第43話_決戦前夜
=三青の視点=
透き通った空気。絶え間ない水の音。
視線を上げると満天の星空。
焚火にくべられた魔物除けの魔法薬の蚊取り線香のような匂い。
僕らについてきてくれた近衛騎士と兵士達50名の野営テントがはためく音。
パチパチと爆ぜる焚火を眺めていると、背後に人の気配。魔物が寄って来ないか常時確認しているメニュー画面のマップのおかげで、誰が来たのかは分かっている。
「眠れないんですか?」
そう言いながら、シクラが僕の隣に体育座りをする。
肩が触れる距離。自然な動作。ちょっと近い気がしたけれど、3ヶ月後に夫婦になる関係なら問題ないだろうから、気にしない。
「シクラも眠れないの?」
「そんなことは無いですよ。テントにミオさまがいなかったから、探しに来ただけです」
「本当に? ……その、なんていうのか、不安は無いの?」
「はい。だって、ミオさまのこと信じていますから♪」
にこっと、いつもと変わらない笑顔で断言したシクラ。不安や迷いなんて一切見られない。
思わず、まじまじとシクラの顔を見てしまった。
はにかむような、困った笑みが帰ってくる。
「えっと? 意外ですか?」
「……そうだね。もしも、明日僕がしくじったら――「ミオさま。言葉にしちゃ、ダメです」――えっ? ――「言霊になっちゃいますよ?」」
シクラに言われて気が付いた。魔法がある世界の言霊は、威力が断然違いそうだ。
弱気なことを口にしちゃいけない気がした。
「そうだね、ごめん」
小さな沈黙が流れた。
「ふふっ♪ ミオさまって、意外と繊細なんですね」
「そうだよ。でも、『意外と』なの?」
「はい。ミオさまって、昨日も今日も、ずっと余裕たっぷりでしたから」
「そうでもないよ。結構、一杯いっぱいだったつもりだけれど」
「嘘ですね♪」
嬉しそうに笑うシクラに、思わず苦笑してしまう。
「嘘じゃないって」
僕はそんなに強い人間じゃない。今だって、口が裂けても言葉にはしないけれど、不安に心が押しつぶされてしまいそうなのだから。
事実、明日失敗したら僕のせいでみんなが死ぬことになる。
僕の失敗で僕の命がなくなるのならまだ良い。
いや、シクラとグスターとラズベリを残して僕一人死ぬなんて嫌だけれど、自分の命で自分の行動の代償を払うのだから自業自得と言える。でも、明日は違う。僕とグスターの行動に、幾人もの命がかかっている。
シクラの命も天秤にかけてしまっている。
それなのに、シクラは優しい笑顔で微笑んだ。
「ミオさま、私の目は誤魔化せないですよ。なにせ、私の目には神の欠片が入っています。だからミオさまは、明日起こる大事件もぱぱぱ~っと余裕で解決しちゃうと、私は考えているんですっ♪」
僕の中では余裕なんて全然なかったのだけれど……自信たっぷりな瞳のシクラに言われてしまうと、何だか、本当にそうなのかもしれないと思えてくるから不思議だ。
「ありがとう、シクラ。シクラは、たまにすごいことを言ってくれる」
「たまにですか?」
からかうような声で、シクラが苦笑いを浮かべながら、ほっぺたを膨らませた。
あ、いけない。今のは失言だった。
「失礼。『必要な時に』の間違いだった」
僕の言葉に、シクラのほっぺたが元に戻る。そして満足げな表情に変わる。
「ありがとうございます。でも、買いかぶりですよ。私は、私が、その時に思ったことを口にしただけですから」
「そうなの? シクラは、僕と初めて出会った時から僕のことを信じてくれている。背中を押してくれる。僕がオリーブ達に超再生を使う時も後押しをしてくれたし、グスターとの婚約も許してくれたし――今も、こうして不安になっている僕のことを包み込んでくれている。だから……本当にありがとう」
僕の言葉に、シクラがくすくす笑う。
「そんなふうに言われちゃうと、『私って、すごいんだなぁ』って調子に乗っちゃいます。ダ・メ・で・す・よ・♪」
冗談っぽい言葉だったけれど、何だか勇気が出てきた。
「うん、本当にシクラはすごいよ。ありがとう」
「いいえ、こちらこそです。なので、1つだけお願いがあります♪」
「お願い?」
「はい。大切なお願いです」
シクラが僕から視線を外す。心なしか、シクラの頬が赤くなっている気がする。
そのせいかシクラの言葉はすぐには返ってこなくて――小さな沈黙が、再び流れた。
沈黙をゆっくり崩すように、シクラが息を吸い込む。
吸い込んで、吸い込んで、吸い込んで、ぷはっと可愛く吐いて。
もう一度、大きく深呼吸をした後に、恥ずかしそうに上目遣いで僕を見てくる。
「その、明日のことが一段落ついたら、私とデ――「ご主人様、グスターは帰還したぞっ♪」」
言葉を遮られて、びっくりしたような表情でシクラが固まる。――っていうか、正直、僕も驚いていた。メニュー画面のマップに何も反応が無かったのに、いきなり背後からグスターに飛び付かれたから。
「グスター、お帰り。でも、いきなり後ろから飛び付かれたらびっくりするよ?」
「ぐっふっふ~♪ ご主人様をびっくりさせようと思ったグスターの作戦は成功だな♪ ――っていうか、ここ、どこだ? ルクリアの城じゃないぞ?」
背中から僕の横に移動しつつ、きょろきょろと周りを見渡しているグスター。
ツインテールがぺちぺちと僕に当たる。
「グスターさん、ここは水龍渓谷ですよ」
「水龍渓谷? なんで、こんなところにいるんだ? ルクリアと王都を繋ぐ街道の途中じゃないか。城で聖女騎士団を迎え討つんじゃなかったのか?」
「えっと、最初はそのつもりだったんですが、そうすると城塞都市ごと戦略級魔法で先制攻撃される可能性が高いという話になったんです」
シクラの説明に、グスターが首を縦に振る。
「なるほど、だからこの場所で迎え討つことにしたのか?」
「はい。散開して一度に攻撃されない場所で、なおかつ相手が私達を無視してルクリアに移動しないように進攻を食い止められる場所がココだったんです」
「分かった。グスターも良い案だと思う」
グッジョブ♪ という感じに右手の親指を立てたグスターに、さっきから気になっていることを聞く。
「ところでグスター、この場所がどこか分からなかったのに、よく転移してこられたね」
「ああ、ご主人様とシクラの気配を辿って転移したからな♪」
ドヤ顔でグスターが胸を張る。
「え~っと? 瞬間移動って……相手の気配が分かれば、知らない場所にも移動できるの?」
「いや、グスターの知らない場所には転移できないぞ? たまたま、この場所が街道沿いで一度近くを通っている場所だったから、ご主人様の気配を辿って瞬間移動が出来ただけだ。一度も行ったことのない場所だったら、例え、ご主人様の気配が分かっていても転移はできないぞ」
自慢げに薄い胸を張ったまま、グスターが言葉を続ける。
「――って言っても、前提条件として、かなり親しい相手じゃないと気配を見分けられないという制限があるんだけれどな♪ ご主人様とシクラの気配があったから、この場所はすぐ来ることが出来たけれど」
こくこくとグスターが首を縦に振りながら、腕を組む。そして、にやにやした顔でシクラを見た。
「――それで、シクラはご主人様と二人きりで何の話をしていたんだ?」
焚火に照らされているシクラの顔が、7割増しで赤く染まった。
「べっ、別に二人っきりなのは偶然です!」
「見張りの兵士達は気を使ってこっちには来ていないみたいだけれどなぁ~♪」
「そっ、そんなことは――」
「まぁ良いや。シクラもご主人様の嫁になるんだから、ちょっと抜け駆けすることくらい許してやる♪」
「あ、ありがとうございます、グスターさん」
シクラの言葉に、グスターが口をとがらせる。
「シクラはやっぱり、抜け駆けしようとしていたのか? ずるいぞ!?」
「あ、グスターさん、ひどいっ! 私のこと、引っかけましたね?」
「引っかけじゃない。交渉術と言ってくれ♪」
「同じことです」
きゃいきゃいとじゃれあっている二人。
それを見ていると、何だか不安が軽くなった気がする。
おかげで、今夜はもう眠れそうだ。
「二人とも、明日が早いから僕は眠るけれど――「私も一緒に寝ます」「グスターも寝るぞ!」」
僕の言葉を遮った2人はそのまま僕の手を握ってきた。右手をシクラ、左手をグスターに引っ張られながら、ラズベリを起こさないように静かにテントに入る。
「んにゃ? ミオさん……」
ラズベリの可愛い声。一瞬、起きているのかと思ったけれど、何も反応が無いから眠っているのだろう。
「グスター達も寝るぞ♪」
小声で言ったあと、ラズベリの横にグスターが寝そべる。シクラも腰を屈める。
「寝ましょうか――って、ミオさま。なぜ端っこで寝ようとしているんですか? ミオさまは当然、私とグスターさんの間ですよ?」
笑顔のシクラ。拒否するのは、何だかとってももったいない気がする。
「でも、それは……」
一応、お約束として口ごもる僕に、シクラとグスターの声が重なる。
「早くしないと、お母さまが起きてしまいます」「そうだぞ、ご主人様、早くしろ」
小声でそう言われてしまうと仕方無い。
ドキドキする心臓をなだめつつ、大人しく二人の間で横になる。
「ぐっふっふ~。確か、王城から帰ってきたら、ご主人様を好きにしても良いという約束だったよな?」
「グスターさん、好きにしていいじゃなくて、抱き枕にしていい許可だけです!」
「まぁ、そんな細かいことはどうでも良い。今夜はご主人様の匂いを嗅ぎながら、眠るのだ♪」
そういいながら、グスターが僕に抱き着いてきて、さっそくすんすん鼻を鳴らしている。
シクラも負けじと僕に抱き着いてきた。流石に、昨夜の失敗で学んだのか、匂いを嗅ぐようなことはしていない。
良い子には、ご褒美として頭を撫でてあげたいと思う。
「あ、シクラずるいっ! グスターも髪を撫でてもらいたい」
「グスター静かに。髪を撫でるから、大人しくしているんだよ?」
「うん、分かった♪」
2人の髪を撫でつつ、2枚の毛布の下で体に当たる「もきゅきゅ♪」と「ぺたぷにっ♪」な感触を楽しみながら、目を閉じる。絶対に今日も眠れないと思っていたのに……。
いつの間にか、僕の意識は深い闇の中に溶けていった。




