第14話_理不尽な女達
=三青の視点=
ベッドに横になった瞬間――
「はふぅ~」
思わず深い溜め息が出た。
今日は色々なことが有ったから仕方がない。
シクラの「もきゅきゅ~」から始まり、気が付けば、いつの間にかラズベリ&シクラと婚約という大変なことになっていたのだから。
元の世界にいた時には、魚介類と水産業の知識をこじらせて、いざという時に……いや、そうなることすらなく彼女に逃げられてばかりの僕だったけれど、童貞魔法使いは無事に卒業できそうだ。この若返った身体でも、息子はとても――特にラズベリと一緒のお風呂で――元気だった。
いや、むしろ、よく我慢できたと自分で自分を褒めてあげたいくらいだ。
……いけない。
ラズベリの紫髪と白い双丘のコントラストが脳裏にちらちらして、眠れそうにない。
シクラの「もきゅきゅ~」な感触を思い出してしまって、眠れそうにない。
……どうしよう?
とりあえず、ベッドから起き上がって、サイドテーブルにあった水差しの水をコップに入れて飲む。
ガラスの窓を手で開けて、外を眺める。
いびつな波模様や気泡が入った窓ガラス越しじゃ気付かなかったけれど、空に浮かんでいたのは赤い月だった。
「何もしなかったら――1年か」
ベッドに腰掛けながら、自然とそんな言葉が口から出た。
正直なところ、Yウイルスで1年後に人体発火で死んでしまうというのは、まだ全然実感が湧いていない。
死にたくはないけれど、今が幸せだから、感覚がマヒしているのだろうなと思う。
ミクニ先生の部屋で資料と格闘する時には、シクラも手伝ってくれると言っていた。
はっきりとは言わなかったけれど、シクラはミクニ先生のことが好きだったらしい。ミクニ先生がどんな人だったか気になるけれど、死んだ人に嫉妬するのも格好悪いし、聞かなくても追々分かるだろうと思うからそこまで意識はしていない。
明日はメーン子爵領内の視察。
水田や溜め池や用水路に加えて、実際にローゼル湖に行く予定になっている。
鯉やティラピアがいるのはローリエが教えてくれたから分かったけれど、こっちの世界の淡水に棲む鯉やティラピアが、どんな魚なのか早く見てみたい。地球の鯉やティラピアとは違うところがあるかもしれないから。
ちなみにシクラやラズベリの話では、グラス王国内で普通に貴族の食卓にも並ぶ縁起の良い魚だと聞いている。幸先が良い。
鯉やティラピア系の魚は、養殖も輸送もかなりしやすいし、味もそこそこ悪くない。
一方で、味を突き詰めるのなら、鮭系の魚に軍配があがると僕は思っている。
ラズベリの話では、最近はなかなか水揚げされていないらしいけれど、ローゼル湖の深い場所には鮭のような魚がいるらしいから、漁法によっては安全に獲れるんじゃないかなと僕は期待している。
もちろん、鯉やティラピアや鮭だけじゃなくて、エビや貝やカニといった魚介類も調査したい。色々な種類がいてくれるほど、水産業の幅が広がるから。
明日が、本当に楽しみだ。
コン、ココン♪
リズム良くドアがノックされる音で、思考が一時中断した。
……誰だろう? ラズベリ? それとも、シクラ?
コン、ココン♪
反応が無かったせいか、もう1度ドアがノックされた。サイドテーブルにコップを置いてから、慌てて返事をする。
「どうぞ、空いています」
「失礼します、ミオ様」
入って来たのは無表情なスレンダー美人メイドさん、もといローリエだった。
こんな夜遅くにどうしたのだろう?
「ミオ様は、まだ起きていらしたのですね」
「はい。何だか落ち着かなくて――「やはりそうでしたか」――えっ?」
無表情のまま、ローリエが僕に跨るように、ストンと僕の膝の上に腰を下ろす。見た目よりも軽い。昼間、花園で嗅いだバラのような甘い匂いがした。――じゃないっ!
「なっ、な、な、なにをしているんですか?」
目の前にいるローリエは無表情。表情が読めない。
「何って――期待して――良いんですよ?」
顔を近づけてくるローリエ。それを避けようとして、そのままベッドに押し倒された。
「ひどいです、私のキスを避けようとするなんて♪」
無表情のまま言われても、どんな反応をして良いのか困ってしまう。心臓がバクバクしていた。
「え、えっと――そう、ラズベリの指示でこんなことをしているんですか? 無理しなくても大丈夫ですよ?」
「ふふっ、可愛い。――無理しているのは、ミオ様じゃないですか。それに、コレはラズベリ様の指示じゃありません。私の自由意思です」
「ら、ラズベリに怒られますよ?」
「そうですね、メイドの分際でこんなことをしたら、凄惨な拷問をされながら殺されても文句は言えません」
「それなら――」
「でも、ミオ様は優しいから、私のことを助けてくれますよね? 内緒にしてくれるし、もしバレたとしても、『僕の方から無理やり迫ったのだから、ローリエは悪くない』とか言って、酷いことにならないように助けてくれますよね?」
――うぁぁぁ、確信犯、怖いです。
「そんなに怯えないで下さいよ。私は妾にもならなくて良いですから。たまに、そう、たま~に遊んで下されば、それで満足します♪ 避妊もちゃんとしますから、バレないですよ、ねっ?」
「む、無理ですよ!!」
僕はそんなに器用じゃない。絶対、ばれる自信がある。
「私には魅力を感じませんか? ふぅ、仕方ありませんね――実力行使――耐えられますか?」
もぞもぞと、僕の上で、メイドさんが、服を脱いでいく。
しなやかな白い肢体とつるぺたな胸が背徳的な魅力を放っている。……えっちなメイドさんに襲われるというのは、昔、憧れていたシュチエーションの1つだったはずなのに――今は恐怖しか感じない。
「ミオ様、1つだけ忠告しておきます。優しい性格は素敵ですけれど、押しに弱いとこんな風にレベル40程度の武装メイドに押し切られてしまいますよ? ――それでシクラお嬢様を守れますか?」
すっと、頭が冷静になれた。
……でも、身体が動かせるかどうかは、また別だった。
やばい、ちょっと、ピンチかも。
=ローリエの視点=
ふぅ、まったく。ラズベリ様も人が悪い。
ミオ様の「女性に甘いという弱点」を克服させるために、私を使ってトラウマを植え付けようとするのだから。
ミオ様も、大変ですよね。
私みたいな無表情のペッタン女の裸を見せられるなんて。
私に押し倒されたことがトラウマになって、ミオ様の甘さが無くなってくれることを切に願う。
危機感を持っていないお人好しだから、ミオ様は、ダメなんですよ?
「ミオ様、何を固まっているんですか。固まって良いのは――あはっ、元気になってる♪」
うん、ラズベリ様が用意していた台本の言葉は、かなり非道い。
私の貧相な身体で、ミオ様が元気になるわけ無いじゃないですか。
ああ、なんだか憂鬱。自己嫌悪。今日のコレは黒歴史決定だ。
「もっと、元気良いこと、しよ?」
ラズベリ様~。
まだ止めに出て来てくれないのですか?
用意していた台本のセリフ、もう無くなっちゃったんですけれど?
「……」
「……」
5月とはいえ――このままだと、下も脱ぐことになって、寒いのですが。
私の黒歴史が量産されるのですが!!
「……」
「……」
……何故、ラズベリ様は入ってこない?
ミオ様の視線が、痛いのですが?
「……」
「……」
これ以上は、流石に、寒い――っていうか、乙女として、ダメだと思うんですけれど?
私、残り、パンツと靴下だけなんですけれど?
「……ローリエ? 無理しなくて、良いからね?」
「ひゃぅ!?」
思わずびくっとしてしまった。
くそぅ、屈辱だ。
「わ、私は、無理なんてしていないっ! 今から、キスするから、目を閉じろ!」
「いや、それは――」
「ごちゃごちゃ言うな!」
早く、そう、早く、ラズベリ様出て来て!
そうじゃないと――私――キス――しちゃいま――す――
「ローリエ、ごめんっ!」
いつの間にか私の口元を塞いでいた、ミオ様の手。
柔らかくて、温かくて、ちょっぴり逞しい。ああ、押しに流されずに、ちゃんと拒否することができるんですね。
お姉さん、嬉しいです。
っていうか、こうなるまで止めなかったラズベリ様、ちょっと恨みますよ?
可能性としては低かったと思いますが、もし、あのまま私の唇が襲われていたら、どう責任を取るつもりだったのでしょうか? 私の乙女心と純潔は超々高いのですよ!?
「ミオ様、ごう――」
合格です、と言おうとした私の言葉を――窓の外の閃光が遮る。
「――っ!?」
「ローリエ! 危ないっ!」
ミオ様に抱きしめられた。
あれ? なんだろ? わるくない? ――と思った瞬間、私はミオ様の腕の中に入ったまま床を転がっていた。
早い。痛い。
ただ、単純にぐるぐる回る世界に、驚いてしまってついていけなかった。
一瞬遅れて、何かが至近距離で爆発した音で身体が揺れて――ズグズ、ズグッ、ズグッという何かが泡立つ嫌な音で我に返る。
窓側の天井が無くなって、星空が見えていた。
いや、天井だけじゃない。部屋の半分が、窓側の壁の全部が、高温で溶かされたみたいに無くなっていた。
耳障りな音を立てているのは、沸騰した石壁だったモノ。
「第二波が来ます!」
ミオ様の声と同時に見えたモノ、それは、星だった。
星が、空から、降って来る?
あれが、落ちたら、ドンナコトニナル?
「――きぁぁあぁぁっ!!」
叫び声がうるさい。誰? 誰の声? ――って、私の声だ。
叫んでいる場合じゃ無くて、ラズベリ様やシクラ様にこの事態を知らせなきゃいけないのに。
ああ、星が降ってきた。
「光の精霊よ、ここに集まりて――」
ミオ様が魔法を詠唱しながら魔法障壁を張ろうとしている。
「――我らの姿を映し――」
って今、ミオ様が唱えている魔法、魔法障壁じゃないですっ! それ、鏡!
鏡の魔法なんですっ!
「――たまえ。鏡!」
ダメだ。鏡は見た目は魔法障壁に似ていますけれど、石が当たっただけで割れちゃう、すっごく脆い鏡を張るだけなんですよ!? 隕石を防げるわけ――あぅっ、ミオ様に抱きしめられているから、逃げられない。
もうダメ、おやすみなさい、私。
優しい男の人の腕の中で死ぬのが夢だったけれど、パンツ一丁&靴下姿で死ぬなんて……最後の最後に黒歴史確定だ。
=三青の視点=
今の状況から説明しようと思う。
僕は、部屋の暗がりにいます。
腕の中には全裸に近いメイドさん。
部屋の入口には、ラズベリと、シクラと、騒ぎを聞き付けた女性兵士にメイドの皆さん。
そういえば、ローリエ、悲鳴を上げていたような……うん、気絶している。
――数え役満で有罪? いいえ、僕は無罪です!
言葉が出ないから、目線だけでシクラと会話をする。
『空から星が降って来たんだ。うん、隕石ってやつ。しかもかなり大きな。ほら、天井に穴があいているじゃない? 嘘じゃ、無いよ?』
『……』
『え? それはもう知っているって? そう、シクラもびっくりしたよね、僕も驚いたから』
『……!』
『え? シクラは、もっとびっくりしたことがあるって?』
――シクラの顔が、引きつるように、歪む。
『隕石を、とっさに鏡の魔法を使って、衝撃を和らげたんだ。良いアイディアだったと思わない?』
――思わないよね、この状況。
「ぅふふっ♪」
――あ、ラズベリがおかしそうに笑い出した。
ラズベリ、怒ると笑うタイプなんだ。
はい、一番怖いタイプですよね。女性兵士やメイドの皆さんも「びくっ!」ってなったし。
シクラがゆっくりと口を開く。
「ミオさん、ひどいです。私とお母さまと婚約をしたばかりなのに、ローリエにまで手を出すなんて! よりによって私の姉同然だったローリエに手を出すなんて!」
ぐはっ! 心が痛い。
女性兵士やメイドの皆さんの視線も痛い。
「ちっ、違う――「何が違うのです? 言ってみて下さいな?」」
言葉を重ねたラズベリが、にっこりとした顔で首をかしげる。
ここが運命の分かれ目のような雰囲気。
女性兵士やメイドの皆さん、そしてシクラが息をのんで僕を見ている。
「そのっ、押し倒されたけれど、何も無くて――「ローリエは、こんな姿ですよ?」――はい、ローリエが勝手に脱いで――「ミオさんは止めなかったんですか?」――いいえ、止めようとは――「言ったのですか?」――はい。――「いつ言えました? 押し倒される前? 押し倒された後? ローリエが服を脱ぐ前? 脱いだ後?」――ごめんなさい。――「謝らなくて良いですよ。だから正直に言って下さいな?」――ローリエが脱いだ後です。――「ミオさん、反省はしていますか?」――はい。脇が甘かったと思います。――「そう、正直者は大好きですよ。許します♪」」
「「「「「えっ?」」」」」
僕とシクラと他のメイドさんや女性兵士達の声が重なった。
目線を上げると、くくっとラズベリが笑いをこらえていた。
シクラはその横でぽかんと口を開けている。
「「あの、もしかして――」」
僕とシクラの声が重なると、嬉しそうにラズベリが話し出した。
「そうですよ♪ ローリエには、わたくしが指示を出して、ミオさんを誘惑するように伝えていたのです。ごめんなさいね、試すようなことをして。でも、ミオさんも脇が甘かったのだから、そこはちゃんと考えて下さいね?」
「お母さま! そんなことをしていたんですか!?」
「ええ。だって、ミオさんが、悪いんですもの♪」
「……僕が、悪いんですか?」
「そう。女の子にベタ甘じゃないですか? こんなんじゃ、これから後、どんなハニートラップに掛かるのか、心配で心配で……」
ラズベリのその言葉に、否定しようと思ったけれど――女性兵士やメイドさん達の微笑ましいモノを見る視線が、ちょっと痛い。さしずめ、僕は警戒心の無い「生まれたての子猫」みたいに思われているのだろうなと理解してしまった。
「……否定できない、僕がいます」
「ミオさんに、自覚してもらえて嬉しいです♪」
「はい……でも、隕石を落とすのはやり過ぎじゃないですか? 死ぬかと思いましたよ」
子どものようにほっぺたを膨らませてラズベリが苦笑する。
「まさか、偶然ですよ。隕石を降らすなんて、わたくしが出来るわけないじゃないですか。出来たとしてもする理由が無いじゃないですか。でも――ローリエを助けてくれてありがとうございます。あと、ミオさん自身も生き残ってくれてありがとうございます」
後半は、真面目な顔だった。
「えっと、本当に偶然なんですか?」
「そうですよ。わたくしも最初は驚いたのですが、隕石は偶然です。あ、でも、たまに拳大の小さいのが空から振って来るので、あまり珍しい現象でも無いんですけれどね」
部屋が一つ壊れたというのに、偶然で済ませて、そこまで隕石のことを気にしていない様子のラズベリの言葉。それに続けて、シクラが口を開く。
「そうですよ、ミオさま。そもそも、星を振らせられるような魔法が使えるのは、おとぎ話の中に出てくる――「呼んだのはお前か?」――えっ?」
シクラの言葉に、女性の声が重なった。
「妾を呼んだのは、そこの青い髪の女、お前だな?」
聞き間違いじゃない。目線を部屋の外に向けると、空中に身長150センチくらいの獣耳娘が立っていた。
ピンと跳ねた銀の狼耳。月の光を反射する銀髪のツインテールと、闇の中で煌々と光る銀色の瞳。そして何よりも目を引いたのは――背中に付いた銀色の翼と揺れるもふもふ銀尻尾、そして頭の上の黄金色の丸い輪っか。
「狼耳の……天使さま?」
シクラが呟いた声が部屋に響く。
でも、グスターが手に持っている切れ味の良さそうな大鎌――彼女の身体よりも大きい――は、天使と言うよりも死神に近い印象を僕に与えてきた。
シクラの言葉に一瞬遅れて、真顔になったラズベリが首を横に振る。
「違います。この姿、この大鎌、この魔力……彼女は、おそらく歴史書やおとぎ話の中に出てくる堕天使――いいえ、堕天使から魔神に成り上がった『星降りの魔神_スプリン・グ・スター・フラワー』。200年前に大勢の下僕を従え、神に刃向かった大魔神です」
ラズベリの声が、後半の方で震えていたのは間違いない。
僕だって、足が竦むような殺気をグスターから感じているのだから。
「ほぅ。グスターの名前を知っているのか。褒美に星を振らせてやる♪ 一瞬で跡形も無く死ねることを幸せに思え。星屑落下!」
グスターの声と同時に、空に無数の赤い光が見えてきた。
ラズベリが絶望の表情に変わる。
「くっ、ここはわたくしが何とかします! 城が倒壊する前に、シクラとミオさんは逃げて下さい! 皆も逃げて! 早くッ!」
「ダメです、お母さま。私も戦います! 私だって魔法が、魔法障壁が、使えます!」
「ダメです!」
ラズベリの言葉に、女性兵士やメイドの皆さんが頷く。
「「「私達がラズベリ様と供に戦います――だから、シクラお嬢様はミオさまと逃げて下さいっ!」」」
1人のメイドさんが上着を持って僕に近付いてきて、ローリエを抱きとめる。
ローリエが寒そうだったから、何も言わずにお願いした。
「みんな……ごめんなさいっ!」
シクラが僕の手を引いて、部屋の外に出ようとした。
でも、僕は動かない。動けないよ。
「ミオさま?」
シクラが不思議そうな表情で僕を見てくる。
逃げる? ……いや、違うでしょ?
とりあえず、僕はこれしか使えないけれど。
「光の精霊よ、ここに集まりて――」
何枚も張れる、丈夫で便利な魔法がありますから。
「――我らの姿を映したまえ。鏡!」
僕がみんなを守ってみせる。




