第2話_お願い勇者さま♪
=山下三青の視点(主人公ですよ?)=
僕は、会社を潰した。
水産会社を25歳で脱サラしてから、大好きだった熱帯魚のペットショップを3年経営して、そして潰した。
思いっきり、全力で、前のめりに――潰したんだ。
大きな原因は3つある。
1つ目は、「市場規模を読み切れなかった」こと。年々、熱帯魚業界が縮小傾向なのは知っていたけれど、水産業や熱帯魚の知識を持っている自分なら、どうにかできるという甘い夢を見ていた。
2つ目は、「価格競争に踏み込んでしまった」こと。器具も生体も大手の価格には勝てなかった。
3つ目は、生き残れるほどの「独自性を生み出せなかった」こと。言い換えれば「ブランド作りや差別化に失敗した」ともいう。
点在するマニア向けのニッチな市場はうま味が少なく、差別化しても効率も悪かった。アマチュアだったなら生存出来たのかもしれないけれど、プロとして食べていくには満足な売上につながらなかったのだ。
……なんてね。全部、事後の屁理屈だ。
本当は、自分でも分かっている。一番大きな原因は、「他人とのコミュニケーションが苦手」という僕の性格だ。
初めての売上げがあった時、喜びを分かち合える人がいなかった。
大量注文があった時、忙しさを共有出来る人がいなかった。
個人事業主から株式会社に変わる時、正直に興奮を話せる人がいなかった。
開業資金を借りた知人の1人から連帯保証人を頼まれた時、相談できる人がいなかった。
僕が連帯保証を引き受けた知人が自己破産した時、運転資金の融資を頼める人がいなかった。
経営が行き詰った時、アドバイスを貰える人がいなかった。
いよいよ資金繰りが苦しい時に――うん、その時には、もう誰もいなかった。
会社を飛ばすしか無かった。
本当に、誰1人として、助けてくれる人は、いなかった。
ここまで追い詰められてから「少なくとも、僕の夢にお金を貸してくれた人達には、本音で話をしていれば未来は変わっていたのかもしれない」って初めて気付いた。
手遅れって言うのだけれど。
「原因が分かったから、これを踏まえて、また起業しよう!」
……なんて言えるほど世の中は甘くない。
手元に残った4100万円の借金をどうにかしないことには、日々の生活もままならない。
ここで「普通の方法じゃ借金を返せないから、もう一度起業します! だからお金貸して♪」と言えるほどのバイタリティーとメンタルと面の皮と人脈があったのなら、今頃、僕は成功者の仲間入りをしていたと思う。
ちなみに、僕の連帯保証人だった両親はいない。
幸か不幸か、会社を潰した直後、交通事故で僕より先に死んでしまった。
「……」
時は金なり。
後悔する時間があったら、真面目に清掃員のバイトをしなきゃ。
仕事内容は、公園の清掃と池の錦鯉の餌やり。
給料は安いけれど、正社員登用が半年後にひかえている。
だから――笑顔とありがとうという気持ちを忘れずに、今日も一日頑張ろう♪
そう思って玄関で靴を履いた瞬間に、世界が真っ白になったんだ。
◇
――そして今にいたる。
うん、異世界に召喚されそうな理由は、どこにも無い。
本当に、本当に、どこにも無い(泣)
シクラには「ミオさまが魚を取り扱う商人さんだったことくらいしか、分からなかったのですが……なんだか、とても重い話でした……」とドン引きされてしまった。
僕に抱き付きながら心の整理をしているから、シクラに、ちょっと悪いことをしてしまったのかもしれないと後悔した。
ちなみに、心の整理の間は僕から離れてくれるのかなと思ったけれど、シクラいわく僕に抱き付いている方が気が楽なのだそうだ。
その理由は分からないけれど、シクラが現実逃避してくれているおかげで、僕の方もシクラに気を使わずに自分の考えを整理することが出来る。
美少女に抱き付かれているのに、平然としていられる自分がちょっと不思議。
いや、現実感が無いせいかもしれない。人間、大きなストレスに晒され過ぎると、自己防衛のために現実逃避してしまうって聞いたことがあるし。
とはいえ、シクラに異世界召喚されたのは事実だろう。
これは多分、間違いない。現在進行形の、もきゅもきゅ感とシクラの甘い香りが「コレハ、ユメデハナイ」と自己主張しているから。
異世界召喚、ちょっと悪く無いのかも♪
――という冗談は置いておく。それよりも気になることがあるから。
実は、自己紹介をしながら冷静に考えて、日本に残してきた借金のことが心に引っかかったのだ。わりと本気で気になっている。
某金融公庫と銀行から借りた2500万円はどうでも良い。
いや、融資をしてくれた担当者のことを考えると、どうでも良いはちょっと言い過ぎかもしれないけれど、こういうところは債務不履行リスクを頭に入れているから傷は浅いと思う。僕の勝手な判断だけれど。
(貸しはがしにあったとは、とても言えな――げふん、げふん!)
本気で返さないとまずいのが、以前の勤め先の社長から借りた600万円と、大学時代の先輩後輩からかき集めた400万と、取引先から借りた400万円+買掛金200万円。
この1600万円分は、何が何でも返したい。いや、返さなければならない。
どんなに時間がかかっても、僕が返さなければ、彼らの生活が壊れてしまう。
自己満足とか思い上がりとか言われることもあるけれど、僕と同じような「お金のせいで凸凹になってしまう人生」を、他の人に味あわせたくない。味あわせてはいけない。
お金が無いことで、どんなことになるのか、どんな目に遭うのか、僕は知ってしまったのだから。
うん。
とりあえず、召喚された理由をシクラに聞いて、ちゃきちゃきとこっちの世界の問題を解決して、早急に日本に帰る手段を見つけよう。そして、借りたお金を返そう。
異世界召喚されてしまったせいで、何というのか、元の世界にいた時よりも危機感を覚えてしまった僕がいる。このままじゃ、死ねない。僕は必ず生き残る。
そして、日本に、帰る方法を――
「ミ・オ・さ・ま・っ!」
若干不機嫌そうな、大きな声が僕の耳元で聞こえた。
シクラを見ると唇が尖っている。顔が近い。
「ぅ~!」
目の前に大きなアヒルさんが登場していた。
冗談でもキスしてくれるといった雰囲気じゃない。結構、本気で怒っている――そんな感じだ。
「ミオさま、ずっと名前を呼んでいたのに、無視するなんて酷いです!」
本当に聞こえなかった、とは言わない。もっと怒られてしまいそうだから。
「ごめん、元の世界のことを考えてたんだ。集中し過ぎてしまったみたい」
「そうなんですか? 集中するのは良いことですけれど、もう少し周りのことも見て下さいね?」
「うん、シクラのこと、これからはちゃんと見るようにするよ」
僕の言葉に、シクラの目の色が柔らかくなる。シクラの口元がによによしているから、嬉しかったのだろう。
……将来、悪い男に騙されないか、お兄さんは心配だ。
「ところでさ、シクラ。いくつか質問したいことがあるんだけれど、良いかな?」
「はいっ! 何でも聞いて下さい」
「それじゃ、早速――」
勇者召喚のことについて聞こうと思ったのだけれど、その前に、ずっと覚えていた違和感の原因を確かめよう。
何というか、今更だけれど、僕の身長は縮んでいる可能性がある。
最初見たとき、シクラの身長は150~160センチくらいかなと感じたんだけれど……今の僕、キラキラした瞳でこっちを見ているシクラと同じ目線だから。
「ねぇ、シクラ。今の僕の姿って、どんな風に見えている?」
「はい? 普通ですよ?」
「普通? 一応、人間の男で28歳くらいのおじさん、っていう外見で大丈夫かな?」
たまに、召喚されたらモンスターになっていました――とかいう小説があるから、念の為、人間という言葉も入れておいた。この世界にいるのか知らないけれど、エルフとかドワーフとか人型の魔族とかになっている可能性も無くは無いから。
「ええっと……人間の男の子、って言ったらいいのか……」
シクラの言葉が言いよどむ。あ、なんだろう、背筋が寒くなる。
「一応、僕、人間ではあるんだ?」
「はい。でも、28歳には全然見えないです。むしろ、私よりも若ぃ――っていうか、鏡でミオさま自身の姿を見てみますか?」
「あれ? この部屋、鏡があったんだ? どこにあるの?」
実は、最初から探していたのだけれど、大量の本棚と、大きな机とシングル用のベット、あとは小さなクローゼットしかこの部屋には無いから諦めていたのだ。
「私の魔法で出します。――光の精霊よ、ここに集まりて我らの姿を映したまえ。鏡!」
中二病っぽい詠唱に、僕の黒歴史が抉られる。
“光の精霊よ、ここに集まりて我らの姿を映したまえ”――うん、何の因果か、僕が罹患していた時によく唱えていた光の魔法だった。今のシクラみたいに鏡を出す魔法じゃなくて、自分の分身を生み出す最強魔法という設定だったけれど。
……。
過ぎ去ったことは忘れよう。傷は、まだ、浅い。
詠唱内容よりも重要なのは、目の前に現れた銀色の四角い鏡の方だ。
ここは「本当に魔法があるんだな」って感動するべき場面なのに、僕の心が躍らないもう1つの原因は、鏡の中に映っているシクラに抱き付かれている僕の姿。
男にしては長めの黒髪。身長はやっぱりシクラと同じくらい。
それは、まだ良い。
……何で、僕、若返って、いる、んです、か?
忌々しいこの姿は、僕が高校に入った直後の姿。
どんなに筋トレしても筋肉が付かず、どんなに牛乳を飲んでも160センチから身長が変わらず、街を歩けば男にナンパされ、女装していないのに私服姿は女の子にしか見えないと同級生にはからかわれ、好きになった女の子には「妹にしか見えないよ」と性別すら否定されるという、涙無くしては語れない過去の姿。
やっと大学に入ってから身長が伸びて、多少、男っぽくなれたのに……なんで、今更、この姿に戻らなきゃいけなかったんだろう?
「……シクラ、鏡で後ろ姿を見たいから、少しだけ離れてくれる?」
「いやです♪ まだくっ付いていたいです」
「シクラ?」
「い・や・で・す・♪」
ちょっとだけ、可愛いなと感じたのは内緒だ。
「……分かった。ちょっと動くよ?」
「はいっ!」
この体勢で動くとなると、「もきゅもきゅ~、もきゅきゅ♪ もっもきゅ~」って不可抗力で凄いことになる可能性が高いから離れて欲しかったんだけれど、シクラが離れたくないというのだから仕方無い。覚悟を決めて、動きます。
「きぁんっ!」
「……シクラ?」
そんな声を出さないで下さい。背徳感が半端無いですから。
「ご、ごめんなさい……ミオさま……」
「えっと、腕、ちょっとの間だけだから、離そうか?」
「離れたくないです……」
「そう……動いても良い?」
「は、はいっ。声が出るの、我慢、します……」
あ~、頬を真っ赤に染めて我慢するくらいなら、離れてくれても良いのに。
でも、シクラの真面目な顔が可愛かったから、そんな無粋な考えは改めた。
もきゅきゅ~を少しだけ楽しみながら、自分の後ろ姿を確認する。
うん、どう見ても、昔の僕に若返っている。
……はぁ、諦めよう。一応、召喚されてスライムとか蜘蛛とかスケルトンになった訳じゃないから、神様がいるのだとしたら良心的なのだと思い込みたい。
大きく深呼吸をして、気持ちを入れ替える。
「シクラ、鏡をありがとう。もう鏡はいいよ」
「はい。解除しちゃいますね」
頬どころか首まで赤くなっているシクラが可愛い。
そんなことを考えた直後、新聞紙を優しく丸めるようなバリパリッといった小さな音を立てて、鏡が空中に消えた。
「シクラの魔法はすごいね」
「えへへ、レベル32なので、光と水と炎の中級魔法までなら使えるんですよ」
「3属性? いっぱい勉強したんじゃない?」
正確に言うと、僕はこっちの魔法のことは全然知らないのだけれど、シクラが褒めて欲しいといった顔をしていたから褒めることにした。
それは正解だったみたいで、シクラの顔が、ぱあっと明るくなる。
「しました! もうそれは、ちっちゃい時から、一生懸命頑張りました!」
このまま可愛いシクラに、好奇心のおもむくままに魔法について色々と聞いてみたい気がしたけれど――最初に聞いておかないといけないことがあるから、まずはその質問を済ませようと思う。
「シクラ、質問があるんだけれど、こっちの世界のことを僕に教えてくれないかな?」
「はい、何から知りたいですか? 魔法ですか? 歴史ですか? それとも私の家の領地のことですか?」
「全部聞きたいけれど、まずは『大前提』から知りたいんだ。単刀直入に言うよ、僕という『勇者に解決して欲しい問題』がこの世界にはあるんだよね?」
例えば、「魔王を倒して」とか「囚われの姫君を助けて」とか「悪の勇者を倒して」とか「ダンジョン作って」とか「王家の内政を立て直して」とか「隣国に喧嘩売って潰して来て」とか。
うん、考えただけでも憂鬱だ。
「実は――」
シクラが言葉を区切る。そして生まれた沈黙。
「……」
なんでシクラは、顔が真っ赤になっているのかな?
口元が、言葉を発しようとしながら迷っている感じで、うにゃうにゃしているのが可愛いなんて感じてしまうじゃないですか。
「わ、私に……」
「私に?」
「こっ、こ、こ――」
「こ?」
「こだねを下さいっ!! お腹パンパンになるくらい!」
◇
……それはダメ。いけないお願いってヤツだと思う。
シクラには、まだ数年早い。
っていうか、「お腹パンパン」とか言われると、精神的な揺らぎがちょっと大きい。
保護欲>>越えられない壁>>食欲>性欲?>睡眠欲くらいになってしまったじゃないですか!
――とかいう馬鹿な気持ちと冗談は置いておいて、なるべく優しい声になるように注意しながら、シクラに話しかける。
「シクラ、そういうのは、『大人になって』大切な人と『結婚してから』じゃないと、口にしちゃダメだよ? お母さんになるっていうことは、とても大変なことで、同時に尊いことなんだから」
保健の教科書通りの返答をした理由? 僕は大人で紳士ですから。
……。
嘘です。僕はまだ、死にたくないからです。
ここでシクラに手を出したら、即死する未来しか見えない。
なぜかって? さっきから――ドアの透き間から、4つの目がこっちを見ているんですよ。
じぃーっと、瞬きもしないで、じぃーっと、こっちを見ているんです。
ギラギラと殺気を放つ4つの目が。
――それなのに、シクラがゆっくりと言葉を発する。
「私の未来を、めちゃめちゃにして下さい……」
次回は、話が動く前に「もきゅもきゅの気持ち」を一話挟みます。