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明日が来なくてもいいよ  作者: limp-fiction
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6. デートぐらいなら行ってやってもいいよ。

「記憶を持って帰ってきた?」


 椅子に座ったまま、記憶の倉庫での非現実的な出来事を思い出していると、アインにそんなことを聞かれた。

 俺は、社長から黒いビジネスバッグを渡されたことを思い出す。


「ああ......俺は、記憶の入ったバッグを持って......」


 だけど、そのバッグはどこに行った?

 自分の周りを眺め回しても、あの真っ黒で小さなカバンは見当たらない。


「あれ?どこに行ったんだ?」


 アインは俺の方へ一歩近づく。


「社長に渡されなかった?記憶のカケラを」


「ああ、渡されたよ。だけど......」


 アインは控えめに微笑み、言った。


「なら大丈夫。行こう? 記憶を取り出さなくちゃ」



 ◆ ◆ ◆



 アインに先導され、俺は隣の部屋に移動した。少し狭い。そして、さっきの部屋と違って、全然散らかってない。

 部屋にあるのは、白くて大きな機械だけ。でかい円筒形の物体。円筒の手前には、人が1人横たわれるぐらいの、幅が狭い台がある。円筒形の物体のふちが緑色に光っていて、その明かりが、薄暗い部屋を不気味に照らしだしていた。

 なんだっけ、これ。


「MRIみたいでしょ?」


 アインが、聞きなれない単語をだした。


「核磁気共鳴画像装置。昔は、こんなふうな大きな装置を使って、人体の中身を見ていたらしいわ」


「へえ」


 人体の中身を見るねえ。これで人間を切り刻んだりするんだろうか。恐ろしい。


「アンディは、記憶を売ったりしたことはないの?」


 機械の横についたボタンを操作しながら、アインが尋ねた。記憶を売る、か。

 その気になればすぐにできる。4大記憶企業は、どこにでも広告を出しているし、あちこちにショップがある。俺の家の近くにも、ニューシナプスのショップがあったっけ。

 そこに行って、ささっとデジタルペーパーに目を通して、生体認証をすれば、あとはあっという間に記憶の抜き取りをすませるだけ。自動的にクレジットが振り込まれるらしい。

 らしいというのは、俺は記憶を売ったことが一度もないから。


「ないな。売る記憶もないし」


 記憶を買いたいと思ったことはあったな。俺にないものが欲しいから。つまり幸せな記憶だ。

 だが記憶の値段はとても高い。今の俺の1ヶ月分の収入で、やっと最低ランクの記憶が買えるかどうか。


「この機械、旧式だけど、記憶ショップに置いてるのと同じだよ。記憶の抜き取り、書き換えができるの」


 アインは、ここに横になって、と円筒形の装置の前に置かれた台を示す。

 俺は言われるままにその細くて硬い台に横たわった。


「アンディが帰ってきたのが、10分前だから......」


 アインはひとりごとをつぶやき、機械を操作している。

 俺は横になったまま、少しだけ気になっていたことを聞いた。


「なあ、社長はどこにいるんだ?」


 アインは俺の方をちらっと見て、俺の横たわる台を押して移動させながら答えた。


「今は来られないの」


 台は滑るように動き、円筒の中へ吸い込まれる。なんだか不気味だ。でかい生物に飲み込まれていくような感じ。横たる俺の視界に見えるものは、円筒の白い裏面だけになった。


「準備ができた。じゃあ目をつぶって」


 準備ができたらしい。なんの準備だ?


「これから何が始まるんだ」


 アインが機械のボタンを押す音がして、機械が耳障りな金属音を立て始める。


「あなたが持って帰った、幸せな記憶は、今あなたの記憶の倉庫の中よ。それを取り出すの」



 ◆ ◆ ◆



 記憶の取り出しは、あっけなく終わった。機械の音が、まるで旧式の燃料を使うエンジンのように大きくなったかと思うと、一瞬フラッシュを焚いたような閃光が走り、それで終わりだった。

 機械のうなり声はすぐに小さくなり、アインが一言、おわったわ、と言った。

 台から起き上がる。記憶を取り出されたはずだけど、俺自身の記憶には、何一つ変化を感じない。 


「あっけないな」


「いつ得た記憶なのかがはっきりわかってる新しい記憶は、取り出すのが簡単」


 そうなのか。なら、取り出すことが難しい記憶もあるのかな。


「取り出すのが難しい記憶もあるわ。でも、そういう記憶を取り出す方法も......いろいろある」


 まるで俺の心の中を読んだみたいに、アインが答えをくれた。



 ◆ ◆ ◆



 面接の結果は、あとで社長がメールで送るわ。

 DMA社から去る時、アインがそう言った。そういえば、今日は仕事の面接でここに来たんだったな。

 古びたアパートの一室のオフィス。仕事内容は、他人の記憶を勝手に持ち出すこと。社員は14、5歳ぐらいの少女がひとり。社長は結局来なかった。

 あんまり大きな会社じゃない。だけど、アインは帰り際、交通費だと言って、1万クレジットも振り込んでくれた。交通費は職安ですでにもらっていたのだが、ありがたく頂戴することにした。実は結構好条件の会社なのかもしれないな。


 トラムに乗って、ダウンタウンへ戻る。

 密集するアパートメント、ゴミがあちこちに落ちている狭くて汚い道。ところどころにある、小さくて不潔な店は、食料品だったりを売っている。

 いつもの落ち着く風景だ。静かで人の姿もない。


 角を曲がると、先の方に見慣れた後ろ姿があった。

 トボトボと肩を落として歩く人。

 少し早歩きで、その女性に追いつき、肩を叩く。


「やあ、ハナ」


「おっ、ようアンディ」


 少し驚いて、それからすぐに笑う。俺の友達、ハナはいつもこんな風に笑うんだ。少しだけ、悲しさや寂しさといった感情を含んでいるように。


「まだ、俺のことは忘れてないみたいだな。安心したよ」


 ハナが時々、生活のために記憶を売っていることを俺は知っている。

 いつか、アンディとの記憶も売っちゃうかもね。

 数日前、彼女はそう言った。


「今のとこはね。アンディも私の記憶は売っちゃだめだよ」


 ハナとの記憶か。それは売れるほどの幸せな記憶なのだろうか。今みたいに、こうして話したりするだけの関係だ。 


 それから俺たちはいつもみたいに、ずっと長い間どうでもいい話をした。誰も来ない路地の真ん中で。

 ハナ、仕事はあったか?

 ううん、全然だめだよ

 私、この前久しぶりにお菓子を買ったんだよ。チーズケーキ。

 

 そうだ。ハナはチーズケーキが好きなんだよな。だけど嗜好品は高いから、彼女にとってめったに買えるものじゃない。もし俺に金があれば、ハナにケーキをたくさん買ってやりたいな。俺はふとそんなことを思った。彼女の、悲しみとかをにじませたやつじゃない、ただ笑顔を見たいなとそう思った。


「アンディは、面接に行ってたんだよね。どうだった?」


「うーん。悪い会社じゃなかったな。今結果待ち。だけど……」


 合否の結果が来ないと何も言えない。だけど、仮に合格だったとしても、あの会社に入るかどうか、俺は相当悩むと思う。


 しばらく話して、ハナと別れた。俺はしばらくとどまって、彼女の後ろ姿を見送る。


 あれ?

 なんだろう。何かとても寂しい。

 何だろう、この気持ち、どこかで感じたような。

 それは、燃え盛るマンションビルの中に、もう二度と会えない大切な人を残して来たときの気持ちだったか。 

 それとも、初めて自分の子供を抱いた時の気持ちか。

 俺に、大切な人はいるのだろうか。


 俺は、走った。彼女に追いつくために。


「なあ!」


 俺は叫んだ。ハナが振り返る。


「ちょっと変なこと言っていいか?」

 

 ハナは少し驚いて不思議そうにしていたが、それでも笑ってくれた。 


「いいよ。どうしたの?」


「俺さ、何ていうか、ハナといるとすごく落ち着くんだ。いつでも、お前の姿を見つけると、安心する。お前の笑顔が、好きなんだ。ハナと話す時間は、俺にとってすごく大切な時間なんだ。だからさ......ええと」


 ハナはきょとんとしている。俺が一体何が言いたいのかよくわかっていないような感じだ。俺も自分が何を言いたいのかよくわからない。


「今日、仕事の面接で、えっと見たっていうか、聞いたっていうか、ある人の話を。その人はとても大切な人がいて、そして二度とその大切な人に会えなくなったんだ。まあよくある話だよな。で、えーとだな。その話を聞いて思ったんだ。俺には大切な人っているのかなって」


「うん」


「俺には家族はないし、仕事もないし、知り合いは少ない。俺が一番に思いついたのは、ハナだったんだ。正直、俺たちただの友達だし、こんなこと一方的に言っても迷惑かもしれないけどさ。お前と会う時間っていうのは、俺にとってすごく大切な時間なんだ。だからさ、もしもだよ。もし、お前にとってもそうなら、つまり、お前にとっても俺と会うのが楽しいんだったらさ、これからもっとちょくちょく会わないか?ほら、職安とかじゃなくて、もっと楽しいところとかにも行こうぜ。えっと、つまり......俺が言いたいのはそういうこと」


 しばらく、ハナは何も言わずに顎に手をあてて考え事をしているようだったが、やがて俺の顔を見てにやにやと笑いはじめた。


「アンディ、ずいぶん回りくどい告白をするんだな、あんた」


 告白。これは告白なのか?そういうふうに明確に言語化されると不思議だな。俺はただ思ったことをダラダラと話しただけなんだ。そして、俺がぐだぐだ言ったことが、告白なんだと言われると、少しだけ恥ずかしい気分になる。


「まあ、でも、デートぐらいなら行ってやってもいいよ。あんたのおごりね。仕事見つけたんでしょ」


「面接の結果次第だけどな」


 じゃあ、またね。そう言いかわして、俺は再びハナと別れた。3日後に会う約束をして。ハナの後ろ姿を見送り、家に向かう。なんだか、うきうきした気分だ。今なら俺はなんだってできる気がする。体中がぽかぽかと暖かく、走り出したいような心地だ。

 デートぐらいなら行ってやってもいいよ、か。俺はハナとのデートが、とても楽しみだ。


 携帯端末から、メールの着信を知らせる電子音が響いた。ポケットから取り出し目を通す。

 差出人、大河内次郎。件名、面接結果のお知らせ。

 差出人の名前を見て、脳裏にあのパリッとしたスーツ姿で、爽やかな短髪の社長の姿が浮かんだ。耳元で、社長の耳障りな高い声が聞こえたような気がした。記憶の倉庫で彼が言っていたこと。


「記憶に感情を巻き取られないようにするんだ。深く入り込むと危険だよ。自分の記憶と、他人の記憶の区別がつかなくなる」


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