っスよ! 蜚蠊の生命力、舐めんじゃねぇって感じっスよ!」
……いくら蜚蠊の生命力と言っても、事件のとき刺激毛の攻撃で気絶してなかったか? と聞きたかったけど、それは野暮だな……。
「先輩! それよりも少し暇なんスよ! 何かこの暇を消してくれる先輩マジックを是非とも拝見したいんスけど……」
「僕も暇はしてるけど、そんなマジックはできないからな……」
「じゃあ、不束者のオレっスけど、暇を潰すのにいい提案があるんスよ」
「なんだ、提案ってのは? できれば、身体に負担かからないものにしろよ……」
ゴキは無茶なことをよくする。それは大欄蜘蛛の戦闘でも語れたこと。
そして、恐らくは、手紙の件でゴキが僕を一日中護ると提案したあの日。はっきり言って、その提案は無茶だった、無茶を通り越していた。僕はやんわりと断ったけど、断らなければゴキは無茶をして、一日中僕を見張り、ゴキは自らの自由を束縛して、飲食も、睡眠も、自分の何もかもを後回しにして…………死ぬ。
それが分かっていたから、あのとき、ゴキの提案を断った。
だから、これがもし、ゴキ自身が身を張って何かするものだったら怖かった。だから、先に杭を打っていた。
「大丈夫っスよ。……先輩は、オレのあんな過去のこと気にしているようっスけど、多分そこまでのことはしないっスよ。それはそれとして、オレが提案するのは……恋愛シミュレーションっスよ!」
「ちょっ……なんで今?」
分からない。
花螳螂が、恋愛のこと話して帰ったのに、さらにゴキが恋愛の話を持ち出すか、普通?
グルか? グルでやってるのか?
「だから~恋愛シミュレーションをするんスよ、先輩!」
「なんか話し合ってないよな……?」
「話し合った? なんスか? どういうことっスか? オレは先輩の暇潰しのためにコレ考えたんスけど……、お気に召されなかった感じっスか?」
「あっ、いや……、そうじゃない。……やるか、……恋愛シミュレーション」
どうも花螳螂とグルなわけではなく、偶然重なったってことで良さそうだな……。
もしかしてゴキも、夢見と僕のことを気遣っているのか?
「やるっス! 内容はオレが考えたシチュエーションをやるってことでいいっスか?」
「……ああ、いいよ」
もうどうにでもなれって思った。
僕は花螳螂のお陰で、夢見に告白しようと思っている。だからその予行練習みたく、いやまったく同じにはならないだろうから、少しくらいでも、いいなってものがあれば覚えておこう。
「シチュエーションはある二人の告白シーンっス。まず、先輩は先輩通りで立ち回ってくれていいっすよ。で、オレは少し天然で、優しくて、誰にも付き添ってくれるような女子の役をやって、それで先輩が告白をする……こんなんスよ!」
「はっ……?」
いや、意味が分からない。
ゴキはエスパーかなんかですか?
絶対狙ってやっているだろ! とか突っ込みたいけど、今は、そのまんまのシチュエーションやった方が、為になるな……。
「……? なんかオレ、おかしかったスか?」
「……あぁ、いや、なんか不思議だと思うところがあってな。でも大丈夫だ。自己完結した。………そのシチュエーションでやるか……」
「じゃあ決まりっスね。オレはその役者に演じきらせてもらうので口調とかも変えるつもりっスけど、先輩はリラックスしてやってくださいっス!」
「あぁ……」
正直、この状況で、リラックスすることなんてほとんど不可能ではないかと思ってしまうけど、そんなことをいつまでも考えていたら、何も進まない、何も変わらない。
だから、ゴキの案に乗っかった。
「では……、いくっスよ! 正真……、今日も一日遊んでくれてありがとね……!」
これは、僕が夢見と遊び終わった――主に僕の部屋で遊び終わった後、そのあとにするいつもの夢見との常套句、のようなものだ。
ゴキが夢見の真似をするのでますます花螳螂と接点をもったのではないかと、訝しげに思うけど、今それに突っ込むのは無粋だし、なにより僕の為を想っているからかもしれない。
「あぁ……」
少し意識してしまい、適当な相づちしか打てない。
「また、遊ぼうね……!」
いつもであれば、このまま夢見は帰ってしまう。
だから、ここから僕は頑張らなければならない。
「……待ってくれ……」
「…………なにかな?」
一歩を踏み出せ……、
「あっ……、今日はさ、お前に話したいことがあって……」
「……なに? 話って?」
……告白しろ……! 夢見に……!
「えっと……、前から想ってたんだけど……――」
「――オレも先輩のことが大好きっス! 愛してるっス!」
「………………はっ?」
ちょっと待て、ゴキは夢見として接してくれてるシチュじゃないのか……?
「あー……、待って待って、すんません先輩、やっぱしオレ、先輩のそんな顔見ると……、ついついにやけてしまうっス……。えと、それでオレと付き合うって話なんスけど……」
「誰が付き合うかっ!」
全力でそう叫んでしまった。
「あー……、先輩の声でかすぎっスよ。ちょっとオレ、知らない人来たら怖いっスから、隠れてるっス!」
確かにここは病院で、とてもじゃないが、あんな大声を出してしまったら誰か来てしまう。
だから、
「……あー……、すまん」
謝った。謝ったけど、そのときゴキはもういなかった。
寝室に入ったときは、普通に入って来たのに、帰りはどこから帰ったのか気づかれずに帰った。
それはゴキブリとしての生命力とやらでこの茶番のうちに傷が治ってしまったのか、それとも――、
「正真……! 大声で叫んでどうしたの!? 大丈夫!?」
すごく心配そうに、そして慌てながらにして、夢見は僕の寝室に入って来た。