アレクサンドラVS料理9
何故、ここまで恐縮するのだろう。アレクサンドラとしては、まさに望んでいた通りの食べ物が出てきて願ったり叶ったりだったというのに。
戸惑うアレクサンドラに、オシュクルがルシェルカンド語で囁いた。
「ロスは繁殖力が高く、多産であるが為に、生まれた全ての子どもを育てると土地も餌となる穀物も足りなくなってしまう。だから、乳離れをして他の餌が必要な時期になると、立派な個体を除いて、残りは間引くんだ」
「……え」
「間引かれた子ロスは、当然肉として活用されるわけだが、まず市場に出回らない。自分達の手が介入していない、旨味が少ない未熟な肉をよそに食べさせるわけには行かないからだ。従って子ロスは、ロスを育てている家とその親類で消費されるわけだが、それでも食べきれなかった分は、土に埋めて果樹の養分にしたりさえもする。……果実一つの方が、値がつくからな」
「そんなに価値が低いの!?」
空いた口がふさがらなかった。
いくら繁殖力が違うとはいえ、ルシェルカンドと価値観があまりに違い過ぎる。
「……だが、値がつかないものが必ずしもまずいとは限らない。味覚というのは、生まれ育った環境によって左右されるものだと昨日も実感したばかりだしな」
「……そうよね。実際この辺りで高級品とされている砂糖をふんだんに使った料理は、私の舌には合わないわけだし」
「食べてみろ。アレクサンドラ。……実を言うと、私も今まで子ロスは食べたことがないから、味については何とも言えないんだ」
オシュクルに促されるままに、アレクサンドラはスープを口に運ぶ。
心配そうな村人達の視線が少し痛いが、抵抗は全く感じない。
(高級食材だって言われて、虫を出されるより、100倍素敵な料理だわ)
そして実際、出されたスープはアレクサンドラの期待を裏切らなかった。
「あ……やっぱりおいしいわ。私、これなら好きよ」
ベースは普段飲んでるロスのスープだが、普段の辛いあの臭みがほとんどない。脂も少なく、全体がすっきりとして軽い。
『これは子ロスの……干し肉かしら?』
『は、はい! ……干した方がまだ、旨味も出るので』
(私としては、せっかくだから新鮮な柔らかいお肉も食べてみたかったのだけれど)
だが、同じ干し肉でも、普段食べているものより、よほど柔らかい気がする。
スープを吸って少し膨張し、くにゃくにゃと噛み心地が良い。
どちらが美味しいかと言われれば、昨日のリゾットの方がやっぱりずっと美味しい。
だが、舌に受け付けないご馳走を散々した今のアレクサンドラには、十分にありがたい食事だった。
『美味しかったわ……ありがとう』
全てのスープを飲み終えると、アレクサンドラはいまだ平伏したままの女性に向かって感謝を述べた。
『い、いえ滅相もありません……本当に、こんなものしか出せなくて申し訳ないのですが……』
『ところで、子ロスの干し肉はまだ備蓄があるの?』
『は、はい……それこそ捨てるほど、あるにはありますが』
『そう。ーーエルセト』
突然自分の名前を呼ばれて、少し驚いたかのような素振りを見せたエルセトだったが、すぐにしたり顔で背筋を正した。
『……はい。王妃様。いかがされました?』
『あとで、この村から子ロスの干し肉をあるだけ買ってちょうだい……大人のロス肉と同じ値段で』
『っそんな、王妃様! お金など頂けるようなものではありません』
『貴女にとっては、そうでしょうね。でも、今の私にはそれだけの価値があるのよ』
アレクサンドラは脳をフル回転させて、出来るかぎり威厳を持って聞こえそうなモルドラ語を駆使しながら、にこやかに笑みを浮かべた。
『私の故郷ルシェルカンドでは、子どもの食用動物は高値で取引されているわ。それに、つわりの状態で口に出来る食べ物が少なくて難儀していたので、その状況を改善してくれると言うだけで、子ロスの肉は万金にも値するのよ』
『しかし……本来ならただで献上するのも恐れ多いところですのに……』
『ならこうしましょう。………【私は子ロスの干し肉を使ったレシピ】をいくつか買うので、おまけに子ロスの干し肉をつけてちょうだい?』
『え……』
『知らない情報と言うのは、それこそ値段がつけられないものよ。ロスの干し肉分の価値はあるわ。……私が自身のつわりを克服する為に、色々なレシピも必要なの。どうか協力して頂けない?』
村人達はそれでもまだ逡巡を見せていたが、最終的には納得してくれたのだった。
「ーー全く、相談もせずに勝手に購入を決断されるとは、貴女様も王妃らしくなりましたな」
宴会後エルセトから告げられた言葉に、アレクサンドラは肩眉を上げた。
「……あら? 村に滞在時はできるだけお金を落とすようにしていると言ったのは貴方でしょう? それに、大損するほど高値で買ってもいないわ。干し肉としての目方が同じなら、まあ妥当な値段でしょう」
「褒めているのですよ。……なかなかの英断です。オシュクル様に相談を求めなかったところも含めて」
エルセトはそう言って、肩を竦めた。
「オシュクル様が同じように子ロスの干し肉を望んだなら、彼らは頑なに金銭を受け取らなかったでしょう。オシュクル様はモルドラ人。子ロスの価値の低さはよく分かっている。そんな相手に、しかも王に、不当に高額な値で子ロスを売ることは、不敬になります故。しかし、一方的搾取はこちらの本意ではない。子ロスが彼らの食生活を支えている可能性も十分あります故」
「だけど外国人王妃の気まぐれならば、まだ許容できると言うことでしょう?」
「その通りです。加えて、貴女様は【レシピの情報代】と言う名目も与えられました故。つわりに良い上に、特別複雑な手間を要さない食材に加えて、レシピまで手に入れられた! なかなかのご手腕でした」
こうやってストレートに褒められると悪い気はしない。
悪い気はしないが、違和感はあった。
「エルセト……貴方、妙にテンションが高くないかしら?」