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明日が来なくてもいいよ  作者: limp-fiction
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5. おかえりなさい。

 ここは陳明龍の頭の中。彼の記憶の倉庫。記憶のかけらをぎっしり収めた棚が立ち並ぶ場所。

 そして、記憶の倉庫の床に入った亀裂は、みるみるうちに進展していく。


「思ってたのより早いな......もうすぐ、陳明龍は亡くなってしまう」


 DMA社の社長、大河内次郎は焦りをにじませた声でそうつぶやく。


「どういうことだ? 彼が死んだらどうなる?」


 社長は首を横に振り、つぶやく。


「とてもまずいことになる」


 まずいこと?


「説明している暇はない。走るんだ!」



 ◆ ◆ ◆



「はぁ、はぁ、はぁ......」


 ただひたすらに、まっすぐ前に走り続ける。社長の背中だけを見つめて。

 息が苦しい。記憶の倉庫とかいう、非現実的な空間。だけど、全速力で走ると、かなりの疲労を感じる。

 ちくしょう。最近運動してなかったからな。

 俺の前を走る社長が、ちらりとこちらを振り返る。社長はペースをすこし落とし、俺と並走してくれた。


「大丈夫かい? つらそうだね」


「ああ......死にそうだ」


「走りつづけるんだ。記憶の部屋の一番はしまで」


 そう言って、社長は前の方を指差す。俺達が走っているのは、記憶の棚と棚の間の通路だ。視界に入るのは、左右に延々と続く記憶の棚。そしてそのあいだの通路。その通路の先の方に、ほんの小さい粒ほどの白い光が見えた。


「あれか! 遠いな」


「運動不足のアンディには、ちょっとつらいかもね......うわっと!」


 社長が、足元の亀裂に足をとられ、派手に転ぶ。走りながらペラペラ話すからだ、まったく。


「大丈夫か?」


 社長に手を貸す。彼の手を握った時、その手の冷たさに一瞬驚く。


「ありがとう」


 俺達は再び走り出す。亀裂がどんどん広がっていく。細い亀裂は太いすき間に変わっていき、太い亀裂の周囲から、さらに新しい亀裂が発生して伝播していく。

 地面の下から湧き上がるような轟音が響き、その音の大きさは、どんどん大きくなっていく。


「人が死ぬときにはね、記憶の倉庫も崩れ落ちてしまうんだ。中にしまわれた記憶も全て、崩壊に飲み込まれてしまう」


 社長は転んだことに懲りず、説明を続ける。


「僕たちは今、意識だけでここにいる。もし崩壊に巻き込まれれば、記憶たちと同じ運命をたどることになる」


「同じ運命か。消えてしまうってことか」


「分からない。正直な所。死んだ後の記憶が、記憶の倉庫の崩壊に飲み込まれて、その後どうなってしまうのかは。誰も知らないんだ」


「なるほど。だけど、試してみるのは勘弁だ」


 床と天井いっぱいに広がった亀裂。どんどん大きくなる地響き。加えて、足元から、ぶるぶると小刻みな振動を感じてきた。

 両脇の棚も振動し、隙間なく収められた記憶のCDが、棚から落ちて地面に叩きつけられる。ケースが割れてしまったものもあったし、太い亀裂のすき間に落ちてしまうものもあった。


 落ちたCDを踏まないように注意して走るが、何しろ余裕がない。どうしても踏みつけてしまうことがある。そして俺が、記憶のCDを踏んで壊してしまうたび、悲鳴に似た叫びと、粉々になった記憶の断片的なイメージが、目の前にフラッシュバックする。


 苦しい、やめてくれ。

 ああ、クリー、私の大切な妻。

 悪いが、君はクビだ。

 痛い。痛い。

 なあクリー、話があるんだ。

 私が壊れていく。私が崩れていく。

 私達夫婦には、子供が必要だと思うんだよ。

 

 ごめん。ごめんよ。記憶のCDを踏みつけるたびに、陳明龍の悲痛な叫びが聞こえてくる。俺は、謝罪の言葉をつぶやきながら、それでも罪悪感を感じる余裕もなく、ただ走り続けていく。


 アキラ!

 いい名前だろう?

 

 この子には、明るい人間になってもらいたい。そして明るい人生を歩んでほしい。

 そう、私とは逆の、明るい人生を。


「ついた!」


 社長の声。とうとう俺たちは、記憶の倉庫のいちばん端までたどりついたんだ。記憶の棚の列が途切れ、目の前には、小さな扉一つ分ほどの開口があって、その先は真っ白な光だけが見えた。


「これは、君が持っていってくれ」


 そう言って、社長は俺に、陳の幸せな記憶だけを詰め込んだバッグを手渡した。バッグを受け取り、開口部へ一歩近づく。


「さあ、飛び込むんだ」


 どうやら、この穴に飛び込めば、現実の世界に戻れるようだ。社長に促されるまま、穴に飛び込む。瞬間、落下。視界に入るのは、ただ白だけ。白い光に包まれ、心地いい浮遊感を感じる。このまま、ふわふわとした気持ちいい感覚に身をまかせて......


「ん?」


 違和感があった。何か硬いものが、俺の頭にぶつかった。目を空けると、そこにあったのは。


「記憶のCD......」


 記憶のCDがむき出しで1枚、ふわふわと浮いている。俺は、そっとCDに手を触れた。



 ◆ ◆ ◆



 ここは、どこだ?

 何も見えない。何も感じない。ぼんやりする。

 意識の端っこの方で、途切れ途切れの声が聴こえた。焦る声。


「......容態が......急......」


 そうだ、私は、病室にいたんだ。ずっと長いあいだ。

 

 私はもう、死ぬのだろうか。ふと、そんなことを思った。

 寂しい。

 失うばかりの人生だったな。

 最後は、たったひとりでこうして......


 ふいに、真っ暗闇の視界いっぱいに、眩しい光が広がった。光が収束すると、私は、緑の中にあった。

 そう、一面に広がる草原だ。鮮やかなグリーン。そして、青い空。地平線がくっきりと、緑の草原と、青い空との境界線をなす。

 柔らかい風が、体をなでた。


 私の家族がそこにいた。

 黒い髪。相変わらず太っている体。小さな目。

 とても美しく、愛しい人。私の妻、クリー。

 そして、彼女がその両手に抱くのは......。


 クリーは、私のすぐ近くに歩いてきた。

 私は、何も言えなかった。ただ、彼女を。妻と息子を、力いっぱい抱きしめた。

 心地よい暖かさを感じた。クリーが、私の耳元でささやいた。


「おかえりなさい」



 ◆ ◆ ◆



「おかえりなさい」


 そして、俺は、狭っ苦しいアパートの一室にいた。部屋の真ん中に置かれたリクライニングチェアに横たわる俺。そして、その隣には、少し心配そうな顔をした少女、アインがいた。

 なんだか久しぶりに、アインの声を聞いたような気がするな。


「ああ、ただいま」


 こうして、俺、アンディ・トレランスは、記憶の倉庫から現実の世界へと戻ってきた。音楽を愛し、家族を愛した男、陳明龍の記憶の倉庫から。







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