7. 君の記憶は盗まれたんだ
差出人、大河内次郎。件名、面接結果のお知らせ。
そんなメールが届いた。思っていたよりもかなり早くて驚く。就職の面接って、こんなに早く結果が出るものなのだろうか。
デジタルペーパー上の、「open」と表示されたボタンを押す。緊張のためか、ボタンを押す人差し指の先がわずかに震えているのを自覚して、笑えてくる。
メールを開く。結果は簡潔に書かれていた。
アンディ・トレランス様
DMA株式会社社長の大河内次郎です。
本日は、弊社の採用試験に応募いただき、ありがとうございました。
さて、慎重な審査の結果、貴殿を採用することと相成りました。
つきましては、明日午前10時、本社までお越しください。
文章だと丁寧なんだな、あの社長。
俺がメールを見て、最初に思ったのはそんなことだった。
採用、か。
◆ ◆ ◆
「こんにちは。上がって」
次の日。
DMA株式会社の本社、2階建てのボロアパートの一室。錆びたドアを開けると、アインが俺を出迎えてくれた。
一応これ、初出社なんだよな。友だちの家に遊びに来たみたいじゃないか、これ。
アインにうながされ、靴を脱ぎ、廊下へ足を踏み入れる。
「あれ、掃除したのか?」
前に来たとき、この廊下に足を踏み入れた瞬間、埃がまとわりついてきたのだが。
今は、廊下はきれいに掃除されているのか、きれいなものだ。チリひとつないとは言えないが、一般的にちゃんと掃除されていると言えるぐらいには整えられている。
「ええ」
アインは、ただ一言答えた。彼女に案内されるまま廊下を進み、奥の部屋へ向かう。
「どうしたんだ? 心境の変化か?」
俺は、どうして掃除をしないのかアインに尋ねたことがある。彼女は、掃除なんてエネルギーの無駄だから。と、そう答えていたっけ。
「社長に掃除しろって言われたから。あなたが来るからって。アンディ」
「俺のため? 信じられないな」
ずいぶん気に入られたようだな。社長に。いや、あの適当そうな性格だ。誰にでもそういうことを言っているのかもしれない。
ああいうのを人たらしと言うのだな。
「さあ、入って」
◆ ◆ ◆
雑誌、ゴミ袋、コンピュータやケーブル。物が散乱する部屋。その中央に置かれた、場違いなほど立派なリクライニングチェア。黒い革張りのそのイスは、雑多な空間の中で、一際存在感を誇示している。
ここは、DMA社のオフィス。俺が得体の知れない薬を飲まされ、気絶して、記憶の倉庫へ旅立った場所。
「イスに座って。すぐに仕事よ」
部屋に入るなり、アインがそう言って、イスを指さした。
ちょっと待て。急すぎないか?
「今日が初日なんだよな? 説明とかないのか?雇用契約とか、給料とか」
「必要?」
アインが首をかしげる。彼女の、茶色がかったショートヘアが、わずかに揺れた。
「そりゃ、いるだろ。この会社の仕事だって、俺にはまだよく分かってないんだ」
面接の時、アインが言っていた、この会社の仕事。記憶を盗むこと。まさに文字通り他人の記憶を取り出して、ただ売りさばくことが仕事なのか?
「職業安定化センターに出した求人票に書いてあったでしょ?記憶のサルベージ」
サルベージ。それはどういう意味なんだ?アインは、記憶の泥棒って、そう言ってたよな?
「そうね。サルベージっていうのは、引き揚げるっていうこと。盗むことが多いわ。私たちの場合」
アインは俺の疑問に答えをくれたが、いまいち意味が分からない。
「そのうちわかるわ。その時は、アンディ。あなたは……」
アインは言葉を切り、黙り込む。
「その時は……?」
「なんでも無いわ。さあ、イスに座って」
そう言って、手のひらの先でそっとイスをたたくアイン。
まあいいか。俺はイスに深く腰掛ける。
今気づいたけど、このイス、座り心地がいいな。座面と肘掛けの高さ、幅、クッションの硬さ。その全てがぴったりと俺の体にフィットし、全く違和感がない。
そうとう高いイスに違いない。実はこの会社、結構儲かっているのだろうか。
「さあ、飲んで」
そうしてアインが俺の手に乗せたのは、1つの小さなカプセル。白くて小さくて、なんの変哲もないカプセル。
それを手にとり、つくづく眺める。
「なあ、これは一体何なんだ」
アインに尋ねても、やっぱり返ってくる答えはそっけないひとことだけ。
「知らない」
◆ ◆ ◆
「やあ、来たね」
俺は、知らない場所にいた。どこかの交差点、だろうか。薬を飲んですぐ、俺は再び音と光の乱流に飲み込まれ、方向感覚の宇宙遊泳を味わったあと、気がついたらここに立っていた。
かなり広い道路。四方からやってきた道が一点に交わるポイント。その真ん中に俺は立っている。道路に車の姿はなく、ひたすら静寂だけが横たわっている。
俺の目の前には、スーツ姿の一人の男がたたずむ。大河内次郎。DMA社の社長。俺の雇い主。
社長に笑顔で迎えられた俺は、この場所について尋ねた。ここはどこなんだ?
「ここは、記憶のクロスセクション。交差点だよ」
「よく分からないな。つまり?」
「色んな人間の記憶にアクセスするのに、便利な場所なんだ」
そう言って、社長は歩き出す。
俺も社長の横について、歩みを進める。
「君は、自分の記憶が失われているのではないかと、感じることはないかい」
横を歩く社長は、俺の方を見ないまま、よく分からない質問を俺にした。
「言いかえよう。自分は、本当はもっと幸せな思い出を、たくさん持っているはずだと、そう思うことはないかい」
幸せな思い出。本当に俺は、数えるほどにしか持っていない。
「君の家族は? 君はどこで生まれた?」
「分からない……。俺は、分からないんだ……」
思い出そうとしたことも何回もあった。だけど、ある時点より昔のことは、なんとか思い出そうとしても、まるで白くて濃い霧がかかったように、頭がぼんやりとして思い出せない。
俺の記憶の始発点。それは、夏のある日。ダウンタウンの隅の路地裏、電子ドラッグの自動販売機の横に、俺は立っていた。
俺は、どうして自分がここにいるのか、自分は何者なのか、全くわからなかったんだ。
「それは、おそらく僕たちの同業者のせいなんだ」
交差点の中央から歩きはじめ、道路を横切り、歩道についた。
「どういうことだ?」
「アンディ。君の」
社長はそこで言葉を区切り、俺の方を向いた。
「君の記憶は、盗まれたんだ」
◆ ◆ ◆
「盗まれた? どういう意味だ」
「そのままの意味さ。僕たちの同業者が、君の幸せな記憶を盗み、売ったんだ」
そんなこと、急に言われても信じられないな。
「なんでそんなこと分かるんだ」
「君をひと目見れば分かるよ。僕は記憶のプロだからね」
社長は僕の肩に手をあて、トントンと優しくたたいた。
「仕事を続けるんだ、アンディ。同業者とは、いつか会うことになる。君の記憶を盗んだやつも、きっと見つかるさ」
社長は右手の人差し指と親指を輪にしてくちびるに当て、ぴぃっと短く口笛を吹いた。
右の方から音もなく、1台の車が滑り込んできた。赤くてピカピカなボディ。小さなタクシーだ。
「さあ、車に乗ろう。今日の記憶の倉庫は、ちょっと面白いよ」




