第1話_青い、もきゅもきゅ
=山下三青の視点(一応、主人公ですよ?)=
本に囲まれた薄暗い部屋。足元には怪しげに蒼く光る魔法陣。
そんな部屋の中で一カ所だけ目を引く場所は、白いシーツが敷かれた簡素なベッド。
そこに目線が行ってしまう理由? それは、今は置いておく。
5月5日の子どもの日。
公園の錦鯉に餌をあげるアルバイトに行かないといけなかったのに、僕は異世界に召喚された。なぜ、異世界だと分かったのか? 答えは簡単、目の前に「日本語を話す青色の生物」が存在しているから。
伝説のスライム? まさか。視えたら「もっとヤバいモノ」です。
多分、僕はストレス社会に負けてしまったのだろう。
そう言えば「はい、お薬出しておきますね~♪」って優しそうな眼鏡の女医さんに言われた記憶が――あるわけない。
「私の勇者さま。何か考えごとですか? 悩みがあるなら、私にも共有させて下さい!」
それは「育ち盛りの子猫が精一杯背伸びをしているみたいだ」と形容したくなる、微笑ましくて可愛い声を発する、青色の生物。
……うん。何度見ても、間違いなく青い。
そう、青いのだ。
現状をもう一度だけ、整理しよう。
僕は、さっきから青髪の魔法使い――三角形の黒いロードコーンみたいな帽子を被っている、高校生くらいの水色瞳の美少女――にまとわりつかれている。
青い髪って何? ここは2次元? って最初は思ったけれど、地毛なんだろうなってすぐに分かった。
帽子のつばの下で揺れる、背中まであるサラサラの髪と真っ直ぐに切りそろえられた前髪。そこに、染めているような不自然さやパサパサ感が一切ないから。
本人いわく「シクラ」という名前で、メーン子爵家の次女らしい。
冬に咲く、病人に送っちゃいけない花みたいな名前だ。
……大切なのはそこじゃ無い。
いや、彼女の名前はかなり大切だけれど、それ以上に大変なのは、シクラが現在進行形で僕に抱き付いている事実、事案、事件です。比喩じゃなくて物理的に当たってる。
うん、もぎゅぎゅっとした豊かな胸には罪は無いけれど、これは事件なのです。
あ、一応、僕はロリコンじゃないですよ? シクラは間違いなく美少女の部類に入るけれど、僕は28歳の大人ですから、それなりの分別はあります。……あるはず、なのです。
お魚マニアをこじらせて、魚介類と水産業の知識なら誰にも負けないことの代償に、25歳の時「童貞魔法使い」に成り上がりましたけれど。
そう、多分シクラはめんどくさがり屋さんなのだ。
ローブの中のシャツの胸元が、第2ボタンまで外れているのが、いけないんです。
シクラが履いているシルクっぽい生地のニーハイソックスが、髪とおそろいの青色のリボンで、太ももに「ぷにっ♪」と留められているのが絶対領域なんです。
無警戒のくりっとした水色の瞳に、柔らかそうなピンクの唇、「きょとん?」っと擬音が脳内再生されてしまうような首を傾げる仕草、膝下まである黒いローブに白いシャツ、短めのスカート、ゆるふわサラリな髪の毛、そう、僕に抱き付いているシクラの存在全てが――悪いなんて、とても言えない……。
くっ、認めよう、僕がダメなんだ。
……でも、僕はロリコンじゃない。ここでシクラを女性として見てしまうのは、男の矜持が許さない。
バックべアード様に誓って、僕はシクラにあと5年は手を出さない! どんなに懐かれても、「もきゅきゅ~」は紳士の範囲で愛でるだけにしよう。YESロリータ、あっちから寄ってくるまで、NOタッチ! もちろん、肩に手を回すなんて犯罪です!
「……えっと、私の勇者さま?」
不思議そうな視線でシクラに声を掛けられてしまったけれど、クールに対応しよう。
通報されると嫌だから。
「あ、ごめんね、ちょっと『深刻な考え事』してたんだ」
何について考えていたかは、シクラには口が裂けても言えない。
でも、あえて冗談っぽく言ったはずなのに――シクラの表情が陰ってしまう。
「そうですよね……いきなり私みたいな子に召喚されても、びっくりしますよね……事実上、『人攫い』と変わらないこと、私はしちゃったわけですし……」
その寂しそうな笑顔を見る限り、シクラは責任感のある召喚者なんだろうなと感じた。
少なくとも、馬鹿では無い。
だって、異世界召喚という行為が、どんなことなのかきちんと理解しているみたいだから。
でも、シクラからは、僕の首に回した両腕を離そうとする気配を感じない。
彼女の中には、「自分が誘拐犯だという罪の意識」があるのに、なぜ、こんな行動を続けるのだろう?
僕の疑問は深くなる。
逆の立場で想像してみると分かりやすい。
――僕が美少女を異世界から誘拐しました。そして、ずっと抱きしめています。
想像するだけで自己嫌悪だ。吐き気がする。
でもだからこそ、シクラがこうしている理由を知りたい。
いや……知らないと命が危ないかもしれない。ここは異世界だから、普通の常識は通用しないと思っていた方が良い。召喚者のシクラが手を離した瞬間に、まだ召喚契約を結んでいない状態の僕が消滅するとか、逆にシクラが死んじゃうとか、何気にありえるから怖いのだ。
「ねぇ、シクラ。何で僕に抱き付いているのか、理由を聞いても良い? シクラが離れたら、僕、死んだりするの?」
「死にませんよ? でも、私が死んじゃいます!」
「っ!?」
頭で考えるよりも先に、シクラの背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめていた。
「きゃぅ、ゆ、勇者さま?」
シクラが僕から手を離して、ジタバタしている。
女の子としたら、当然の反応だろう。僕だって、出来ればこんなことはしたくない。
――って言うか、いつもの僕から考えて、女の子に抱き付くなんてあり得ない。でも、目の前の可愛い少女を死なせたくなくて身体が勝手に動いていた。
「シクラ、ごめん、でも、暴れたら危ないっ! 離れたら、死んじゃう!」
僕の言葉にシクラの動きが固まった。そして、戸惑うような顔を作った後、そっと抱き付いて来る。
シクラの服の中の空気が抜けたのか、ふわっと甘い香りがした。
「……ごめんなさい……さっきの嘘です……」
呟くようなシクラの声。
「嘘?」
「勇者さまにくっ付いていないと、寂しくなっちゃいます――って意味でした。本当は、離れても、大丈夫なんです」
頬を真っ赤に染めているシクラ。でも、抱き付いている手を緩める気配は無い。
「そう、なん、だ?」
「……はいっ♪」
くっ、女の子って怖いな。言葉と身体で、男心を殺しにやって来るなんて。
でも、僕は紳士。28歳だぞ、28歳。大人の対応をするべきなのだ。
「嘘、なんだ、よね? それじゃ、離れても、大丈夫、かな?」
僕の言葉に、ぴくんっとシクラの全身が反応して、小さく震えた。
「離れたく、ないです――」
シクラが言葉を続ける。
「……ダメですか、勇者さま?」
不安げな表情のシクラ。昔流行った某小型犬みたいに瞳がウルウルしている。
こんな顔をされてしまったら、ダメとか言えない。
でも、何で、シクラは僕の名前を呼んでくれないのだろう?
それが少し悲しい――と、そこで気が付いた。
僕が、まだ自己紹介を返していなかったことに。
そりゃ、名前を呼んでもらえないわけだ。
まずは、深呼吸をして、自己紹介から始めよう。情報収集を始めるにしても、シクラに、僕の名前くらい知っていて欲しいと思うから。
「シクラ、もう少しだけ、このままで良いよ。でも、自己紹介させて。――僕の名前は、山下三青。勇者さまって呼ばれるのは何だか堅苦しいから、下の名前で呼んで欲しいな」
僕の言葉に、シクラが満開の桜の花のような笑顔で頷く。
「はいっ! ミオさまって呼ばせて頂きます!」
「シクラ、ミオって呼び捨てで良いよ?」
シクラが頷きながら返事をする。
「はいっ、ミオさま!」
「み~お」
「さまっ!」
「み~お」
「さまっ!」
「……みぉ」
「さまっ!」
うぅっ、こんなにも懐いてくれるのなら、あと5年後くらいに出会いたかった。現状じゃ、「保護欲回路」が優先されてしまう。成長途中の子猫みたいで目が離せないけれど。
保護欲>>越えられない壁>>食欲>睡眠欲>性欲みたいな。
あははっ、子ども相手に、何を考えているのやら。
とりあえず、最後の選択肢を入れた馬鹿な自分を、反省しよう。
頭を切り替えるために、異世界召喚されるまでを、思い出してみるか。
シクラに、自己紹介をしないといけないし。
「……シクラ、僕の自己紹介と、元々いた世界のこと、少しだけ聞いてくれるかな?」
「もちろんです! どんな世界なのか興味があります♪」
好奇心にあふれたキラキラとした瞳。
シクラは、やっぱり成長途中の子猫みたいで可愛いな。
青色だけれど。