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彼らが神の姿

 眠れなくても、夜は明ける。

 アレクサンドラはようやく睡魔が訪れ、うつらうつらしていた時に「時間だ」とオシュクルに揺り起こされた。窓から見える、外はまだ薄暗い。思っていた以上に早い起床に、使用人たちがすっかり朝の準備を整えてから起きるのが常だったアレクサンドラは赤い目を擦った。

 けれども、まあ、いい。オシュクルは、分離した遊動の人員たちと合流する為に、馬車なりなんなりに乗ることだろう。昨日のように、また馬車で寝ればいい。

 オシュクルから渡された、肌理が粗い布地の、明らかに上等とは言い難い服に着替え(生地は悪いが、ドレスよりよほど動きやすい。オシュクルも同様の素材の服に着替えていた以上、いくら気に食わなくても文句は言えない)その後ろに着いて外へと向かった。アレクサンドラは侍女たちに合流する際、目の腫れから昨夜眠れずにいたことを知られることを恐れたが、現れた侍女たちの姿は、睡眠不足と泣き過ぎで顔中がひどく浮腫んでいたり、すっかり血の気が失せた顔色でアレクサンドラを一瞥する余裕もなく震えていたりと、自分よりもずっと酷い状態であった為、ほっと息を吐いた。

 だが、その後新たに合流した旅の面子を見た瞬間、胸のうちの安堵は、また別の種類の焦躁へと変わった。


(昨日の剣舞の女の人…)


 そこには他にも、彼女と共に剣舞を舞ったオシュクルと同じくらいの男性や、顔をペイントしていた神官もいたのだが、その時のアレクサンドラの目には最早彼女しか映っていなかった。

 昨日、アレクサンドラに初めての劣等感を味合わせた、若く美しい、モルドラの女性。まさか彼女もまた、遊動の旅の同行するのだろうか。

 もしかすればただの見送りかもしれないという期待は、彼女の服装に目を落とした瞬間、即座に打ち砕かれた。彼女が纏っている服は、明らかにアレクサンドラが着ているものと同じか、それ以下の素材だ。アレクサンドラの服には、まだ僅かに装飾が施されていて複数の色が用いられているが、彼女が纏っている物は、ほとんど無地と言ってよいような素っ気がないものであった。こんな格好で王の見送りの為の儀礼などするはずがない。

 けれど、そんな素っ気がない姿であっても、彼女はやはり美しく見えた。否、色鮮やかな素材に視線を取られない分、余計に彼女が元々持つ美しさがより強調されているようだった。

 アレクサンドラの胸中に、昨夜味わった苦い劣等感が蘇ってくる。

 彼女たちはアレクサンドラ達の姿を目に留めるなり、驚いたように目を見開いて、オシュクルに向かってモルドラの言葉で何かを問いかけた。オシュクルもまた、何かを言いかえしている。どうも昨日のオシュクルの帰りが早いと思ったら、自身の臣下達にアレクサンドラの同行をきちんと説明をしていなかったらしい。明らかに揉めている様子にオシュクルのいい加減さを呆れる反面、王であるオシュクルに対して遠慮なく意見を述べている彼らが一体どのような立場の人間であるのかが、非常に気になる。


「――取りあえず、我らの神の姿に脅えるようなら話にならない、とのことだ」


 不意に切り替えられたルシェルカンド語で説明された言葉に、アレクサンドラは困惑する。

 それは一体どういう意味だろうか。

 目を瞬かせるアレクサンドラの様子に、オシュクルは一つ頷いた。


「私も彼らと同意見だ。我らが神を同じように信仰しろとは言わないが、忌み嫌われるのは困る。神達は聡明で、向けられる悪意に対して敏感だ。負の感情を持つものを同行させれば、災いの種になりかねない」


「ま、待って頂戴。そもそも貴方たちの神というのは…」


「決まっているだろう?」


 次の瞬間、背後に控えていた侍女の一人から絹を裂くような悲鳴が上がった。振り返ると、彼女は蒼白な表情で空の向こうを見て震えていた。

 彼女の視線の先にあるのは、空を飛ぶ三体の鳥の陰。逆光でその姿は良く見えないが、どうやらアレクサンドラ達がいる方向へ向かって近づいてきているようだ。

 …鳥?

 否、鳥じゃない。鳥にしてはあまりに大きい。そして、飛ぶ速度が速すぎる。かなり小さく見えたその影は、見る見るうちに大きくなっていき、その全容が明らかになって行く。

 アレクサンドラの脳裏に、以前聞いた噂が駆け巡る。


 それは、羽根が映えた巨大なトカゲ。

 その鋭い爪と牙は、恐ろしい殺傷能力を持ち、一瞬にして獲物を引き裂く。

 一度でも戦闘したことがある他国の兵士は、皆口を揃えている。

「あれは、悪魔だ」

「けして人の力では敵うことが出来ない、悪魔の生き物だ」

 世界一最凶と噂される、その生き物の名前は―…


「っドラゴン…!!」


「…紹介しよう」


 激しい風圧で、砂煙が押し寄せアレクサンドラ達の視界を奪う。

 煙がおさまった先に見えるのは、三体の巨大な影。下層階級の家くらいの大きさはあるその巨体は、アレクサンドラが知る他のどんな生き物よりも大きかった。


「我らが、神だ」


 オシュクルはそんなドラゴンの一体に臆することなく近づくと、その皮膚を優しく撫で上げた。

 アレクサンドラの背後から、先程よりも大きな悲鳴が上がった。

 無理もない。噂で聞くのと、実際に目の当たりにするのとは、全く違う。

 数歩歩けば着く場所に、その気になれば自分の命なぞ一瞬にして奪うことが出来る生き物がいるのだ。いくらモルドラの王が、ドラゴンを制御できると聞いていても、一体それがどれほどまでのものか等分からない。サーカスですっかり飼い慣らされた獣を遠くから眺めるのとは、訳が違うのだ。

 ルシェルカンドの貴族の子女として生まれ、王宮や自身の屋敷での暮らししか知らない彼女達にとって、その恐怖は絶大なものだった。

 アレクサンドラもまた、その獰猛で未知の生き物に対して、激しい恐怖心を抱いた。だが、幾人かの侍女たちのように、叫びかけたその唇は、大きく開かれたまま固まった。

 雲が太陽を覆い、逆光が無くなったことで露わになったドラゴンの姿は。


「…綺麗」


 現れたのは、モルドラの王宮が、婚礼の衣装が、纏っていたものと同じ色。

 アレクサンドラが惹かれた、様々な極彩色が組合わせられ、一つの調和を見せているモルドラ特有のあの色合い。


「あの色は、ドラゴンの色だったのね…」


 自然が作り上げた、そのあまりに美しい色使いに、アレクサンドラは一瞬にして恐怖を忘れた。


 一旦恐怖心が拭い去られると、ドラゴンの姿はアレクサンドラにとって、非常に心惹かれるものだった。

 発達しているらしい牙は口の中にすっかり納まってしまって上品だし、露わになっている爪は白磁のように輝いている。

 切れ長なその眼は、うちに理性を讃えていて、美しい金色をしている。

 様々な極彩色の鱗は、光の加減で色を変えて輝く。

 噂で聞いていた、獰猛で凶悪な姿と、目の前のドラゴンの姿はアレクサンドラの中で全く一致しなかった。その神秘的ですらある美しさに、アレクサンドラはほおっと溜息を吐いた。


「…お前にも、この美しさが分かるのか?」


 ドラゴンに見惚れるあまり、すっかり状況を忘れていたアレクサンドラは、すぐ傍から聞こえてきた声にようやく我に返った。

 そして、声の方向に視線を向けたアレクサンドラは、ぎょっと目を向いた。


「そうか…!!ならば、もっと良く見てみてくれ…!!ドラゴンは全て皆美しいが、このシュレヌ…私の神にして私の最愛の友は、格別美しいんだ…正直に言えば、その容貌だけで判断すれば、他のどの神達より優れていると思っている。特に胸の所の部分の、あの色遣い、あの美しい幾何学模様…分かるか!?アレクサンドラ…!!」


 そこには、殆ど変ることがなかった表情を、恐ろしいまでに甘く蕩かせて、顔面崩壊させているオシュクルの姿があった。


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