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明日が来なくてもいいよ  作者: limp-fiction
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3. 記憶の倉庫

 ここは、どこだ? 

 光の奔流が止んで、気がつくと俺は知らない場所に立っていた。

 

 とても広い空間だ。灰色のコンクリートの床。あちこちがひび割れている。そして、目の前にある、俺の身長の3倍はある高さの棚。何かがぎっしりと詰まっている。

 これと似たものは、どこかで見たことがある。確か、ネットのアーカイブスにあった写真で。この巨大な棚は、本棚というものだ。デジタルペーパーが普及する前の時代、人々は文字を紙にしるしてひとつに束ね、本というものを作った。そして、本をまとめて保管するための棚も。

 その本棚が、この、今俺がいる空間にぎっしりと並んでいる。俺が立っている通路の両側にずらりと真っ直ぐに。通路がどこまで続いているのか、前を見ても後ろを振り向いても、終わりが見えないほどにずらりと。

 

 通路は一本だけではないようだ。ところどころに本棚と本棚との間にはすきまが空いている。その隙間を通り抜けると、また同じような通路が広がっていた。

 

 本棚に並んでいるものを、なんとなくひとつ選んで手に取る。真四角で薄い。表面には鮮やかなオレンジの果実が描かれている。本は紙でできているらしいが、これは紙よりももっと硬いものでできている。これが本なのか......?


「それは、コンパクト・ディスクだよ」


 突然、後ろから男の声がした。



 ◆ ◆ ◆



「うわっ!」


 突然の声にびっくりして思わず振り向くと、細身で長身の男が立っていた。明るい色の髪。爽やかな笑顔。そして、青地にストライプが入ったスーツを着て、ぴかぴかに磨かれた黒い靴を履いている。


「やあ、君がアンディだね」


 男はその姿からはおよそ想像できなかった、とても高い声を発した。確かに男の声だ。だけどふざけてるんじゃないかっていうぐらい甲高い声。裏声で話してるんじゃないかっていう感じ。


「そうだけど、あなたは......?」


「僕は大河内次郎(おおこうちじろう)。君が応募してくれた、デジタルメモリアルアーカイブスの社長だよ」


 この人が社長か。確かにパリッとしたスーツを着て、自信に満ちた爽やかな感じは、まさに社長だ。無駄に甲高い声を除けば。


「さっき、コンパクト・ディスクって言ったよな」


 俺は、さっき社長が言った、聞きなれない単語について尋ねる。

 社長は小さくうなづいて、説明を初めた。


「コンパクト・ディスク。略してCD。デジタル情報を記録するためのメディアだ。プラスチックの円板に、アルミニウム金属が蒸着してあって、レーザーを使って表面のでこぼこを読み取りデジタルデータに変換する。音楽なんかが記録されてることが多いね」


 社長は近くの棚から、1枚のCDを手に取り、ひらひらと動かす。


「これはね、記憶なんだ。この記憶の部屋の主は、きっと音楽が好きだったんだね」


「それが、記憶?」


「開いてごらん。そうすれば分かる」


 そう言って、社長は手に持っていたディスクを俺に手渡した。言われたとおりにパッケージを開け、そして中のディスクを......


 ◆ ◆ ◆



 私の名前は、陳明龍(ちんめいりゅう)。中国系と日系のハーフで、今はここ、東京は足立の工場のメンテナンス要員として働いている。いつも通り工場について、仕事を始めようとすると、工場長が私のもとにやってきた。


「やあ、陳君。悪いけど、君を今日で解雇する。ロッカーの中の荷物をまとめて出て行け」


「そんな!どうしてですか!?私は10年、この工場のために一生懸命働いてきた!毎日朝から夜遅くまで!一度だって休んだことはないし、文句も言ったことも一度もありません!」


「君の仕事を代わりにやってくれるロボットを導入することにしたんだ。給料を払う必要もないし、メンテナンスフリー。コンポーネントを定期的に交換すれば、24時間365日働いてくれる。君が無休で毎日働いてくれるのかね?」


「そんなこと、無理に決まってる!......ああ、そんな......ありえない」



 ◆ ◆ ◆



 そして、俺の手の中に、小さなケースに収まった、1枚のディスクがあった。

 俺はアンディ。アンディ・トレランスだ。

 だが、ついさっき、俺は陳明龍という男になっていた。


「どうだった?」


 目の前の男、俺の面接官にして社長は尋ねる。


「俺は、陳という男だった。そして......仕事をクビになった」


 俺が答えると社長は、そうか、とつぶやき、口に手を当てて考え事をはじめた。

 

「あまり、幸福な記憶じゃないな......。この標的は127歳。人生かなり苦労したと聞いているし......」


「どういうことなんだ?」


「幸せだった記憶がほしいんだ。なあアンディ。そこらにあるディスクを片っ端から開けてみて、楽しい記憶とか、嬉しい記憶とかを探し出してくれないか」


 記憶?これは記憶なのか?見渡す限りの空間いっぱいに広がっている棚にぎっしり詰め込まれたコンパクト・ディスクが?ディスクのケースを開いた時、俺が見ていた夢のようなものは、記憶なのか?


「いったい、どこなんだここは?」


 混乱してわけがわからない。社長はディスクを物色しながら、相変わらずその風貌に不釣り合いな高い声で、そっけなく答えた。


「ここは、記憶の部屋だ。人間の脳の中のね」


 ならここは、心の中ということか?つまり......


「陳という男の、心の中?」


 社長は、うーんと言って、少し微笑んだ。


「すこし違うかな。そもそこ心っていうのは、なんなんだろうね。人間が考えたり、感情の動きだったり、そういう動きのあるものはここにはない。ここは、ただの」


 社長は少しだけ黙る。次に続く言葉を探しているようだった。


「ただの倉庫だ。記憶の倉庫」



 ◆ ◆ ◆



「待ってくれ!中に入れてくれ!中に、中にクリーが!私の妻が中にいるんだ!」


「下がってください。ここから先は危険です」


 燃え盛る炎。赤とオレンジの怪物。怒り狂うような炎が、私の住んでいるマンションビルを包み、黒い煙が立ち上っている。


 ああ、なんてことだ。クリーはきっと家で、生まれたばかりの私達の赤ん坊の面倒を見ながら、リビングでくつろいでいたに違いない。うたた寝をしていたのかもしれない。だから逃げるのが遅れたのか。こんなことなら、今日は仕事を休めばよかった。


 炎の熱を頬に感じる。熱くて乾いた煙が喉に入り、むせ返る。これ以上は近づけない。仮に無理して近づいたとしても、消防ロボに制止されてしまう。


「ああ、そんな......嫌だ......嫌だ」


 乾燥した頬に、水が線のように落ちていくのを感じる。そう、私は今泣いているのだ。


「崩れるぞ!」


 誰かが叫ぶ声がした。煙の勢いが増す。

 もういい、今すぐビルに飛び込んで、クリーとアキラを助ける。

 煙に包まれ、もう建物の形も見えなくなっている我が家に向かって走る。


「離れて下さい。崩壊の恐れがあります。ここも危険です」


 だがその行き足は、消防ロボの力強い腕によって止められてしまう。


「やめてくれ......行かせてくれ......」


 悲鳴が聞こえた。そして轟音。地面が上下に揺れた。足がふらつき、倒れ込む。次に襲ってきたのは煙と熱風。息ができない。何も見えない。熱い、熱い。


 朦朧とする意識の中で、悟った。

 私の家は、なくなった。私の家族も、なくなった。

 この私、陳明龍が手に入れ、大切にしてきたものは、今日、全て失われてしまったのだ。





 

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