第50話_その一線を越えたとき
※悪魔を切る残酷描写が最後の方にあります。苦手な方は、◇◆◇◆◇で区切られた後からは読まずに、次話へ飛んで下さい。
※重要ですが、悪魔は、とりあえず強い子です。
=三青の視点=
それは直前。
一呼吸どころか半呼吸も無い僅かな時間。ギリギリとか、紙一重というタイミング。
空中に浮かんだ滅びの霧と名付けられた暗い闇が、リアトリスさんとヴィランさんを飲み込む寸前。
僕は闇を認識するのと同時に、動けない2人を押し倒していた。
慣性の法則に従って空間に残ろうとしていたリアトリスさんのセミロングの髪が、闇に少しだけ触れる気配を感じる。
その瞬間、何かが焦げるような、嫌な音が僕の耳に聞こえた。
リアトリスさんの髪に素早く目線を向けると、ワインレッドの髪の4分の1――つまり「闇に触れた部分」――が酸化したように、くすんだ色に変わっている。
風が吹いて、リアトリスさんの髪がサラサラと宙になびく。
すると暗い闇に触れた部分は、元からそこに何もなかったと錯覚してしまいそうなくらい、あっさりと風に溶けて消えていった。
「……」「……」「……()」
僕もリアトリスさんもヴィランさんも言葉が出ない。
脳裏に、リアトリスさんの腕から悪魔が離れていった時の惨状が思い浮かぶ。
具体的には悪魔に浸食されてボロボロになった腕。
僕は、どうしたら良い?
悪魔の発する霧は、まともに受けると不味すぎる。
背後では全員――ラズベリ、シクラ、グスター、メーン子爵家近衛騎士団、捕虜になっている聖女騎士団までも――が麻痺状態になっているのがメニューのマップ機能で判ってしまう。
視界の端にあるログには、新しく「宵闇の微笑みの無効化に成功しました」「身体拘束(妖術)耐性スキルを得ました」と記載されている。
でも、どうやったら、人間の少女にしか見えない悪魔を殺さずに、無力化することが出来るのだろうか?
そんなことを考えた瞬間、悪魔が僕の方を興味深げに見て、ゆっくりと口を開けた。
「なぜ、あなたは動けるの?」
悪魔が不思議そうな表情で首を傾げる。
黒い羽があるけれど、やっぱり人間の女の子にしか見えない。
でも、今は、それどころじゃない。
まだ動けないと視線で訴えてくるリアトリスさんとヴィランを脇に抱えて、後ろに跳ぶ。
日本にいた頃の僕の筋力では、二人を抱えるだけで精いっぱいで移動なんてできなかっただろうけれど、レベル1025のSTR(筋力)のおかげで無事に悪魔から距離を取ることが出来た。
悪魔は僕の行動に、苦笑いを噛み殺すように、小さく微笑む。
そしてゆっくりと口を開いた。
「ねぇ、妾に、あなたの名前を教えてよ♪」
正直、悪魔に名前を教えて良いのか不安になった。
僕の知っている物話には、本名を知ることで対象を操ったり、魂を囚えたりすることが出来る悪魔が両手で数えきれないくらい出てくるから。
そんな風に僕が迷っているのが伝わったのだろう、小さく苦笑してから悪魔が口を開く。
「そんなに警戒しないでいいわ。残念だけれど、妾は真名で相手を縛るような器用なことは出来ないの。だから安心して。――繰り返すわよ? あなたの名前を教えて」
――じゃないと、攻撃するわよ?
言外にそんなニュアンスを漂わせながら、悪魔が微笑を浮かべる。
今は、まだ、戦いたくない。少なくとも、リアトリスさんやヴィランさんを安全圏に退避させておきたい。あるいは、2人が麻痺状態から回復する時間が欲しい。
だから正直に名前を教えることにした。
「ミオです。ヤマシタ・ミオと言います」
「そう。妾の名前はレッド・カンディル。『ディル』って呼ぶことを許してあげるわ♪」
「ディルさんは――」
「さん付け? 気持ち悪いから、呼び捨てでお願いできる? あと、丁寧語も止めてよね」
心の底から嫌そうな声で、悪魔が僕を睨みながら言った。
……。
こういうタイプは苦手だけれど、仕方が無い、時間稼ぎのためにも会話という交渉をしようと思う。
「ディルは、何故、僕の名前を知りたかったの?」
「妾を魔剣に閉じ込めたグラス王国に復讐する前に、邪魔になりそうなミオに興味が湧いたからよ。妾の『宵闇の微笑み』を自力で解除できるなんて褒めてあげる。普通なら、体が麻痺して動けなくなるはずだけれど……何でかな?」
どこか楽しげな、その言葉に覚える違和感。
僕やラズベリ、グスターとシクラは「子爵家の家宝になるレベル&グスターの配下だったハイ・エルフ謹製」の全耐性護符を二重で身に着けている。グラス王国最強の聖女騎士団に所属しているリアトリスさんやヴィランさんが身に着けている耐性護符も良いモノだろう。それなのに、僕以外の全員が、たった1人の悪魔の身体拘束スキルに太刀打ちできなかった。
――と、視界の端のログが目に入った。
そこには「身体拘束(妖術)耐性スキルを得ました」と書かれている。
ん? 妖術? 魔術じゃなくて?
……ディルは、悪魔じゃなくて妖怪なのだろうか?
それを確認しようと口を開いた瞬間、ディルが「ミオが頭の中で色々と考えているのなんて、些細なことよ?」と言わんばかりの表情で小さく笑う。
その目線の先には、僕が脇に抱えているリアトリスさんとヴィランさん。
「ねぇ、グラス王国産の邪魔なお荷物は後ろに置いといて、妾と遊んでくれない? ミオは、妾を楽しませてくれる、そうよね?」
何となく、ディルの正体が妖怪なのかと聞いたらいけない気がした。
僕が気付いていないふりをしていないと、戦闘になった時に不利になってしまうかもしれないとも感じたから。
だから、ディルの提案に乗るふりをする。
「60秒だけ時間をくれないかな? せっかくなら全力で戦いた――「45秒なら良いわよ? お荷物さん、早く置いてきて♪」――ありがとう」
すんなりと受け入れてもらえるのが意外だったけれど、ディルは意味深な微笑みを返してきた。
縮地でラズベリやグスター、シクラの所に戻ってから、ラズベリ達の足元にリアトリスさんとヴィランさんをそっとおろす。
『ヤマシタ殿、すまない』
『……(ごめん、ボクらじゃ戦えそうにない)』
動けない二人が視線だけで、そう伝えてきた。
小声で「任せて下さい」と声を掛けてから、ラズベリ達を見る。
みんな、ディルの状態異常攻撃にかかっているけれど、高レベルのおかげで、かろうじて立っていられるみたいだ。ダメ元で麻痺解除の魔法を無詠唱で唱えてから、3人に手を触れる。――と、ラズベリ達は動けるようになった。
「ミオさまっ! お怪我は――「シクラ。今はそれどころじゃありません」――「ご主人様、いざとなったらグスターの秘密兵器を使うから、思いっきりやっても良いからな!」」
グスターの言う秘密兵器とは、多分、瞬間移動のことだろう。
グスターの魔力なら、この場にいる全員――馬を放棄すれば、捕虜になっている聖女騎士団員を含めて100人程度――を転移で逃げさせることが可能だ。
グラス王国に恨みを持つディルを野放しにすることの危険性は計り知れないけれど、いざとなったら逃げられることにラズベリやシクラも気付いたみたいで、目線だけで「「退避の準備をしておきます」」と言ってくれた。
次に、リアトリスさんとヴィランさんの麻痺を解除しようとした瞬間だった。
ディルから声を掛けられる。
「あのさぁ、妾の『宵闇の微笑み』を解除するのは、そのくらいにしてもらえないかな? そうじゃないと、手元が狂って――滅びの霧を『そこら辺のお荷物』に打ち込んでしまうかもよ?」
そう言いながら、縛られた聖女騎士団員やその後ろに控えるメーン子爵領近衛騎士団員に、無造作に視線と手を向けるディル。やると言うのなら、本当にやるのだろう。
「……分かった。すぐにそっちに戻るよ」
目線で承知した旨を伝えてから、グスター達から距離を取る。
人型の魔物――いや、悪魔? あるいは妖怪? いずれにしても、ディルは人型だから、傷つけるのにはかなり強い抵抗感がある。
けれど、手加減できるような相手じゃないし、手加減してはいけないと本能的に感じた。
ディルに向かって歩みを進める。
一歩一歩進む中で、大切な人を守るために、そして僕自身のために、この世界では邪魔になる日本の道徳を捨てることを心に決める。
本来は、そう簡単に捨てられるものじゃない。捨てて良いものでもない。
ディルにHP吸収スキルやMP吸収スキルが通じれば良かったのに。
そう考えて、すぐに違うと気付く。
いつかスキルなんて関係なく、僕らを殺そうとする相手を、自分の手で殺さないといけない時がやってくることなんて、僕も薄々分かっていた。
僕は欲張りだから、皆を――ラズベリも、シクラも、グスターも、リアトリスさんも、ヴィランさんも、聖女騎士団員や宮廷魔術師達も、メーン子爵領近衛騎士団も、グラス王国に住む人たちも――守りたい。でも、突き詰めると僕は「僕自身の我がまま」のために、人を傷つけ、時に殺す、その決意を固めよう。
この覚悟は、聖女騎士団とぶつかることを決めた、数日前から必要だと考えていた事実。
守りたい存在のためなら、いざとなった時、僕は人を傷つけることや殺すことが求められる。大切な存在を手放すことになった瞬間、後悔することだけは嫌だから――僕は、「僕自身のため」に、他人を傷つけることを是とする道を選ぶ。
なぜなら――この場所は、命のやりとりが軽い、異世界なのだから。
僕は今、その場所にひとりの命として立っているのだから。
そんなことを考えて――思考の迷路に迷い込みそうになって――いたら、いつの間にかディルの目の前に来ていた。
不服そうな表情でディルが言葉を発する。
「遅いぞ~? 妾は88秒も待った!!」
それは、デートに遅れた恋人に呟くような可愛い声だった。覚悟を決めたはずの心が、目の前の妖しの少女のせいで、揺れ動く。
気付けば、ディルの蝶のような羽は完全に伸びて乾いて、パタパタと軽くはためいていた。
メニューの鑑定が正しければ、ディルは「飛翔」のスキルで空を飛べるのだろう。
戦闘になったら、空を飛ばれると、正直、困る。でも表情に出す訳にもいかない。
だから、会話をすることにした。
「待たせてごめん。……でも、本当に戦うの?」
最後の確認。「手加減できないよ、だから引いてくれないかな?」と言外に伝える。
でも、ディルは嬉しそうに笑うだけだった。
「せいぜい、妾を楽しませてね♪ あ、ちなみに言っておくけれど……妾を倒さないと、グラス王国は滅亡するよ? 気が狂いそうになるくらい、妾を魔剣の中に閉じ込めていたのだから――因果応報だよね? 許されるよね?」
言葉の直後、ディルの両手に魔力の塊が発生する。メニュー画面のアラートが、どちらもヤバい魔法だと知らせてくる。
「光の障壁(改)」
短縮詠唱で強化した魔法障壁を三重に張る。
今まで使っていた普通の「光の障壁」では、強度に不安が残るから。
「炎地獄ノ業火&千本針ノ山!!」
背筋がぞっとするキーワードに全身に鳥肌が立った。
でも、改良した光の障壁(改)は、魔法防御特化型の三角錐の障壁で僕を守ってくれる。
現状、三重しか張れないのが欠点だけれど、よほど強力な魔法でない限り、この障壁を突破することは不可能だ。
「ほほ~ぅ。手加減していたとはいえ、地獄由来の魔法を防ぐか♪ それじゃ、コレを試してみよう――滅びの霧」
嬉しそうなディルの言葉の直後、闇が障壁に触れる。
あ、不味い。
本能的に察知して、ななめ後ろに身体を転がす。
「……なんだ、つまらないの~。滅びの霧の前じゃ、ミオの障壁も紙なのかぁ~」
ディルの言葉通り、僕の張った三重の障壁は、薄紙のように喰いちぎられていた。
おそらく、『滅び』というスキルが関係しているのだろう。ディルが魔剣状態だった時、どんな属性の障壁や魔法でも切ることが出来たのを思い出した。
ディルが言葉を続ける。
「……もういいや。周りにいるお荷物ともども、滅びの霧で溶かして土の栄養に変えてあげる。一瞬で楽になれると思わないで♪ 覚悟してね?」
興味が薄れた、そんな冷たい表情のディル。
その聞き捨てならない言葉に、尋常じゃない魔力の高まりに、僕の身体は動いていた。
◇◆◇◆◇
◇◆◇◆◇
◇◆◇◆◇
◇◆◇◆◇
気が付けば――ローリエさんに選んでもらったミスリルの剣を使って、全力で、ディルに切りつけていた。予定では、最初の攻撃はダメ元でもHP吸収にしようと考えていたのに。
攻撃が通ると思っていなかったのだろう、避けようともしなかったディルは袈裟懸けの傷を負った。
「ぅぐっ! な、なぜ、妾を切ることができ……ごぶっ!」
驚きと苦痛に顔を歪め、口から鮮血を吐きながら呟くディル。
でも、僕はそれを直視することが出来なかった。
全身の血が引いていく音が、頭の中に響く。
人間にしか見えない相手を傷つけたことの罪悪感で、脳が機能を停止している。
剣を地面に突き立てて、支えにしていないと立っていられない。
覚悟はしていた。でも、身体はそれを全力で拒否していた。
「追撃、しないの?」
どこか余裕たっぷりな悪魔の声。
「ほら、時間を置いちゃったから――再生できちゃったよ♪」
目線を上げると、にこにこ笑っているディルの顔。
「ミオったら、初心なのね♪ 今まで、人を切ったことがないのでしょう? ――でも、ヒトキリに慣れたら、とても危険だわ」
ディルが僕に手を向ける。自分はココで死ぬのだな、と本能的に理解してしまった。
そう、中途半端な覚悟のまま一線を越えてしまった自分自身を、僕は呪った。
※繰り返します。ディルは強い子です。
(次話も早めに更新します)
※5/31_ディルにはHP吸収スキルが効きませんが、その描写が無かったので、最後の方に、少し加筆してあります。




