第6話_ラズベリの急激な態度の軟化
=ラズベリの視点=
目の前にいる美少女? 美少年? が、泣きそうな表情で溜息をつきました。
その瞬間、思わず、くらっと心が揺れました。王都で見たことがある、精巧に出来たお人形みたいで可愛いです。
――じゃないっ! 何を馬鹿なことを考えているのですか、わたくしは。
この悪魔はわたくしの大切なシクラを魅惑で誑かした存在。
ついさっき魔力の解放状態を止めたので、今は普通の人間と何も変わらないように見えますけれど、何よりも解放時に感じた魔力が人間のそれではないのです。
危険なのです。
わたくしは騙されないです。
それにしても、わたくしが誘惑に掛かりそうになるなんて信じられない。
王家から貸与されている「全耐性護符」の効果で、当主のわたくしには魅惑が効かないはずですのに!
……。シクラがレベル1025だなんて言っていましたが、それはあり得ません。
多分、誘惑にかかっているから多めに見えてしまうのでしょう。精々、レベル350~450の間違いでしょう。
でも――どうしたら、この悪魔を倒せるのでしょうか?
わたくしの奥の手、城の構造や城壁に被害が出ることも覚悟で、部屋ごと吹き飛ばすつもりで放った第4種禁呪の「氷地獄の業火」はあっさりと無力化されてしまいました。アレがダメなら、わたくしだけでなくリリーを含めて、他の攻撃魔法も効かないでしょう。
唯一、致命的なダメージを与えられる可能性がある武器は、「防御貫通」効果を持つ「第2種禁呪のアレ」が込められた我が家の家宝「青色水龍剣」による攻撃でしょうが……さっきまでの杖での攻防の結果から判断する限り、わたくしじゃ刃を届かせられないと理解してしまいました。
足りないのです、スピードと技術が。
わたくしよりも弱いリリーやここにいる騎士や兵士達じゃ、なおさら届かないでしょう。
頼りたくはないですが、グラス王国の奥の手を使わせてもらいましょう。
わたくし以上に家宝の剣を使える優秀な使い手となると、王国の聖女騎士団しかいません。
姫騎士と呼ばれて有頂天になっている小生意気な小娘達が大半ですけれど、そのトップに君臨するリアトリス様と彼女が認めた隊長格数名は、数多の魔力剣を使いこなして王国の敵を屠る化け物集団です。
特にリアトリス様は、人族なのに神の加護を受けて不老の奇跡を得た存在。齢222にしてレベル230の生きた伝説。
敵には厳しいですが、後輩達には優しい人格者としても知られています。
背に腹は代えられないです。急いで使いを出しましょう。
でも、どうやって? 時間が足りないです。人手が足りないです。力が足りないです。
この悪魔を「今」止められる人間がいないのです。
でも、諦めるなんてできません。
……。足りないものを補えるのは、「策」しかありませんね。
仕方無い、悪魔の魅惑に掛ったふりをしますか。グラス王国の平和と愛しい娘達の貞操を守るためにも、この身を悪魔に捧げましょう。
覚悟しなさい、可愛い悪魔さん。
このわたくしが、大人の魅力で溺れさせてあげましょう。
==三青の視点==
小さな沈黙の後、コツンと杖が床に当たる音がした。目線を上げるとラズベリさんが微妙な表情で僕を見ていた。
「……あなたを人間だって信じても、悪くないかなって感じました。――ごめんなさいね、手荒な歓迎をしてしまって。わたくしはこのメーン子爵家の当主をしているラズベリと言います」
そう言うと、ラズベリは両手でスカートの裾を軽く持ち上げて頭を下げた。
「お母さま……分かっていただけたのですね……」
シクラが嬉しそうな声で呟いた。
って、呆けている場合じゃない。
慌てて僕も頭を下げる。貴族の礼儀なんて知らないけれど――右足を軽く引いて、右手を体に添えて、左手を横にしてから頭を下げる。確か、深夜アニメでカテーシーには、こういう礼を返せば良いってやっていた気がする。
「僕は異世界からやって来ました山下三青です。ミオと呼んでもらえると幸いです」
「分かりました、ミオさん。わたくしのことはラズベリと呼んで下さい。間違えてもメーン子爵とは呼ばないように♪」
「分かりました、ラズベリ様」
「ラズベリで良いですよ?」
ラズベリさんが悪戯っぽく笑う。心臓がどきりとした。年上お姉さんの、こんな笑顔は反則です。
「はい、ラズベリさん」
「ラ・ズ・ベ・リ・よ♪」
「ラズベリ……さん」
「ラ・ズ・ベ・リ♪」
「ラズベリ――さ「お母様っ!」」
僕が「さん」をつけようとしたところに、声を被せてきたのはシクラのお姉さんのリリーさん。シクラを抱きしめながら、僕のことを殺したいといった視線で見つめている。
その後ろでは、剣や金属杖を持った女性兵士の人達が、どうしたら良いのかという不安そうな表情でこっちを見ていた。
「お母様、ご乱心されたのですか!? 悪魔相手に下の名前を呼ばせるなんて! そもそも、話し合いなんて必要な――「黙りなさい、リリー。当主の言うことが聞けないのですか?」――くっ」
背筋が凍るという言葉がぴったりくる声。ラズベリさん、怖いです。
ラズベリさんの一喝でリリーさんが口を紡いでしまうのも分かる。
僕は貴族の当主の迫力を、ちょっと侮っていたのかもしれない――ってあれ? ラズベリさんが当主なの?
シクラのお父さんはどこに――って、そうか。Yウイルスで亡くなったんだな。
「違いますよ。わたくしの元旦那は、グラス王国で唯一生き残った男なんです。わたくしとの婚姻は解消され、今じゃ王宮の隣にあるハーレムで、王族のヒモとして第二の人生を謳歌していますわ」
ちょ、何で僕の考えていることが分かるんですか!?
まさか、口に出していた?
「うふふっ、そんなに驚かなくても良いじゃないですか。ミオさんの考えていることくらい、わたくしには読めますよ。だって、わたくし、ミオさんのことが気に入っちゃいましたから」
そう言うと、ラズベリさんは僕に近付いて――小さく笑った。
「んっ♪」
いきなりキスされた。ラズベリさんに。
え、ええっ!? 何これ、温かくて柔らかぃ――じゃない!
胸が、胸が、当たっています――じゃない!
舌が入って来ているんです。動いているんです。ヤバいんです。
「きゃぁ~♪」「ラズベリ様」「いいなぁ~」「年下かぁ」
女性兵士達の、かしましい小さな囁き声が聞こえる。
ちゅぱっ、という音を立ててラズベリさんが離れてくれた。
「……ぅふふっ、甘くて美味しいです♪」
あ~、ダメかも。妖艶な微笑みに心臓が鷲掴みされてしまった。
ラズベリは人妻じゃ、もうない。
遠慮する相手はいない。
それなら……大丈夫?
僕が立候補しても……良い?
だよね?
そんな感情と独占欲がチロチロと燃え上って、ラズベリに「さん」をつけることがもう出来ない。
リリーさんが真っ赤な顔で口を開く。
「お母様! 最低です!」
「そう、それじゃリリーは消えて下さいな。そう、今すぐ、わたくしとミオさんの目の前から消えなさい」
にっこりと笑顔で冷たい言葉を放ったラズベリ。
「っ!?」
リリーさんが固まった。
「行かないのですか? でも、コレは確定事項ですよ。リリーのレベルなら聖女騎士団でも十分やっていけると思います。予定が少し早まるだけですし、宝物庫からお金や武器を持ち出して良いですから、リリーは早く消えなさい」
ラズベリの命令に、リリーさんの表情が歪む。
「……分かりました。今まで、ありがとう、ございます」
そう言うとリリーさんは、スカートの裾をつまんだ。
シクラの身体がぴくんっと反応する。
「お姉さま……?」
「……シクラ、また帰って来るから、それまでお母様をよろしくね」
「お姉さま!!」
シクラの声に、リリーさんは振り向かなかった。
廊下で待機している女性兵士達の声にならないざわめきと、リリーさんの走っていく足音だけが部屋に響く。
部屋に残されたのは、茫然としているシクラと僕、そしてニコニコと嬉しそうな顔をしたラズベリ。
「さぁ、それじゃ――ミオさんもお疲れでしょうし、午前10時のお茶にしましょうか♪ ちょうど、中庭の花園で紫色のバラが咲いているんですよ。綺麗なので、ミオさんにも見てもらいたいです」
そう言って少女のように笑うと、ラズベリは僕の腕を取った。「もぎゅぎゅ~♪」どころか「ずもぐぎゅ!!」な感じで右腕が幸せになったれど、僕の心は戸惑いでいっぱいだ。
おまけに、女性兵士達の好奇心に満ちた視線が、何だかとても居心地が悪い。
矢のように突き刺さってくる。
どんな心境の変化がラズベリにあったのかは分からないけれど、距離感が異様に近いのだ。それに加えて、シクラに元気が無いのが余計に後ろめたさを増幅していた。
「……シクラ、大丈夫?」
「だい、じょうぶ、デス……」
大丈夫そうには聞こえなかった。
でも、シクラに何か声をかけようとした瞬間、右腕を引かれる。
「ミオさん、行きますよ? シクラも、後をついてきて下さいね」
笑顔のラズベリに、顔を覗きこまれる。真っ白な頬にかかった紫色の髪に、ドキリとした。
◇
――こうして、僕らはお城の中庭でお茶をすることになったのだけれど……意外な事実を、僕は今更になって知った。
僕が今いるのは、メーン子爵領の主都である「城塞都市ルクリア」のお城の中。
シクラの話では、僕らがいる城と城壁の外にはそれぞれ大きな水堀があって、過去に何度も外敵の侵入を防いでくれていたらしい。
窓から見える外の様子は、やっぱり中世ヨーロッパといった感じ。メーン子爵城を中心として城壁に囲まれた都市が形成されている。
深そうな城の水堀の向こうには、石造りと木造の家々が屋根を連ねて並んでいた。蛇行する大きな通りに代表されるように、外敵が街に侵入した場合に攻めづらいように、入り組んだ道が多い。
僕は、本当に異世界にやってきたらしい。
――なんてことを考えていたら、ラズベリに腕を引かれた。
「ミオさん、ぼうっとしてないで、行きますよ?」
ラズベリの口元が、どこか嬉しそうに笑っていた。