第4話_女悪魔と誘惑
==メーン子爵家_長女_リリーの視点==
城の中庭で長身ぺったんメイドのローリエに淹れてもらったお茶を楽しんでいた時だった、尋常じゃ無い巨大な魔力の発生を感じたのは。
「リリーお嬢様、大丈夫ですか?」
いきなり椅子から立ち上がった私を心配してくれるローリエ。無表情だけれど良くできた子だ。
っとそうじゃない!
この魔力の発生源は多分「ミクニ先生」の部屋だ。
この2年、毎日のようにミクニ先生の部屋で妹のシクラが召喚魔法の調べ物や実験をしていたから、誤って何かの魔物を召還してしまったのかもしれない。
急がなきゃ。このままだとシクラが危ない!
◇
正直に言う。手遅れだった。部屋のドアを開けることすら無理だった。
若干の隙間が開いたドアの向こうから感じるのは絶対的恐怖。ただそれだけ。私だってレベル78の3属性魔法使いだ。
そこら辺の魔物どころか、下級悪魔相手でも一対一で戦える自信がある。
それなのに――背筋が凍って手も足も動かないのだ。
「リリー?」
気がつくと、いつの間にかラズベリお母様が私の横に来ていた。
私と一緒で、お母様もその手に愛用の魔法金属性の杖を持っていた。お母様の顔は、蒼白と言ってもいいくらいに青ざめている。その後ろにいる、異変を察知してやってきた女性兵士達なんて泣きそうになっていた。
でも、お母様は強かった。ドアノブに手を掛けると私達に頷き、合図をして、一気に――
==メーン子爵家_当主_ラズベリの視点(実はメインヒロインの一人です)==
わたくしは、ドアノブを思いっきり引きました。
若い頃に一時期だけですが、聖女騎士団に所属していたレベル82のわたくしの勘が告げています。ドアの向こうにいるのは多分、悪魔。それも確実に上級かそれ以上。レベル250を超えているのは確実です。
もしかしたら、相手は異世界の魔王かもしれません。
「――っ!?」
もう一度、わたくしは、ドアノブを思いっきり引きました。
開かないのです。
鍵は空いているはずなのに、開かないんです。
いいえ、違いました。ドアが、凍り付いたみたいに重たいだけでした。
わたくしの身体が、本能的に開けることを拒絶しているだけでした。
ギリギリギリと音がしそうなくらい重たいドア。
全力で引いて、やっと5センチくらいの隙間ができました。
でも――わたくしは、後悔しました。
ドアの隙間から流れてくる魔力。
恐怖? 畏怖? 絶望? 混沌?
言葉にできないぐちゃぐちゃの感情が背中を撫でます。
わたくしの隣で、リリーがぺたりと床に座り込みました。後ろにいる女兵士達も怯えています。……わたくしも、可能ならば座り込みたい。投げ出したい。逃げだしたい。でも、見えてしまったのです。
愛するシクラが、黒髪の女悪魔に抱き付いている光景を。
少女のような悪魔の口元は、ニヤニヤと嫌らしく歪んでいます。
それなのに――いいえ、多分、魅惑を掛けられているのでしょう。シクラはとても嬉しそうな顔で女悪魔に抱き付きながら、話をしています。
その顔には恐怖はありません。確信しました。操られている可能性120%です。相手のスキルを視ることが出来る「神から授けられし鑑定眼」を持つシクラが、悪魔の力に気付いていない訳がないですから。
「私の勇者さま!」
ああ、なんてことでしょう。
シクラには、女悪魔が勇者様に見えているみたいです。
ありえません! 勇者様は、もっとこう、温かい雰囲気なんです。
たった一人としか会ったことはありませんが、勇者様という存在は全員が温かい雰囲気なのです。多分、きっと、絶対に!
==メーン子爵家_長女_リリーの視点==
「きぁんっ!」
扉の隙間から見えた光景とシクラの声に、頭の血管が切れそうになった。
私の大切な妹が――ちょっぴり頭がお花畑で、勇者さま大好きっ娘で、いつか勇者様の従者になることを夢見て小さい頃から魔法の勉強を欠かさない真面目で可愛い子猫のような妹が――嫌らしい女悪魔に穢されている。
「雨雲に棲まう龍、今ここにその青き力を集め――」
気が付けば詠唱を開始していた。水属性の上級魔法は発動までに時間がかかる。でも、シクラに怪我をさせずに、この狭いドアの隙間から女悪魔だけを狙うことが出来る魔法はコレしか無い。我ながら良い選択だ。
「――土の中の黒き刃をその身に纏い――」
私が持つ最高威力の魔法で、一気にケリをつけてやる。狙いは、女悪魔の頭。
「――混じり合いて1つになれ――」
この魔法は、ミクニ先生が教えてくれた独自理論で生み出された最強魔法。固い水晶ドラゴンの頭さえも貫通する水の刃に切れぬモノは無い。水と粉塵を一気に凝縮させて発動する、この魔法の名前は、最高圧力水刃。
「――1つになれ、1つになれ、1つになれ――」
さぁ、あともう少しで詠唱が終わる。
「こだねを下さいっ!! お腹パンパンになるくらい!」
うちの妹が叫んだ言葉。
それがあまりにも酷すぎて、集中していた魔力が霧散してしまった。
――許さないっ!
私の大切なシクラに、こんな言葉を言わせたのだから、その頭を吹き飛ばすだけじゃ許されない。ズタズタのボロボロに八つ裂きにして、不死狼に喰わせて、その狼ごと青い炎で燃やしてやる。
――あ、目が合った、女悪魔と。
怒りにまかせて素人みたいに殺気を視線に籠めてしまった、愚かな自分を呪った。
=山下三青の視点=
お話の中で出てくる「人を殺せる視線」というのは、こういう視線を言うのでしょうか?
……とりあえず、今のところまだ僕は死んでいないから、違うのかもしれないけれど――怒っていますよね?
暴走したシクラの言葉が引き金となったことを考えると、扉の向こうにいるのは、シクラの家族とか親しい人なんだろうなと予測がつく。
しばらく、見つめ合った後。
相手さんが動かないみたいだから、声をかける。
「あ、あの……おはようございます。こっちに来て、お話しませんか?」
パタン、と音を立てて扉が閉まった。そして、ひそひそ声が聞こえてくる。
「ちょ、お母様っ! 何でドアを閉めたんですか!? 今、絶対にバレましたよ!」
「諦めましょう。気付かれた時点で、終わりです」
「終わりじゃありませんっ! まだ戦えます! あの悪魔は滅ぼさなければならないのです!」
「……シクラごと、殺る覚悟はリリーにありますか?」
「――っ!? シクラを見捨てるんですか!!」
「覚悟を決めなさい。ここで手加減することでグラス王国中に被害が――」
うん。何だか「悪魔は滅ぼす」とか「シクラごと殺る覚悟」とかいう物騒な発言が聞こえてきた。このままじゃ、僕らの身が危ない。シクラも、僕に抱き付きながら困ったような顔をしている。
「あのっ、すみません! こっちに来てくれませんか?」
僕の言葉に、扉の向こうの殺気が強まる。何と言うのか、状況が悪化した?
「……ごめん、シクラ。多分、シクラの知り合いだと思うから、シクラから声をかけてもらっても良いかな?」
「はい。多分、私のお母さまとお姉さまだと思うのですが……。何をこんなに警戒して――あ、もしかして!」
「シクラ、何か思い当たるふしがあるの?」
「は、はい、今のミオさんは、魔力が『解放状態』なんです。だから、ちょっと怖いというか……普通は、高位の魔法使いは戦闘時しか魔力を解放しませんので……」
少し説明がしづらいといった感じで言い淀むシクラ。
その言葉から何となく、イメージが出来た。
「今の僕って、例えるなら、『料理をしていないのに抜き身の包丁を部屋の中で持っている』ような状態に近い?」
「そうです! そんな感じに近いです!」
そりゃ、怖いわ。
見知らぬ男が娘を前にそんなことしていたら、警戒されても仕方無い。
「えっと――それじゃ、シクラ。どうすれば良いのかな? 魔力の解放ってどうすれば収まるの?」
「魔力放出を弱めてみて下さい。ぎゅ~っとして、むぎゅ~として、おへそで魔力をぱくっと食べる感じで!」
シクラの表現は可愛かったのだけれど、コレじゃあまり参考にならない。
「……シクラ先生、具体的にお願いします」
僕の言葉にシクラが苦笑する。
「ぁ、すみません。えっと――『全身の毛穴を閉じ』て、『足の裏と頭の先から入って来る地と天の魔力を心臓でぐるぐると渦を巻かせ』て、『おへそに取り込む』イメージです!」
簡単ですよね? といった表情でさらりと言われてしまったけれど……結構、難しいかも。
でも、コレ、成功させないとダメなんだろうな。ドア越しに感じる殺気、収まっていないもん。
やったことは無いけれど、ヨガとか呼吸法とか瞑想法とかを勝手にイメージする。
『全身の毛穴を閉じ』て――『足の裏と頭の先から入って来る地と天の魔力』を――『心臓でぐるぐると渦を巻かせ』て――『おへそに取り込む』イメージ。
心なしか、身体がぽかぽかしてきた。
「……こんな感じで良いかな?」
「はいっ! 大丈夫です!」
シクラが太鼓判を押してくれた。
「良かった。これで、少しはシクラのお姉さんとお母さんが警戒を緩めてくれるかな?」
「多分、大丈夫で――「シクラを解放しなさい!」」
シクラの言葉に重なるように、ドアの向こうからキツめの声が聞こえた。
シクラを解放しろって言われても、シクラが僕に抱き付いているんだけれどな……。
「……シクラ、僕を放してくれる?」
「ぇえ~!?」
不服そうにシクラが頬を膨らませる。
多分、冗談というか「お約束」をやっているだけなんだろうけれど、こんな状況でも僕と離れたくないとか言われてしまうと、なんだか可愛く感じてしまう。
――そうじゃない。
今はシクラとじゃれ合っている場合じゃないんだった。
「シクラ。シクラのお母さんとお姉さんが僕のことを警戒しているから――シクラがドアを開けてきてくれるかな? このままじゃ、シクラのお母さんとお姉さんに、僕が嫌われてしまうから」
多分、もう完全に嫌われているけれど――とは言わない。僕は大人だから。
「ミオさまがそういうなら、仕方ないですね」
そう言ってにこっと笑うと、僕から離れた後、扉を開けるシクラ。
扉の向こうには、2人のドレス姿の女性と、いかにも兵士ですっていう軽装鎧を身に着けた女兵士が10人くらいいた。
――と、シクラがそのまま扉の向こうにいた2人の女性の片方、赤い髪の美少女に抱きしめられる。
「リリーお姉さま?」
シクラの声で確信する。やっぱり家族の人だったみたい。
「シクラ、私達に後は任せて。もう大丈夫だから!!」
リリーさんの年齢は20歳よりも下だろう。
シクラの姉だから、18歳くらいかな。
偏見かもしれないけれど、名古屋とかにいそうな「ツインドリルテール」の燃えるような赤い髪に、同じ色のふわふわがたくさん付いた装飾過多なドレス。シクラを片腕に抱きとめながらも、金属製の杖を右手に構えて僕の方を警戒するようにキッと睨んでいる。その意志の強そうな目は、性格も激しそうな印象を伝えてくる。
うん、このリリーさんと仲良くなるのは、当分、無理そうだ。
「……で……の……っ」
シクラのお姉さんの隣で何かぶつぶつ言っているのは、20代半ばくらいのボブカットの紫髪の美人さん。こちらも、シクラのお姉さんだろう。漆黒のドレスの胸元が、何というのかとても眩しい。ハリウッドが制作した任侠映画の中に出てくる、マフィアの姐さんみたいな妖艶な印象を受けた。
正直に言うなら、僕の好み。
僕は「仕事が出来る雰囲気の女性」が好きなのだ。
……髪の毛が紫色だけれど、シクラと同じで違和感を覚えないから大丈夫。っていうか、むしろ綺麗だなって見惚れてしまう。
でも、アメジストみたいな紫氷瞳が、僕の方を殺しそうな視線で見つめている。……うん、やっぱり、シクラに「お腹いっぱい発言」をさせたのが、ちょっとまずかったのかも?
「ら、ラズベリお母さま! その詠唱は――」
えっ、この人、シクラのお母さん!?
異世界とはいえ、かなり若いっ! いや、でも、ラズベリさんは人妻なのかぁ……ちょっと残念。
――なんていう馬鹿な感想を持ったのが間違いだった。
「だめぇぇぇっ!!」
「氷地獄ノ業火!」
シクラの叫び声と同時に、ゆっくりと、そう、ゆっくりと世界がスローモーションに切り変わる。あ、本能的に理解した。走馬灯が見える直前ってやつだ。高校生の頃に原付バイクで事故った時にも体験したことがあるからすぐに分かった。
始まりは、僕の足下に生まれた火花のような小さな薄紫色の氷。
ちりっと音を立てたそれが僕の周囲を包み込み、そのまま剣山のような細かい刃に変わる。直後、刃が伸びて巨大なドーム状の透き通った紫氷の牢獄に閉じ込められた僕。奇跡的に刃は刺さらなかったけれど、動けない僕を中心として、半径3メートルに雪が降り、その全てが魔力を乱反射して濃い紫色に染まる。
そして――魔力が収束する――と思われた瞬間、ぱきんっと乾いた音が響いた。
気が付けば、紫氷の牢獄が消えていた。
「……あれ? これだけ?」
僕が呟いた言葉が部屋に響いた。
走馬灯が見えたと思ったんだけれどな。おかしい。
「ぇ!!」「ぅそ!?」
「っ!!」
ラズベリさんとリリーさん、そしてシクラが驚いたような表情で固まっている。
「嘘よ!」「なぜ――生きているのです!?」
リリーさんとラズベリさんが驚いたように叫ぶ。
「お母さま、もう止めて下さい!」
いや、なんでって言われても……。一応、確認しておこう。
「やっぱり、今のは攻撃魔法でしたか?」
「っ! させませんっ!」
「お母さまっ! 止めて下さいっ! ミオさまは勇者さまなのですよ!?」
リリーさんに抱きしめられて動けないシクラの叫び声が部屋に響く。
僕に何をさせたくないのか分からないけれど――ラズベリさん、手に持った杖で殴りかかって来るのは止めて欲しいです。
一応、動きが全て見えているから避けられるし、ラズベリさんの縦横無尽に動く双丘が眼福だとは思うけれど、ストレートな敵意がちょっときつい。暴力から遠い日本の現代社会出身者にとっては、精神力をガンガン削られるんです。
「あの、僕がいけないことをしたというのなら謝りますから、取りあえず落ち着いてくれませんか?」
「悪魔の言うことなんて信じられません!」
「悪魔、ですか?」
あれ? 何か勘違いされている? 僕、一応、シクラいわく勇者ですよね?
「何をとぼけるのです!? こんな強大な魔力、悪魔以外にはあり得ません!」
「お母さま! ミオさまは勇者さまなのです。だから、強いのです!」
「シクラ、あなたは悪魔の魅惑に掛っているのです。コレが、こんな魔力をもつ存在が、人間な訳がありません」
「そんな――お母様、違いますっ!」
「シクラは黙っていて下さい。――さて、悪魔。わたくしの娘を誑かしてくれた落とし前、きちんとつけてもらいましょうか」
美女に落とし前とか言われてしまった。
……とりあえず、話し合いたい。頭上を通り過ぎる金属杖を避けながら、ラズベリさんに話しかける。
「あの、僕は人間ですけれど――「あり得ません!」」
いきなり、全否定ですか。
金属杖が地面にぶつかり、大理石を削る。
「一応、人間のつもりで――「信じられません!」」
再び声を遮られる。ちょっとカチンときた。
金属杖が壁にぶつかり、大理石を削る。
「交渉の余地は――「ありません!」」
――ダメだ。この人。
もっと頭の良い人かと思っていたけれど、買い被りだったみたいだ。
シクラのお母さんだから貴族の妻だろうに、思考回路はこんなものなのか? 貴族の腹黒さとか強かさとかを感じ無い。
それとも、シクラのことで頭に血が上っているのだろうか?
情報が少ないから、今はまだ判断できないけれど、会話を続けるのは無駄っぽい。
らちが明かないから取りあえず、実力行使させてもらおう。
そんな気配が伝わってしまったのか、シクラがリリーさんの腕の中で暴れる。
「お母さま! お姉さま、放して下さい!」
大丈夫だよ、シクラ。一応、手を上げるのは無しの方向だから。
僕の性格的に、いくら相手に非があっても、女の人相手に暴力を振るうのは趣味じゃない。バイオレンスな世界の住人じゃないから、男が相手でも、殴ったり蹴ったりとかした経験は小学校での喧嘩くらいだ。
――とはいえ、どうしたら良いんだろう?
金属杖が地面にぶつかり、大理石を削る。この調子でいくと、あと数分もしないうちに、この部屋の床は凸凹になってしまう。大理石、高いだろうに。
動きを止めるのには有効そうだけれど、ラッキースケベを装ってドレスを破るのは女性の敵に認定されそうだし、後々、子爵様に報告されたら処刑とか去勢とかされてしまいそうだから今回はパス。
母親であるラズベリさんを脱がしたら、シクラにも嫌われそうだし。
そうなると、スタミナ切れを狙いたいけれど、ラズベリさん、意外と体力あるみたいだから当分はちょっと無理そう。
とか考えていたら、シクラが両手を広げて、僕とラズベリさんの間に割り込んだ。
どうやら、リリーさんの腕の中から強引に出て来ていたようだ。
振り下ろされた金属製の杖がシクラの肩を強打するコースだった。
「シクラ危ない!」
とっさにシクラを後ろから抱きしめるように両腕を差し入れる。ああ、確実に両手の骨が逝くだろうな。
この世界に、骨折が治る魔法があることを願いたい。