第15話 迷いと始まり
カーテンを開けると、外は一面の曇天。
今にも雨が降ってきそうな様子のどんよりとした雨雲が、空を覆っている。
無論、青空どころか晴れ間さえ確認出来ない。
普段は傘を持って行かなくては、ぐらいにしか思わないこの天気も、今日ばかりは本気で晴れて欲しいと願う。
何て言ったって今日は一年に一度の体育祭なのだ。
雨なんか降って台無しにされて堪るかという話である。
いるかどうか良く分からないが、神様に祈っておく。
お祈りを済せ、念の為に照る照る坊主を二つ、三つ作り、軒下に吊して気付く。
やっている事が運動会、又は遠足を前日に控えた小学生の様ではないか、と。
自分の行動の幼稚さに少し呆れたが、恐らくこれが僕なのだろう。
そう自分に言い聞かせ、しばしの現実逃避を。
さて、これから何をしよう?
現実に戻ってきた時に最初に考えた事。
二度寝して、月乃が起こしにきてくれるのを待つというのも一つの策だ。
だけど、そんな事はしてはいけない。
月乃は使い勝手のいい家政婦、言わばメイドではないのだから。
しかしながら、よくよく考えると平日はそれが普通になっている気がする。
これからはちゃんとしよう。
そう決意し、先ずは着替える。
その後、次の行動が決まらず、右往左往していると、お腹の虫が鳴る。
……昨日、お腹を壊した為にあまり食べていなかったのだ。
己の欲する所に従う事にする。
冷蔵庫に何かしら入っている筈だ。
リビングに降りるともう月乃がいる。
時計が指している時刻は6時。
ちょっと早い気がしたが、月乃にとっては普通なのだろう。
おはよう、と声を掛ける。
月乃はピクリと体を震わせ、あの光ちゃんが……と呟きながら、ぽかんとした顔で僕を見つめている。
一人で起きてくるのがそんなに珍しいのですか?
改めて己の不甲斐なさを確認させられ、視線を落とす。
ため息を吐こうと息を吸った直後、再びお腹の虫が鳴き出した。
「お腹空いたから起きてきたの?」
全てを見通している母親の様な質問に、只頷くしか出来ない。
月乃はくすくす笑うと、おにぎりを二つ渡してくれた。
お礼を言い、おにぎりを頬張ると絶妙な塩加減と梅干しの酸っぱさが口の中に広がる。
頬が落ちるほど美味しい。
お世辞抜きでそう思える美味しさに、息をするのも忘れ食べ続けた。
月乃はまたもやくすくすと笑い、台所に戻っていく。
ぺろりと完食し、手伝う為に月乃に近付く。
彼女はおにぎりをせっせと握っている。
それはそれは手が何本にも見える程の速さで。
その結果がこれ、おにぎりの山である。
富士山の如きそれは台所に高く積まれ、その姿からは神々しさを感じられる。
「そんなに作ってどうするの?」
「ん、クラスの皆に差し入れとしてあげようと思って」
なるほど、クラスのやる気を上げる作戦ですな。
感心して頷いていると
「これ光ちゃん持ってくれる?」
とお願いされた。
この山を持って学校まで辿り着けるのか大いに疑問だったが、引き受ける。
月乃はお願いと手を合わせ、またおにぎりを握り出す。
僕も手伝い、程よい所で朝食を取る事に。
テレビを付けながら箸を進めると月乃が声を掛けてきた。
「光ちゃん、今日のバスケ、絶対優勝しようね♪」
「うん、優勝しよう」
言い合った後、へへっと笑う月乃。
突如、心臓が鼓動を速める。
あの日から月乃を妙に意識している自分がいて。
やっぱり月乃の事、好き、なんだ。
しかし、月乃はどうなのだろう?
誰か好きな人がいるのだろうか?
いるとしたらその人は、羨ましい……。
「光ちゃん、どうしたの?具合悪いの?」
月乃に言われ、物思いに耽っていた事に気付く。
何でもないよ、と返事をすると心配そうに見つめてくるが、納得してくれて、ぱくぱくとご飯を口に運んでいた。
時計を見ると、お馴染みの占いの時間。
「はい、今日もやっちゃいます。お天気お姉さんの今日の占いだよ♪
それでは、第1位は牡羊座の貴方です。今日の運気は絶好調!何をやっても上手くいくよ♪」
嬉しいし、気持ちも高ぶる。
だけど、言葉では言い難い何かが、僕の中を満たしていて、ほとんど聞いていなかった。
「……第3位は蟹座の貴方。今日は気になる人と近付けるよ。積極的なアプローチが幸運の鍵」
途端、顔を輝かせる月乃。
やっぱり好きな人がいるんだね……。
胸が締付けられる。
その笑顔の先に映っている人は誰なの?
せめて僕の知らない人であって欲しい。
そう、切に願う。
朝食を食べ終え、おにぎりを重箱に詰めて家を出る。
重かったが、今の僕には丁度いい。
いつまでも暗い気分では、せっかくの体育祭が台無しになるから。
そう思い歩を進めた。
――開会式。
体育館に全校生約480人と教職員約40人が入っている。
その割にゆとりのある事からも、ここの広さがうかがえる。
今は体育の先生が注意事項と、簡単なルール確認、今日の日程を話している。
今年も組対抗制度をするらしく、得点がどうだこうだ、順位がああだこうだと説明しているが、大半の生徒は耳を傾けてさえいない。
僕も同様に聞き流し、明後日の方向を眺めてため息を吐いた。
「どうしました、悩み事でもあるのですか?」
隣りにいた紫苑さんが、首をかしげ聞いてくる。
悩み事、か……。
ちょっと相談してみようかな。
紫苑さんに最近月乃を妙に意識してしまっている事、月乃が誰かを好きなのではないかと不安になる事等を話す。
彼女は神妙な面持だったが、話し終わるとプルプル震えて始め、終いにはプッと噴き出した。
人が真剣に相談しているのに、と腹が立ち、何かあった、と不機嫌な声で問い掛ける。
「いや、すみません。前にも似た様な相談をされたものですから、つい……。
それはそうと、月乃でしたら大丈夫ですよ」
「全然大丈夫な意味が分からないんだけど……」
「ふふっ、兎に角大丈夫です。なんなら賭けましょうか?」
自信満々紫苑さんの顔が、余りにも説得力があるものだった為、納得させられてしまった。
「でも何でそう言えるの?」
聞くと、彼女の視線が揺らいだ。
おかしい……何かあるな。
根掘り葉掘り聞き出そうと、再び口を開く。
「ねえ、何でそ「皆さん、おはようございます!明日の『姫と騎士と時々、兵士』、略して『姫騎士』について説明したいと思います」
突然の大声に遮られ、紫苑さんはチャンスとばかりに壇上に顔を向けてしまった。
どこのどいつだ。
顔を拝もうと壇上に目を移す。
そこには朱音ちゃんがマイク片手に微笑んでいた。
いつの間かにか体育委員長まで上り詰めていた……。
驚きつつも、話を聞く。
「この『姫騎士』は此処、体育館で行います。と言っても、今からトラップやギミックを張り巡らせる為、気を引き締めておいて下さい。
対戦方式ですが、今日とはうってかわり全学年入り乱れて闘ってもらいます。
対戦相手は事前にクジをもって決定いたしました。後に配る冊子に印刷されていますので、確認しておいて下さい」
はい、確認しておきます。
「次に、姫と騎士の衣装ですが、姫はドレスにティアラ、騎士は騎士服にマントを着て下さい。これらは第二特別教室に置いてあります。好きな色を選んで各自持って行って下さい。
尚、姫以外の生徒は頭に風船を付けます。これが破られると失格です。
これは設置されるカメラで確認次第、放送します。名前を呼ばれた生徒は速やかに退場して下さい」
姫、騎士の衣装……コスプレですか?
「続いて勝利条件です。
1、姫のティアラを奪う。
2、1を満たさない場合、制限時間の20分が終了した後、残っている人数が多い。
3、1・2を満たさない場合、騎士が姫を『お姫様抱っこ』して100m走で勝利する。
以上、三つです」
三つ目辛いな、おい。
100mはヤバいでしょ。
まあ、それまでに決着つければ問題ないけど。
「最後に反則について話します。
1、ティアラ、風船以外の場所を故意に狙う。
2、度を過ぎて攻撃をする。
3、武器の持ち込み、及び使用。
これらの三つが起きても放送でお知らせします。
これにて説明は終わりです。長々とありがとうこざいました」
その場で一礼した朱音ちゃんと入れ替えに良く分からない人が壇上に上がる。
「最後に理事長の私からお話しさせて頂きましょう。
今回の体育祭、各担任の先生方から聞いていると思います。
増額は本日の優勝組に各五千円、明日の『姫騎士』の一位から三位にそれぞれ五千円、三千円、二千円です。
えっ、教育委員会から苦情がきている?そんな事は無視しましょう♪黙っていたら分かりませんよ。
それでは、本日、明日共に全力を尽くしましょう」
理事長の言葉に会場がざわめきだす。
普通の学校関係者は教育委員会に頭が上がらないのに、この人は気にしないどころか無視しろとまで言ってのけた。
生徒のテンションが上がらない訳がない。
僕もかなりハイになってるし、いつも物静かな紫苑さんもはしゃいでいる。
「光ちゃん、バスケも『姫騎士』も優勝だからね♪」
月乃がトコトコ歩いてきて、そう言う。
今まで悩んでいたのが何だったのか、と思うくらい僕の心は晴れ渡っていて、彼女の言葉をそのまま受け止められた。
「勿論、そのつもりだけど?」
おどけて言うと満面の笑みが、目の前に現れる。
「光ちゃん、行こっ」
月乃が人目を憚らずに手を前に出してくる。
恥ずかしかったが、久しぶりに手を繋いだ。
すると、背後から二つの笑い声と沢山の叫び声が。
二人して振り返ると、沢山の目がこちらに向いていた。
中には羨望の眼差しや、殺意の籠った視線もある。
どちらがともなく二人一緒に走り出していた。
手を繋ぎ、笑い合いながら……。
一つご報告がございます。恐らく今月中はもう書けないかと思われます。原因と言っては何ですが、学年末テストが近付いてきていまして。今回落とすと、次はないんです……。