プロローグ
夢を見た。
今から九年前、僕達がまだ小さく、幼かったあの日の夢。
互いの親に連れられて、水族館に来ていた、あの日の夢……。
ある水槽は、海洋のイメージ。水面からの光を反射させている、様々な種類の回遊魚。流れに従いゆらゆら揺れ動く海草。岩場でひっそり佇んでいる甲殻類。
はたまた、こっちの水槽は南国のイメージ。赤、黄色、オレンジ、青。舞い踊っている宝石のような魚達。そして、その魚達に劣らぬほど、鮮やかな珊瑚礁。
本来、自然の中に身を置く魚達が、水族館の小さい水槽の中で、その生命を育んでいる。食物連鎖から外れたこの空間特有のライフスタイル、と言った所であろうか。
実際に泳いでいる魚を見る機会は少ない。それ故、手軽に見ることができる水族館に足を運ぶ人は多い。
あの日もまた然りである。
始めは父さん達が、僕達を注意深く見ていた。しかし、幼き僕達が父さん達の目を擦り抜けことるなど、いとも容易い。
気付いたら、彼女と二人きりだった。正確に言うと、僕達は父さん達からはぐれ、迷子になっていたのである。
この時の僕の性格はマイペースもマイペース、とても大雑把であったため、適当に待っていたら捜しに来るだろう、適当に見て回っていたら捜しに来るだろう、と軽く思っていた。
しかし、当時の彼女の性格は心配性(不安になり易いと言ったほうが正しいが)であったため、父さん達とはぐれたことに気付くや否や、辺りをキョロキョロ見渡し、辺りをウロウロ歩き回った。終いには、僕の腕をひしと掴み、どうしよう? と困り顔。
見て回って、見通しのいい所で待ってよう。そう提案するも、彼女は首を縦に振らない。
理由を聞いてみると、行き違いになるよ、とのこと。なるほどと思った。その場で待つことにした。
しかし、所詮は小学生。直ぐに飽き、次の水槽へ。また直ぐに飽き、次の水槽へ。
気付いたら、彼女は僕以上にはしゃいでいた。自分から一ヶ所にいよう、と言っていたのに、と思ったが、直ぐにどうでも良くなった。
――彼女の笑顔が凄く輝いていたから。
そうしてあちこちを見て回っていると、突然拳骨が降ってきた。頭を擦りながら振り向くと、額に青筋を浮かび上がらせた父さんと、あらあら痛そうね、と笑っている母さん。
気付いたらはぐれていた、と弁解したが聞く耳を持たず、公の場であるということを忘れさせるほど怒られた。
そのまま首根っこを掴まれ、ズルズル引きずられて帰った。
これが残念な思い出だったか、というとそうではない。むしろ、いい思い出と言ったほうが正しい。
理由を上げると、あの後に彼女が自分が悪いと、僕を助けようとしてくれたからだ。
あの日以来、僕と彼女との距離はずっと近付き、高校二年生になった今でも同じ距離。
幼馴染みだったという理由はあるのだろうが、あの日がなかったら恐らく今の僕達の関係はなかったと思う。
あのちょっとした迷子に感謝である。
――ガチャリ
おっと、もう来てしまったみたいだ。
足音が近付いて来て、ミシミシと床が鳴る。因みに彼女が重い訳ではない。我が家が古いのだ。
「おはよう、光ちゃん♪ 今日もいいお天気だね」
彼女のお出ましである。因みに彼女は僕の“彼女”ではない。誤解なさらぬよう、宜しくお願いします。