第13話_2人の夜
=ラズベリの視点=
ドアを開ける瞬間に、ミオさんの名前を呼んでしまったからでしょう。部屋の中には沈黙だけが広がっていて、シクラは話を始めようとはしません。
だけど、ここでわたくしから話を切り出すと、シクラは己の殻に閉じこもって本心を話してはくれないでしょう。
だから、今は――沈黙に耐えて、シクラが話を切り出すのを待ちます。
静寂が続く部屋。
気まずい空気に耐えられなくなったのは――やはりシクラでした。
「お母さまは、ミオさまのことが、本当に好きなのですか?」
その問いかけは、シクラの頭の中が、単なるお花畑じゃないことを意味しています。
「ええ、わたくしはミオさんのことが大好きです。見た目は女の子みたいで保護欲を刺激されますし、頭脳はわたくしの知らない世界のことを知っていますし、可愛い見た目に似合わず凶暴なモノ持っていましたし♪」
「?」
「あら、言っていなかったですか? さっき、ミオさんとお風呂に入ったのですよ♪」
「お母さまっ!」
「怒らなくても良いじゃないですか。何もなくて、お風呂に入っただけだったのですから。減るモノでもないですし、ね?」
「……減ります。精神的に」
「そんなに嫉妬するなら、明日は、シクラも一緒に入りますか?」
軽い冗談のつもりでした。初心なシクラなら、顔を真っ赤にして否定すると思っていました。それなのに、帰って来たのは予想外の言葉でした。
「お母さま、話を元に戻しましょう。――単刀直入に言います。何故、リリーお姉さまを王都に向かわせるようなことをしたんですか。聖女騎士団を連れてくるようなマネをしたんですか!!」
シクラの声が怒りに震えています。
その気持ち、今のわたくしには、ものすごく分かります。
だってわたくしも、ミオさんのことが嫌いじゃないですから。
でも、ミオさんは人間じゃないのです。勇者様だとしても、危険すぎる魔力を持っています。だから彼は、そう、人間だったとしても、戦闘慣れしていない今のうちに消さないといけない規格外品なのです。
許されざる者。人間の敵。明々後日には、聖女騎士団がやってきて討伐されてしまう存在。
ミオさんがいくらレベル1025とはいえ、聖女騎士が10人もいれば手も足も出ないでしょう。
「お母さま、無視しないで下さい!」
泣きそうな声でシクラが叫んだ。
「……仕方無かったのよ。ミオさんは悪魔で、わたくし達は人間です。相入れない存在なのですよ」
「本気でそんなこと思っているんですか!?」
「ええ、そうですよ?」
「……なら、なんで泣いているんです?」
「えっ?」
泣いてなんか、いないのに――あれ? 温かいモノが頬を伝います。
わたくしとしたことが、らしくないですね。この歳になって少女のように泣いてしまうなんて。
「シクラ、これは違います。そう――違うんです」
何が違うのかと言われたら困ってしまいますけれど、そう言うしか無いじゃないですか。
シクラが、小さく息を吸い込んだ。
「……お母さまも本当は、ミオさまのことが好きなんですよね? 好きになってしまったんですよね? 最初は、時間稼ぎのつもりだったのに――気が付いたら、本気で好きになっていた。違いますか?」
「わたくしが素直に認めると思いますか? 自分の娘にそこまで言われて」
認められるものも認められなくなってしまいますよ?
「……ごめんなさい」
「分かって下さるのなら、良いです」
「でも、お母さまはどうするつもりですか? このまま、ミオさまを見捨てるつもりなんですか?」
「そうですね……ちょっと考えさせて下さい」
わたくしは、対応を間違えてしまったのだ。
王都に早馬を出して、「勘違いでした。てへっ♪」と軽く伝えられればいいのでしょうけれど、リリーはその中身を信じないと思います。だって、シクラとわたくしは、ミオさんの魅惑にかかってしまっているとリリーは考えているのですから。
なので、こっちからの情報提供は、すべて無視されると思って良いでしょう。
それはつまり、こっちが何をしても、聖女騎士団はメーン子爵家へやってきてしまうことを意味します。
一般的な魔力探知や人物鑑定ができる程度の人間なら、ステータス偽装の魔法や魔道具で誤魔化せるでしょうが……平均レベル120という聖女騎士のスキル保持者の人物鑑定では、ミオさんの異常なレベルやステータスに気付かれてしまいます。
ミオさんは悪魔じゃなくて勇者様だ、と言えば言い逃れができるでしょうか?
いいえ、それはあり得ませんね。普通の人間じゃあり得ない魔力のせいで、たとえ勇者様だったとしても、危険人物として消されてしまうでしょう。
事実、わたくしもそう思った一人ですから。
でも、今やミオさんはメーン子爵領にとって有益な存在です。いえ、異世界の知識はグラス王国や大陸を救ってくれるかもしれません。
本当に……困ってしまいました。
ここまで考えてみて、やっぱり聖女騎士とミオさんを会わせるのは危険だと判断できます。
「正直、迷っているのです」
「お母さま、何をですか?」
少し怒ったような表情で、シクラがわたくしに聞いて来る。
「このままミオさんに何も言わずに、聖女騎士団とぶつけてしまうのか、何もかも全て話して、ミオさんに逃げてもらうか――」
「聖女騎士団とぶつかるなんてあり得ません! いくらミオさまでも――」
そこでシクラが何かに気付いたように言葉を区切る。
「いえ、ミオさまのレベルは1025だから、聖女騎士団では防御を抜けないですっ!」
そう。この世界には「相手の防御力-こっちの攻撃力=生まれた差」が大きくプラスなると、いくら剣や魔法を使ってもダメージが通らないという法則があります。事実、今日の昼間はミオさんにわたくしの禁呪が効きませんでした。発動前に、魔力を霧散されてしまったのです。でも、それにも例外があります。
「最初はわたくしも、レベル差があるから大丈夫だと考えました。でも、聖女騎士団の中には『防御貫通』や『即死攻撃』や『耐性解除』のスキル持ちがいるのです。これらの攻撃が通ってしまったら、ミオさんでも危険です」
防御貫通は、相手の防御を無視して自分の攻撃力と同じダメージを相手に与えるスキル。
即死攻撃は、文字通り当たれば相手を即死させるスキル。
耐性解除は、各属性への耐性や毒や麻痺の耐性を無視して相手にダメージや状態悪化を与えるスキル。怖いことに、即死無効のスキルも例外無く解除してしまいます。
わたくしの考えていたことが伝わったのか、シクラが暗い表情になります。
でも、わたくしは言葉を続けます。
「それに加えて、ミオさんが聖女騎士達と戦えるかという懸念もあります。ミオさんは優しい人ですから、武器で相手を傷つけることを嫌がっています。迷いのある剣で、聖女騎士団と戦える人間なんていませんよ」
わたくしの言葉に、シクラが頷く。
「それもあり得ますね……。私やお母さまの身の安全が保障されるなら、ミオさんは聖女騎士団に抵抗すらしない可能性があります」
「そうなると、選択肢は1つだけ。ミオさんに逃げてもらいましょう。Yウイルスのせいで世界が戦争を放棄した今、帝国もしくは周辺諸国に逃げられたなら、一国機関にすぎない聖女騎士団の立場ではミオさんに手を出せません。幸い、いずれの国にも知り合いの貴族がいますから、しばらく匿ってもらえるでしょうし」
「……そう、するしか、ないですよね……。あの、私――」
「ミオさんと一緒に行きたい、って言うんでしょう?」
小さな沈黙が部屋を包みます。天使が通り過ぎたのかもしれないです。
「はい……ダメでしょうか?」
「……ダメと言っても付いて行くんじゃないのですか?」
「そう言われると、そうかも知れません」
「わたくしの娘ですもの、反対されたら余計に燃え上がる性格だと知っています♪ でも――」
「でも?」
「出ていくタイミングはよく考えて下さいね。闇雲に、下準備も無しに、無計画で旅に出るのは危険ですから。そうですね――3ヶ月だけ、旅をすることにしたらどうでしょう? ほとぼりが冷めたら、ここに帰って来ても大丈夫でしょうし」
「3ヶ月で大丈夫でしょうか?」
「少なくともリリーは、わたくしが説得しておきます。あとは何とかしてみせますよ」
「はいっ、お願いします! 旅の準備の方は――最低でもお金と武器と馬は必要ですよね?」
「ええ、準備をしておかないといけないですね。あと、メイドのローリエも連れて行きなさい。ローリエなら旅に慣れていますし、レベルも40と、そこそこ戦うこともできますから」
「はい。確かに、ローリエがいてくれる方が、心強いです」
「出発は、準備を含めて2日後、つまり明後日の朝に出ればちょうど良いと思います」
「? 明日じゃいけないんですか? 明後日じゃ、リリーお姉さまや聖女騎士団の人がやって来るかもしれませんよ?」
「それは大丈夫。リリーは、おそらく明日の午後に王都へ到着すると思います。そこからすぐに聖女騎士が派遣されたとしたら、こっちに到着するのは3日後の明々後日の朝になりますので」
「でも、少しでも距離を稼いでおいた方が――」
「ダメですよ。焦って準備を怠ることの方が危険ですから。それに、聖女騎士団やリリーの方は、わたくしがここに残ることで、多少の時間稼ぎが出来ますし」
「はい、お母さまがそう言われるのなら、分かりました……」
まだ少し心配そうな表情のシクラ。
背中を押してあげないといけないでしょうか?
「明日の領地視察は理由をつけて無しにしますので、しっかりと準備をしましょう。持って行く道具、地図でのルート確認、やるべきことはたくさんありますから、シクラも気を引き締めて取りかかりなさい。……ミオさんを死なせたくは無いでしょう?」
「――っ!? 分かりました。準備は入念にします!」
シクラと目線を合わせて、頷き合います。
「そのためにも――今日は、しっかりと休みなさいね?」
「はい、お母さま。お休みなさい」
「ええ、お休み」
シクラがドアの向こうにいなくなって、足音が遠ざかるのを確認してから――わたくしは小さく溜め息をついてしまいました。
「ミオさんをずっと騙していたこと……正直に話さないと、いけないですね」
自分の言葉に、苦笑いしか出ません。
娘との別れよりも、ミオさんに嫌われることの方が、何倍も何十倍も怖いのですから。




