由無し言を
迷う世の 風鈴揺らす 夜風には 倫と響くか 遠く霞むか
まようよの ふうりんゆらす よかぜには りんとひびくか とおくかすむか
某氏の物語を読んでいて不意に浮かんだ一句。某氏の小説は晩夏の夜のような、鈴虫の聞いて夏の終わりをしんみりと感じるような読後感がとても病みつきになります。そのような句になれば良かったのですが……
夕顔を 揺らす風の 重さ見て 途絶えてしまう おもいを思う
ゆうがおを ゆらすかぜの おもさみて とだえてしまう おもいをおもう
夕顔の花言葉は「儚い恋」「夜」「夜の思い出」「魅惑の人」「罪」等々とお聞きしまして。
「夕顔を揺らす夜の風が、湿気ているのか重いです。その重さに想いが途絶えてしまうのでしょうね」辺りが適切かと。儚いモノは容易く途絶えてしまうのです……
蝉も泣き はて知る時の 彼方みて かわたれどきと 知りつつ夢む
せみもなき はてしるときの かなたみて かわたれどきと しりつつゆめむ
「果」か「涯」なのかはさて置いて。
「蝉も泣く事はあるでしょう。(地中から出てきた彼らの余命は一年と無いのですから)終わりか水際を御存知だ。それでも鳴く彼らを見て、かわたれ時(河渡れ時)と知りつつ私は<はて>を夢見るのです」といったところですね
送る日々 ふわりとあなた 飛んできて 戸惑う私 赤い紅葉に
おくるひび ふわりとあなた とんできて とまどうわたし あかいもみじに
「日々を数えていって、その中で落ちる紅葉のように現れたあなたに赤面して戸惑ったとしても仕方ないでしょう? それほど突然だったのですから」とそんな感じの解説を付けていました。
夏に詠んだ句でしたが……はてさて。
夏の候 彷徨う我が身 白々と 想いは薄れ しかして独り
なつのこう さまようわがみ しらじらと おもいはうすれ しかしてひとり
「夏の時節に果てを探し求める我が身の白々しさよ。この想いがどれほど大切であろうと薄れていくし、どうせ独りになるのですから」でしょうかね。
桔梗咲く 野原を訪れ 風受ける キキョウでなしに ぽっかと静か
ききょうさく のはらをおとずれ かぜうける ききょうでなしに ぽっかとしずか
「桔梗の花が咲く野原を訪れては風を受けています。帰郷ではないので、ぽっかと静かな物です」でしょうかね。最初は帰郷の所を気胸としたのですが……気胸だとどこか悪趣味な気もして。ですがどっちも捨てがたく、つい
桔梗の花言葉は「永遠の愛」「誠実」「清楚」「従順」だそうです。
色付いた 名月浮かぶ 水舐める 縁取る刹那 揺らぐ水面よ
いろづいた めいげつうかぶ みずなめる ふちどるせつな ゆらぐみなもよ
「綺麗に色付いた名月の浮かぶ月見酒を、どれほどそぅっと舐めても舌が月を縁取る刹那には水面が揺らぐ。これと同じようにツキは簡単に去ってしまうのです」のような解説がついていました。
某ハロウィン曲を聞いていたのでしょうか。多分。彼の男の人生は何とも月見酒に写った月のようでしたね。
秋桜 香る赤色 何故に 問うては塵へ 返らぬ答え
あきざくら かおるあかいろ なにゆえに とうてはちりへ かえらぬこたえ
「赤いコスモスに何故と問いました所、塵へと還られましたので答えが返って来なかったのです」と。
赤いコスモスは「愛情」とのことらしいです。女性の生は、恐らくは何処までも砂上の楼閣のように脆いモノなのでしょう。元々生と言うのは吹けば飛ぶようなのに、美などを追い求める彼女たちはもっと儚い。
秋雨が ぽつりぽつりと 降りあがる 夜鷹のともは 山鳥か夜長
あきさめが ぽつりぽつりと ふりあがる よだかのともは やまどりかよなが
「秋雨がぽつりぽつりと降っては上がります。それを見ている夜鷹の友(共)は山鳥でしょうか、それとも夜長と言われる長い時間でしょうか」でしょうか。解説がいい加減なので、こうした場へ載せる為に考えるのも楽しいです。
夜鷹は鳥の名でもありますが、位の低い(?)オンナたちを言い表す言葉でもあったそうです。彼女たちのともは、何だったのでしょうかね
晩夏の髪 艶やかに濡れ 空見上げ 我が身の自由 ああ不自由な
ばんかのかみ つややかにぬれ そらみあげ わがみのじゆう ああふじゆうな
解説に「結局、意識してしまったら囚われてるのよ」とありますが、正直いい加減にも程があるような。
「晩夏の髪は突然に降った雨で艶やかに濡れてしまいました。晴れ渡る空を見上げて我が身の自由な事を思いますが、嗚呼不自由です」と言った処でしょうか。
悪い夢 遠ざかる灯の 恐ろしさ 幽世待つは 葉見ず花見ず
わるいゆめ とおざかるひの おそろしさ かくりよまつは はみずはなみず
「悪い夢でしょうか。遠ざかる灯の恐ろしさがお分かりになって? 幽世にて待つのはあの赤い花なのですから、死に逝く身としては再会の約束が恐ろしいのですよ」でしょうか。
葉見ず花見ずとは彼岸花の別称です。花言葉は「また会う日まで」だか「また会いましょう」だか。どちらかは忘れてしまいましたが、あの毒性を持つ花がそうした再会の意味を持つだなんてどんな皮肉でしょうか?
秋綻ぶ 八重の桜の 麗しき 高嶺の花の 知られざるよう
あきほころぶ やえのさくらの うるわしき たかねのはなの しられざるよう
「秋に綻ぶ八重咲の桜の麗しい事。知られていないのは高嶺の花のようですね」。と言った処でしょうか。
秋咲きの桜って知られてませんよねぇ。麗しい女性を高嶺の花とは言いますけど、高嶺の花はある意味貶し言葉のような気もします。だってその人の真の魅力は伝わっていないかも知れないじゃないですか
色堕ちる 花を枯らして 月見上げ 鴉も眠る 冷たい夜風
いろおちる はなをからして つきみあげ からすもねむる つめたいよかぜ
「色事へ身を染め、止めて。そうして月を見上げました。ああ、夕暮れを告げる鴉さえ眠っているのですから、終わりは近いと思われますがそれにしたって一人は寂しい」でしょうか。
女性を花に例える物語を多く散見します。そうした語句も。矢張り昔から女性の哀しさを花に見ていたのでしょうか?
秋雨の 石打つ音を 子守唄 微睡み彼岸 夢見る無意味を
あきさめの いしうつおとを こもりうた まどろみひがん ゆめみるむいみを
「秋の雨が庭の石を叩く音を子守唄に微睡んでいます。その雨の強さに溺れ死ねないのかと彼岸行きを夢見ますが、やはり妄想は妄想でしかないのですね」と。
添えられていた一言が「千字が消えた悲しみに添えて」とあります。うん、なるほど。辛い……
きみ夢む 遠き日の詩 黄昏に 響く秋雨 夜の長きよ
あなた見る 窓の外には 赤トンボ 追憶聞こゆ 雨音聞こゆ
きみゆめむ とおきひのうた たそがれに ひびくあまおと よるのながきよ
あなたみる まどのそとには あかとんぼ ついおくきこゆ あまおときこゆ
「転寝るきみが寝言で言う詩は、黄昏時に降りました飽きの雨でしょうか。夜は長いと言うのに私を見ないのですね」
「あなたが見る窓の外には赤いトンボが飛んでいますわ。あなたは目を細め、ありもしない雨音を聞いて……嫉妬などをなさるのね」
と解説がついていました。どうやら同じタイミングで思い付いた二首一対らしいので、他とは違う載せ方を。
嫉妬とは見難いものです。ですがどうしてか「醜い」とは思えないのです。何となく理由は分かりますが、こうした自分は少々嫌になってしまいそうだ。
月見ゆる 小石を一つ 蹴飛ばして しかして傍に 恋し夜顔
つきみゆる こいしをひとつ けとばして しかしてそばに こいしよるがお
「月の綺麗な晩に取り敢えず小石を蹴飛ばしました。よく見たならば、その小石の着地点の傍に恋しい夜の顔が見えましたので今日はついている」
恋し恋しと乞えども……やはり幸運が必要なのですね。
布団ずれ 悩める月夜 何故に 単に君よ 愚かの極み
ふとんずれ なやめるつきよ なにゆえに ひとえにきみよ おろかのきわみ
「掛け布団が嫌な感じにずれて、それにさえ悩む月夜です。その悩みと言うのは、君、単純に愚かが極まっているだけだから安心なさい。(まぁもっとも、その愚かはヒトである証だと他ならぬ君が仰るならば、慰めになるのですが)」のような解説がついていました。
掛け布団シーツの中で掛け布団がずれやがるんです。直すのって面倒ですよね
夜長更け 緋染まる頬 誰故に 単にアナタ 一人で無しに
よながふけ あけそまるほほ だれゆえに ひとえにあなた ひとりでなしに
「夜長も大分更けてきて、赤く染まる頬を見てアナタは「誰に染められているのか」とは仰います。ですが、一人で過ごしている訳でないので分かるでしょうに。まさか私がアナタを飽いたとでも言いたいのでしょうか」
嫉妬される内が華でしょうか? ですが疑われると言うのは寂しいモノでありますよ。
秋雨を 見つめる窓枠 腰掛けて 熟れうリンゴを 一口かじる
あきさめを みつめるまどわく こしかけて うれうりんごを ひとくちかじる
「雨が降る中、窓枠に腰掛けて熟れたリンゴを一口かじりました。前に倒れるもよし、後ろに倒れるもよし、ですね」
「熟れう」を「憂う」とも読み替えても良いでしょうと。リンゴはギリシア神話で三柱の女神たちが奪い合った実です。その昔の「Apple」は「果物」と言ったような広い意味しか持っていなかったそうですが、まぁ、そんな細かい所はどうでも良いかなぁ、なんて。
無知なれば 美しきかな 夕焼けに 別れ鴉の 羽ばたき見去る
むちなれば うつくしきかな ゆうやけに わかれがらすの はばたきみいる
「何も知らないという事はとても美しいと思う。秋の夕焼けに巣立つ初々しい鴉の羽ばたきを見てもそう思えるのだから、やはりそうなのだろう」
鴉は黒いからか、醜いものの象徴にされていたと思いました。大分昔の話でしょうけど……それにしたってギリシア神話や中国の神話で厄介者(?)として扱われているのはやや寂しささえも感じますね。可愛らしいと私は思いますけれど。
秋眠は 夕暮れ覚え 微睡みへ 夢見る景色 紅橋か
しゅうみんは ゆうぐれおぼえ まどろみへ ゆめみるけしき くれないはしか
「春眠が暁を覚えぬのでしたら、秋の眠りは夕暮れを覚えて微睡むでしょう。その夢に見る景色は紅に染まる橋である事を期待して。(何せあなたは端さえもくれないので)」
所で春眠・夏眠・冬眠とあって秋眠が無いのは大分解せないと思いませんか?
春眠の とろとろ眠る 暁に 撫ぜる紙色 黒く見えぬと
しゅんみんの とろとろねむる あかつきに なぜるかみいろ くろくみえぬと
「春眠、暁を覚えずと言います。正にその通りで、その時分に撫でた紙の色が黒くて(髪に閉ざされてあなたが見えないように)何が書いてあったかよく分からないのです」
一つ前の句の、対ですね。こちらは恐らく男性視点。乙女心は秋の空と例えられますので、恐らく男心は春の気温でしょう。暖かいようでいて、時折酷く冷たいんですもの。男性は女心が分からないとは言いますが、女だって男心が分からない時があってよ、なんて。
黄いちょうの 葉のはらはらと 落ち積もる 時の流れの 進む向きかな
きいちょうの はのはらはらと おちつもる ときのながれの すすむむきかな
「黄色く色付いたいちょうの葉がはらはらと道に落ち積もります。枝から離れた葉はもう戻らないのですね。変化してしまえば、元に戻すことができないように」
万物は流転するが定めとは知っておりますが、それにしたって愛した街並みが消えていく寂寥を覚えてしまうのは致し方無いと思って下さいな。
富士の雪 不治の病と 藤は言う 請うこと辛く 乞うこと辛く
ふじのゆき ふじのやまいと ふじはいう こうことからく こうことつらく
「富士の雪のように中々溶けない不治の病だと藤の花は言います。請うことは辛く、乞うことは辛いでしょう。恋とはそうしたモノではないだろうか」
藤は「恋に酔う」といった花言葉もあるようで。ですが「決して離れない」とも。恋とはそうした重いものでは無いのだろうか、と最近思い悩みます