第35話_スマトラの予言と星降りの魔神
=リリーの視点=
気付くと、私は、暗い牢屋の中に入れられていた。
5月だというのに――いや5月だからだろうか――石造りの床は冷たい。
ぼんやりとした視界。見上げると、魔法の発動を抑える特別な魔方陣が手の届かない天井で青白く光を放っていた。
とりあえず、寒い。冷たい。
まるで、世界が終わったかのように、冷たい――
もぞもぞと動いて、ベッドの上に横になる。上級貴族向けの独房だから、ベッドはお日様の匂いがした。でも、それが無性に、悲しかった。
ほっとしてしまう自分に気づいて、悔しかった。
「シクラ……ラズベリお母さま……ローリエ……みんな」
毛布を被って、私は泣いた。
=グラス王国女王_レモンの視点=
夜の執務室は光の魔法具のおかげで昼間のように明るい。
わらわの意見としては、魔石の節約のためにも、早く寝ないといけないと思う。
民から集めた税は有限だ。そこを勘違いしている貴族も多いが、そんなやつらは王国内では少数派だと思いたい。だから、貴族達の手本となる行動をするためにも、わらわは早く寝ないといけないのだ。
……決して、わらわ自身が眠たいからじゃ――うん、素直に認めよう、眠い。超が付くほど眠い。なんで、こんなに眠いのか? 答え、昨日徹夜したから。以上。
隣国のグロッソ帝国がいけないのだ。「大陸内の国家間の平和交流と技術発展のため」とか何とか言って、一方的に「万国博覧会を開こうぜ!」と親書を送ってきた。
眠たいから「仕事を増やすな!!」って言って断る? 断れるはずが無い。内心はお互いにドロドロしていても、人口が減少した今、表面上は笑顔で仲良く付き合っていかないと仕方が無いのだ。
帝国は、わらわに断られないように、特使として第4皇女のグロッソ・イベリスを親書にセットで付けてきている。
ここで断ったら、探られたくもない腹を探られてしまうだけ。
勘に触るが、殺し合いをしてもお互いに消耗するだけだし、人口が減ると国力も落ちるし、そうなると周辺諸国が調子に乗るだろうし、何よりも――最近は、宗教国家のソリウム聖国が力をつけてきているし。
ああ、帝国の話を受けるという選択肢しか、残っていないじゃないか。
でもさ、王国の民に言って聞かせてやりたいよ。
人間、苦しい時には何かに縋りたい気持ちも分かるけれど……よりによって仮想敵国の「神」を信じなくても良いと思うんだ。
グラス王国にも八百万の神々が棲んでいるというのに。
はぁ~、眠い。頭が回らない。効率化という意味でも、きちんと寝ないとダメだと思う。それなのに女王という立場はそれを許してはくれない。
でもさ、ちょっと気を抜くと――なんだか――気持ちよく――なるんだよね――(笑)
「陛下、聞いていますか?」
「ひゃぅっ!?」
殺気を当てられて、思わず、びくっ! ってなってしまった。
リアトリスが苦笑している。……くそぅ。「たった1晩徹夜したくらいで、だらしないですよ?」って言いたげな顔をされてしまった。
ちょっと悔しい。……いや、本気で悔しい。
「わらわに殺気を飛ばすなんて、リアトリス、覚悟はできているのでしょうね? 不敬罪で首をもらいますよ?」
「いやいや、陛下、八つ当たりは見苦しいです。ちゃきちゃきと仕事を済ませて下さい。私なんて、24時にはメーン子爵領に向かって出発し、徹夜で馬を走らせないといけないんですよ? しかも、到着したら高レベルと思われる悪魔と即戦闘です。陛下が代わってくれますか? できれば今すぐにでも、仮眠を取りたいのですけれど?」
たたみかけるような疑問形の嵐に、思わず口をつぐんでしまった。
「陛下、どうします?」
「絶っ対に嫌です! わらわは頭脳派ですからっ」
「……その言い方ですと、私が脳筋みたいじゃないですか」
徹夜で馬を走らせて、高レベルの悪魔とガチバトルする人間は、十分脳筋だと思う。
「怒りますよ?」
あ、いけない、顔に出ていたみたい。
リアトリスには私のポーカーフェイスが効かないのを忘れていた。
「ごめんなさい。――話を戻しましょう。リアトリスは、何の話をしていたんですか?」
リアトリスに「話題の切り替えが下手ですね? でも、まぁ、外国の特使ではない私が相手の時なら良いです」といった優しい顔をされてしまった。
「話していたのは――メーン子爵領の悪魔の件です。偶然でしょうがノーズ・ダム・スマトラの予言と重なります。――という話をしていました」
リアトリスの言葉に、頭の中で記憶をたどる。
ノーズ・ダム・スマトラ。
彼女は999年前の有名な錬金術師であり、魔法使いであり、貴族であり、偉大な先を視るものでもあった。地震や干ばつを予言し、被害を最小限に抑え、民衆からも国家からも絶大な信頼を得ていた彼女。
でも、たった1つの予言を外したことが、彼女の運命を変えてしまう。
黒死病を予言できなかったのだ。
大陸の人口の5分の1が死んだと言われる黒い死神、それを「民衆に知らせなかった罪」に問われて、彼女は処刑されることになる。
本当に予言ができなかったのか、あるいは、予言の内容があまりにも酷過ぎて、優しい彼女が民衆に知らせることができなかったのかは、本人以外の誰にも判らない。
民衆を抑えるためとはいえ、当時の王がいかに愚かだったのか理解できるエピソードだけれど、大切なのはそこでもない。
今、重要なのは、死の直前に彼女が遺した言葉。
民衆を、貴族を、国家を恐怖に陥れ――彼女を『終末の予言者』と呼ばれる大罪人へと押し上げた最後の予言。
「確か――『3つの赤い月が1つに交わる時に、月の子どもが降ってくる。この世界の明日を壊す悪魔が現れるのだ。泣け。叫べ。震えろ! お前達の明日には、希望が満ちている!』――でしたよね?」
わらわの言葉に、リアトリスが苦笑する。
「陛下、よく覚えていますね?」
「もちろんですよ。4日前、公式行事で王立劇場の公演を見に行きましたから。今年がちょうど『3つの赤い月が交わる年』なので、劇の人気も出ているみたいですよ?」
ノーズ・ダム・スマトラの、恋人役の役者が格好良かったんだよね。
今の世の中には男がいないから、もちろん女性なのだけれど、きりっとしていて何か良かった。今度、お忍びで見に行こう♪
「正直、危機意識が足りない気がします」
その言葉は、わらわに言ったのだろうか? 国の民に言ったのだろうか?
前者だったら、頭の中に突っ込むのはやめて欲しい。
「人間って、そういう生き物でしょう? 怖いもの見たさみたいなモノもあるでしょうし……何よりも、みんな刹那主義になってしまっているから」
「あまり良い傾向とは言えません」
「そうですね。民衆の心を掴んでおかなければ、国家の安定なんて夢のまた夢ですから」
「本当です。陛下、その――「そのためにも、例の人口減少対策魔法は実用化に向けて、上手く事が進んでいるのですか?」」
何かを言いかけたリアトリスの言葉を遮る。いつまでもお説教をされるなんて、眠いのに、やめて欲しいから。
リアトリスが渋い表情を隠さないで言葉を発する。
「例の人口減少対策魔法は『生で食べられる魚』が大量に必要になりますから、コスト面が1番の課題ですね。事実上、お金の有り余っている貴族や大商人、漁村の近くの比較的裕福な人間しか、実用化できないと思います。現状では、人口減少対策魔法を全国民に普及することはとても難しいです」
そこでリアトリスが一度だけ小さな間を作り、言葉を続ける。
「あと、今回の実験は秘密裏に行っているのですが、ちらほらと貴族や豪商の間に実験の情報が洩れているみたいです。生で食べられる魚の相場が、ここ1年で急激に上がったことも、それを裏付けています」
「あまり良くない傾向ですね?」
さっきのリアトリスの言葉と同じだけれど、意趣返しではない。
思わず口から出てしまったのだ。
「はい。申し訳ありません」
「……リアトリスに謝られても仕方ないわ。実験は続けなさい。人口減少対策こそが、明日につながる希望なのですから」
ふと、自分の口から出た言葉に考えてしまう。
明日につながる希望なんてあるのだろうか? わらわ達は、ただ、溺れるように、あがいているだけじゃないのだろうか? このまま何もしないで沈んでいった方が、苦しまずに済むのじゃないだろうか?
自虐的な言葉が口から漏れてしまう。
「案外、ノーズ・ダム・スマトラの予言通りかもしれないですね。今回、メーン子爵領に『明日を壊す悪魔』が召喚されたのかも♪」
笑ったつもりなのに、リアトリスに怒ったような視線を向けられてしまった。
「縁起の悪いことを言わないで下さい。私は、これからその悪魔と戦わないといけないんですよ? 悪魔が出たのは、あくまでも偶然です!」
「だじゃれ?」
「いいえ、狙って言った訳じゃないですよ? あくまでも、天然です」
少しだけ、空気が柔らかくなっていた。
「そう。それにしても、偶然と言い捨ててしまうのは……リアトリスも、危機意識がなっていないと言えますよ? 劇を楽しむ王国民と一緒です」
「それは……そうですね、訂正します」
笑顔のリアトリスが言葉を続ける。
「この世界には、これ以上壊れる要素はありません。男性という世界の半分が事実上消滅した今、どうすれば、さらに世界が壊れるというのですか。この世界の『明日』は、悪魔が来る前から、めちゃくちゃに壊れています」
それは、直視したくない世界の現実。
「……身も蓋もないですね。思わず、わらわは絶句しなかった自分を、褒めてあげたくなりましたよ」
「ええ。でも、確実に、人族の時代は終わりを迎えることになるでしょう」
「それで、長寿の魔族や神族の時代が、再びやってくると?」
自分で言いながら、それは世界の退化じゃないのかと感じてしまう。
リアトリスが、ぽつりと言葉を吐いた。
「これも時代の流れです。でも――最後の瞬間まで――私はグラス王国のために働きますよ?」
「……仕方ないわね。期待しています♪」
わらわが笑った瞬間に、部屋のドアがノックされた。
そして部屋の前で見張りをしていた女兵士が、事務的に言葉を発した。
「緊急報告です!」
「何かしら? 伝令を入れなさい!」
「はっ――」
頭を切り替えるために、目を閉じて深呼吸をする。
そして王族の固有スキルの「威圧する波動」を発動させる。
目を開けると、伝令の女兵士が走り込んで跪くところだった。
「発言を許可します。おもてを上げなさい」
「はっ! 報告します。ライラ伯爵領とメーン子爵領の境目の街マラウィーにて、城塞都市ルクリア方面に多数の隕石が落下したとの目撃情報が入りました!」
「多数の隕石ですか――」
続ける言葉に迷ってしまった。
正直、高レベルの悪魔発生やグロッソ帝国の万国博覧会の参加に比べたら、どうでも良いことだ。でも、それを言っちゃいけないと分かっている。兵士達に5個以上の隕石が降ってきたら必ず知らせるように通知を出したのは、わらわなのだから。防御貫通効果を持つ武器を作れる隕石は、できる限り集めておかないといけない。
区切った言葉を続ける。
「――悪魔の魅惑にかかった者に回収されると厄介ですね。後で回収班を向かわせます。で、どのくらい降ったのですか? 5個ですか? 10個ですか?」
「いえ、目撃情報によると『空が真っ赤に星の帯で染まった』とのこと。その数、少なくとも1500個以上の隕石が降ったと思われます」
「そ、それは本当なのですかっ!?」
わらわの声に、伝令の女兵士が一瞬、怯えたように固まったけれど――すぐに言葉を発する。
「は、はい。多数の住人および兵士達が目撃したとのことです」
リアトリスが、考えるような仕草をする。
「報告、ご苦労。兵舎に戻ってゆっくり休息を取ってくれ」
「はっ! ありがとうございます」
女兵士が謁見の間から出て行ったのを確認してから、リアトリスに声をかける。
「リアトリスは、どう推測しますか? 今回召喚された悪魔の仕業でしょうか?」
「悪魔の仕業だという可能性は低いでしょう。一度、城塞都市ルクリアを制圧しているのに、わざわざ隕石を降らせるメリットがありませんから。街に落ちれば被害は甚大ですし、農地に落ちても収穫が下がるだけです」
「破壊主義者とか、恐怖政治が目的かもしれませんよ?」
「どうでしょう? その気なら、召喚されてすぐに隕石を降らせているはずです。――が、メーン子爵家長女の言葉を聞く限り、そのような悪魔ではないみたいですから」
「それも、そうですね。……で? 分析の続きは?」
「逆にお聞きしますけれど、陛下はどうお考えですか?」
「1500以上の多数の隕石の落下といわれて、わらわは悪魔の仕業ではなく、おとぎ話の中に出てくる『星降りの魔神』が頭をよぎりました。国家機密ですけれど、彼女の封印地はメーン子爵領のローゼル湖畔でしょう? 悪魔が彼女を配下にするために封印を解いて、返り討ちにあった――と考えるのはおかしいでしょうか?」
「思わず笑ってしまいますね」
リアトリスが、あいまいな笑顔を浮かべて、それを直すように両手を頬に当てた。
「それは苦笑? それとも微笑み?」
「魔神復活がありえないと言い切れない、私自身に対する、自虐の笑みです。『星降りの魔神』が相手なら、ヴィランとローズ姉妹を叩き起こしてきた方が良さそうですね」
「そうですね、緊急事態には、考える頭はたくさんあった方が良いですわ。――エルム、手配して下さい!」
「はっ!」
無言で近くに控えていた私の側近が、駆け足で部屋から出ていく。
宮廷魔術師のイラン・ヴィランと宰相のローズ・マリーは夜に強いから良いけれど、宰相補佐のローズ・ウッドは夜が早いし寝起きも悪いから、全員が集まるまでには少し時間がかかりそうだ。
「それで、みんなが集まる前に、先にリアトリスと話をしておきたいのですけれど――調査隊が良いでしょうか? 討伐隊が良いでしょうか? 隕石の落下で、ルクリアは廃墟になって住民もゾンビやレイスになっていると思われます。当初の予定とは、送る人員が大幅に変わってきますよね?」
わらわの言葉に、リアトリスが嫌そうな顔をする。
「急いでルクリアに向かったとしても、隕石の落下から3日です。ゾンビやレイスはまだ低レベルでしょうが、その分数が多いでしょう。正直、うっとおしいですね。下手に拡散される前に、街ごと聖魔法や火の禁呪で焼き払うのがベストかもしれませんが」
「街ごと焼き払うのは、ちょっと躊躇われますわ。失うには少し惜しい家宝が、メーン子爵城にはいくつかありますし」
「ゾンビやレイスが拡散すると、厄介ですよ? 周辺の町や村にも被害が出る可能性があります。それは、陛下のお立場としては、不味いですよね?」
「……分かりました。ヴィランとローズ姉妹がやってきてから、どうするか打ち合わせしましょう」
「承知しました」
小さく深呼吸をしてから、リアトリスに問いかける。
「根本的な質問になりますけれど、リアトリスは星降りの魔神には勝てそうですか?」
「そうですね……私の知っている限り、過去の記録と照らし合わせると、星降りの魔神だけでしたら『防御貫通』効果を持つ武器さえ装備していたら、ほぼ確実に聖女騎士団だけで討伐可能です。が――未知の力を持つ悪魔が魔神の配下として生きていた場合、連戦になる可能性があります。回復役にイラン・ヴィラン以下、超再生が使える魔術師を数名連れて行っても良いですか?」
「そうですね……王都の守りが手薄になるのが心配ですけれど、平時ですから何とかなるでしょう。星降りの魔神に、王都で隕石を落とされる方が困りますから」
わらわの言葉に、リアトリスがゆっくりと首を縦に振る。
「王都の城塞魔法障壁は発動しておいて下さい。過去の記録や伝承によると、星降りの魔神は転移魔法を使います。復活直後でしょうから直接王都に転移してくる可能性は低いと思われますが、陛下のおっしゃる通り、王都に隕石を降らされると目も当てられません」
「分かりました。城塞魔法障壁は発動までに1時間かかりますから、ヴィランとローズ姉妹との打ち合わせの後に、すぐに王都の精霊に祈願します」
「それが良いかと思います」
リアトリスがそう言った直後、部屋のドアがノックされる。
「――陛下、3人が来ましたね」
「ええ。星降りの魔神を倒す、打ち合わせを始めましょう♪」
=グスターの視点=
「へくちっ!」
何か鼻がムズムズする。
「グスター、大丈夫?」
そう言いながら、ご主人様がグスターの口元をハンカチで拭いてくれる。……いけない、グスターとしたことが、ヨダレが垂れていたみたいだ。
ご主人様に幻滅されないか、一瞬だけ心配になったけれど――ご主人様の顔を見ていると、グスターのご主人様は、こんなことくらいじゃグスターのことを嫌いにはならない人だと気付いてしまって――なんだか、胸の奥があったかくなった。
「ぅんっ♪」
思わず、笑顔で尻尾を振ってしまう。
「?」
ご主人様が不思議そうな表情を浮かべる。
女の子みたいだと言ったら怒られるのだろうけれど、正直、ご主人様は、グスターから見ても可愛く感じる。黒髪に黒曜石の瞳は本当に、ショートカットの美少女にしか見えない。
でも、温かい雰囲気は、何だかとても頼りになる。
グスターのご主人様――3か月後に結婚する相手――は、とても不思議な存在だ。
5000年以上生きていたグスターは、それなりに結婚しても良いかなと思える相手がいた。逞しかったり、優しかったり、どうしようもないくらいダメなやつだったり。
でも、実際に結婚した相手はいないし、身体を許した相手もいない。
ご主人様とは出会ってたったの2日しか経っていないのに――結婚することになるなんて。身体を許してもいいかなと思えるなんて。
普通なら早まったとか思うのかもしれないけれど……悪くないと確信できているグスターがいる。多分、その気持ちは、シクラやラズベリも一緒だろう。
きっと、ご主人様の雰囲気がいけないんだと思う。
ご主人様は、初夏の木洩れ日のように、暖かくて気持ち良くて良い匂いがするんだ♪




