誰が為にそのスマホは
「今スマホ何処にありますか?何て事は聞きません。これは推理ゲームですからそんな事したら興醒めです」
これから語るのは、一つの妄想を現実味を帯びさせる為の、言って見れば言い訳の様なものだ。
如月先輩がこのスマホの持ち主であることに信憑性を持たせる為の。
「じゃあ、聞かせてもらうわ。その推理を」
まるで耳元で囁かれたと錯覚するほど、その声は甘い息使いでもって僕の耳に届く。
間違いなく、先輩は今この瞬間を楽しんでいて、そこには退屈など一片たりと無い。果ては今というこの時間だけは如月先輩の全てを僕が独占しているのではないか。
そんな淡い期待を抱いてしまう程に、彼女は恍惚とも呼べる表情で僕を見つめている。
時間の価値にシビアな先輩だ。
退屈はさせられない。
「如月先輩はこのスマホと同じ機種の物を使っていますよね。色も同じな筈です」
「そうね。でもカバーは違うわ」
確かにこれは水色のカバーをしているけど、先輩のは白色を基調としたカバーだった筈だ。
でも、カバーが違ったからといって、このスマホが先輩の物ではないとは言えない。
「このスマホはカバーだけやけに真新しいです。予め取り替えたんじゃないですか?」
スマホ本体はそれなりに使用形跡があるのに、カバーだけは新品同然だ。傷の目立つプラスチック素材のカバーだけにそれは顕著だ。
「でも、スマホが同じだからといって、私を特定するには至らない筈よ。まだ根拠はあるのでしょう?」
僕は当然と、頷いた。
「そもそも大きな疑問点があるんです」
「それは?」
「先程、この持ち主が故意にスマホを落とした事については先輩にも理解いただけたと思います」
「そうね」
「しかし、その行動理由は意味が不明です。スマホは高価だし個人情報の塊だし、生活必需品です。そんなものを落とすなんて、危険すぎるし、真面な思考回路じゃないです」
「そうね」
「でも、落としても大丈夫だという保険があれば、行動に移せます。その目的は想像できませんがね」
先輩はとりあえず、大人しく僕の推理を聞いてくれるらしい。途中で横槍を入れられると、推理に綻びが生まれそうだから、その点は正直助かった。
「故意にスマホを落としたとして、その後スマホはどうなると考えるのが自然でしょうか」
「落し物係に届けられる、かしら?」
「はい。今現在持ち主の計画通りに事が進んでいるのだとすれば、スマホは現在ここにあるのですから、ここに届けられている事が、持ち主の意図した事だと言えます」
「計画通りにいっていない可能性もあるわよ」
「その可能性は低いと思います。何故なら、ここにスマホがある事が計画外ならば、早々に持ち主は回収しに来ていると思うからです。大切なスマホの動向ですし、必ずチェックはしているでしょう。ここにある、その事が計画通りに進んでいる何よりの証拠じゃないでしょうか」
「なるほどね。このスマホを落とした事が計画的な物だとすれば、確かにそうでしょうね」
しかし落し物係に自分のスマホを預ける事が目的って、その理由はなんなんだ?
まあそんな事は後から先輩に聞けばいい。
このスマホは絶対如月先輩のものなのだから。
「はい。そしてそうなると落し物係の誰かという線は濃くなります。スマホを落とすのに、自分が落し物係というのはそれなりの保険になり得ます。落し物係は落としたスマホが手元に戻ってくるのですからね」
「確かに、落し物係を疑いたくなるのは分かるわ。でもだからと言って他の線が消えたわけではないわよ」
確かに、これだけでは全くもって不十分だ。
矢継ぎ早に先輩を問い詰める。
「それに先輩は、スマホが落ちていた美術室に行っています」
「行ったのは昨日よ。スマホが届けられたのは今日。本当にこのスマホが私のもので、昨日私が美術室に落としたのだとしても、届けられるのは昨日のうちの筈よ」
そう。僕もこのスマホは今日落とされたものだと決めつけていた。
当然だ。今日届けられているのだから。
だから、始めのうちは先輩が持ち主だなんて候補にも上がっていなかった。
しかし、先輩には美術部に友人がいる。
それはある事を可能にしていた。
「ごめんなさい。指摘を間違えましたね。別に先輩がいつ美術室を訪れていようが、もっと言えば美術室を訪れていなくても関係ないんです。」
「どういうこと?」
「落し物を届けた人、汐見さんと先輩が友人関係にあるというのが重要なのです。これは先輩がスマホを故意に落とす、正確には自分のスマホを落し物として此処、落し物係に届けるという計画を立てているのであれば、最大の保険となります」
そう先輩には汐見さんという美術部員の友人がいる。
汐見さんに自分のスマホを預け、落し物としてここに届けてもらえば、今の状況をノーリスクで作り出す事が出来る。
しかし、そうなってくると、別に美術室に落ちていたという事にしなくても良くなるのではないだろうか?スマホを落し物係に届ける事が目的だったとしたら、態々美術室にしなくても、例えば2年B組の教室だって良かったはずなんだ。
どうして、態々美術室に?
頼んだ友人が汐見さんという美術部員だったから?
このスマホの持ち主が先輩だって事は分かるのに、謎がまだ残りすぎて何か気持ちが悪い。
まるで、自分で踊っているはずなのに、踊らされているような、そんな感覚だ。
まぁ何はともあれ、今はこのスマホが先輩のものだって事を証明できれば良い。
「このスマホは落し物とは考え難く、意図的に落とした物と考えられる。そしてそんなにもリスキーな行動を、状況的に見て一番安全に実行できそうな人、それは如月先輩、貴方です。しかもスマホは同機種の物を使っているのは確認済みです」
色々話している内に時間は経過し、落し物係の仕事終了、つまり15時まであと5分となっている。
暇潰しの最期は着々と近付いていた。
「どうですか?これが僕の推理です」
しばし沈黙が流れた。
その沈黙は僕を冷静にさせた。
そして、冷静になった頭は、冷静に自分の推理を分析し始め、そして僕に後悔を与えた。
何故なら、その推理があまりにも稚拙だったからだ。話している時は、自信満々だったが、こうして思い返してみると、あまりに穴がある。
その心情が先輩にばれているのか、意地悪げにこちらを見つめていた。
そして。
「ふふ」
先輩は口に手を当て笑う。
「ダメね。全然ダメ。どれも言い逃れの余地はあるもの。そもそも落し物係云々やスマホが同じ物と言うだけでは、私一人に確定するには不十分すぎるし、汐見の協力に至っても、口裏を合わせたら、本当の所は分からずじまいね。他にも問題点は色々あるけど、面倒くさいから省くわ」
「そう、ですよね……」
僕は、がっくりと項垂れた。
「でもまぁ、よく頑張ったんじゃないかしら。楽しい時間だったわ」
それは僕にとっては何よりもの誉め言葉だった。
先輩の時間を独占し、その時間を無駄だと感じさせなかった。それほど嬉しい事はない。
顔を上げると先輩の笑顔が目の前にあった。
「正解よ。このスマホは私のもの」
先輩はスマホを手に取って、そして満面の笑顔の横でそれを振って見せた。
「……どうしてこんな事したのですか?」
暫く笑っていた先輩はやがて口を開いた。
「なんとなく、よ」
「なんとなく、ですか……」
そんな訳がない。
先輩は無駄を嫌う人だ。なんとなくと言って取った行動には大抵理由がある。
従って今回の件にも何か目的がある筈だ。
たかが推理ゲームをする為に態々こんな面倒くさい事を?
カバーまで買い換えて?友人に協力を頼んで?
すると、先輩が落し物係になったのも、この為?
そんな馬鹿な。
先輩はそんな無駄な事はしない。
絶対何か理由があるはずだ。
全ての行動に意味があるものとして考えるんだ。
一から順に……。
何故先輩は文化祭実行委員になった?
それは落し物係になる為だろうか。
そして落し物係になった先輩がした事といえば、手の込んだ推理ゲームを僕に持ちかけた事。
絶対にこのゲームには意味があったはずだ。
でなければ無駄な時間を嫌う先輩がこんな手間な事をするわけがないのだから。
推理ゲームを持ちかけて何になる?
推理ゲーム自体はカバーを変えていたり、日付をズラしていたりと、色々考えられていたように思う。
反面、いま思い返せば先輩は色々と手助けをしていた気がする。
出題者なのだから、問題を解かせまいという思考が働いても良い物なのにだ。
そもそも先輩が美術室に行っていたことを明かさなければ、美術部員の汐見さんとの関係を明かさなければ、僕は先輩が持ち主だと気付いただろうか?
否だ。
混乱させている様で、手助けもしている。
手助けしたという事はつまり、その答えを知って欲しかったから?
でもそうなら何故、手を掛けて分かり難くもしているんだ?
いや、違う。
先輩は無駄な事はしない。だから相反する事を同時にはしない筈だ。つまり混乱と手助けは同じベクトルを向いていると考えたほうが、良い。
そうか。
ちょっとした引っ掛けを用意したのは、それを回避した僕が自分の推理を過信する様になる事を計算してのことではないだろうか。
先輩が持ち主だと疑った僕は、まず何を考えた?
最初に気になったのはスマホの見た目が違う事、つまりカバーが違う事だ。
スマホの消耗具合とカバーの真新しさのギャップに気付いた僕は、それは先輩がカバーだけ買い換えたと考える。そしてその引っ掛けを回避した優越感、抜け道を見つけた快感は、先輩が持ち主だという仮説に自信を与えた。
先輩は昨日訪れたと言っていたのにスマホは今日届けられているが、別にそれは協力者がいるから可能だと気付いた時、僕はこれ以上ない程の根拠を見つけたと、自分の推理力にうっとりしたものだ。そしてまた自分の推理を過信した。
引っ掛けを避けたつもりになった僕は、それを根拠以上の根拠として捉えてしまい、自分の推理に酔って、それを完璧なものと盲信して、先輩に披露した。結果思い返せば恥ずかしい、穴だらけの推理となってしまった訳だが、探偵気分に酔わされていた僕はそうとも気付かず、滔々と自分の推理を披露していた。
つまり手助けは勿論引っ掛けも、僕にスマホの持ち主は先輩だと思わせる様に仕向ける、誘水の様なものだったのではないだろうか。
先輩は多少無理矢理でも、推理ゲームの答えを知って欲しかった?
それが自分のスマホだと知らせたかった?
ーー僕の中である妄想が生まれた。
先輩のスマホにはタイマーが掛かっていて、あと1分程でそれは鳴る。
ここにも推理ゲームを持ち掛けた理由がある筈だ。推理ゲームをしていたからこそ、このタイマーにも気付けたのだから。つまり先輩はタイマーに気付いてほしたかったのだろう。
そしてタイマーがセットされていた事にも、必ず意味はあるはずだ。
そうだ。先輩はアラームではなくタイマーが設定されていた事に疑問を持っていた。
それも何かのヒントだとすれば?
アラームではなくタイマーの理由。
タイマーとアラームの違いは、この機種のスマホに関して言えば一つ思いつく事がある。
それはロック画面での視覚的情報量の違いだ。アラームは画面右上に小さく時計マークが表示されるだけだが、画面中央で実際にカウントダウンをしているタイマーはかなり目立つ。
敢えて目立たせ、やがて音が鳴る事を確実に意識させたかった?
そうだ他にもタイマーとアラームの違いがある。
この機種ではアラームが設定されているのが時計のマークで分かっても、それが何時に設定されているかどうかは分からない。しかしタイマーだと逆算から何時音がなるか推測ができる
つまり音がなる瞬間を意識して欲しかった?
ーーそれこそ僕の妄想。だけど思考は止まらない。
ふと、隣を見ると、先輩はスマホを弄ろうとしていた。
僕は咄嗟にその手を掴む。
瞬間先輩はピクリと肩を震わせ体を停止させた。
今何しようとした?
その顔は少し赤らんでいる様だった。
何故そんなに赤いんだ?
ーー何もかもが僕の妄想を膨らませる。
その音を聞かせて何になる?
ただのアラーム音を聴かせて何の意味がある?
違う。
そのアラーム音に意味があるんだ。
仮にあったとすれば……。
そうだ最近はアラーム音を予め録音した物に設定する事ができる。
そこにメッセージがあったとしたら……。
これが自分のスマホだと知らせたのは、それが自分からのメッセージだと教える為?
音がなる瞬間を意識させたのは、そのメッセージを聞き漏らさせないようにする為?
ならばそのメッセージとは?
先輩がここまで手間暇かけて、時間を掛けて伝えようとするメッセージってなんだ?
先輩は推理ゲームを後悔しない為と言った。
大袈裟な物言いだと思った。
けれど……。
何故先輩は顔が赤い?
何故瞳が揺れている?
何故掴んだ手はこんなにも震えている?
何故?
次第にカウントダウンは0に近付いていく。
1秒1秒が何処までも長く感じられ、早くと願う自分と、止まれと願う自分がいる。
そして時は進み
やがてーーー。
5
4
3
2
1
『君の事が、好き、です』
ああ、
なんて可愛い人なんだろう。
こんな回りくどい告白があるだろうか。
でも、僕の方は告白もできない臆病者だ。
僕は掴んでいた手に指を絡めた。
そして、先輩の赤い耳元で……。
文化祭は、これから始まる。
最後まで読んでいただき有難うございます。
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