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悪癖は時に人生を変える

※本文中に未婚の女性や、不妊の女性を貶めるような表現があります。あくまで架空の国における概念だと認識したうえでお読みください。

「か、形ばかりの婚姻とは、どういうことですの…?」


「?違うのか?」


 かろうじて発したアレクサンドラに言葉に、オシュクルは変わらぬ無表情のまま、首を傾げた。


「私は外交には携わっていないから詳細までは知らんが、宰相がルシェルカンドとの関係を強化する為に、この婚姻の申し出を了承したと聞いている。この婚姻はあくまで国の為で、お前とて望んでこのような辺境に嫁いだわけではないのだろう。ならば婚姻さえ結べば、あとは有事の際以外は夫婦として振る舞わずともいいのではないか」


「く、国の為の婚姻だからこそ、その結びつきの証である御子を作らないといけないのではないですか!?」


「子が必ずしも国の結びつきになるとは限らない。国は…特に直接的関わりがないルシェルカンドは、他国に嫁がせた娘の子など、切り捨てようと思えばいくらでも切り捨てられるのだから。政治面で両国によって都合よく扱われ、邪魔になったら命を狙われるような存在を、国の為だけに作ることに意味があるとは思えない。そうやって生れた子どもこそ、哀れだ。そのうえ、モルドラに置いての王という職務は、他国のそれとは全く異なる。血筋よりも寧ろ、適性の方が重視される。私が王として、是が非でも後継を作らなければならないわけではないのだ」


 アレクサンドラは、精神的ショックで眩暈がした。

 オシュクルとアレクサンドラは、あまりにも子供に対する考え方が違いすぎる。…これも文化の違い故なのだろうか。それともモルドラの中でもオシュクルが特殊なのだろうか。

 ルシェルカンドにおいて、女性は子どもを産んでこそ一人前だと広く認識されている。適齢期を過ぎても未婚の女性は勿論、結婚して子どもを作らない女性もまた、世間から後ろ指を指されるのだ。それが体質故でも、夫側に原因があったとしても、関係がない。どんなに身分が高く、教養がある女性だとしても、子どもを産んだことがないというだけで、世間は女として欠陥品というレッテルを貼り蔑むのだ。多くの出産経験がない女性は、そんな世間の目に耐えきれなくなり、最終的には神に仕える修道女として、世俗を捨てて教会に入る道を選択するのだ。

 そのようなルシェルカンドの一般認識は、客観的に見れば女性蔑視の、非道な考え方と言えるのかもしれない。けれども、生れてから十八年間ルシェルカンドの思想に染まっていたアレクサンドラにとって、それはごく当たり前の認識なのだ。

 アレクサンドラが子どもを望む背景には、自身の地位を確固たるものにしたいという、利己的な認識も勿論あった。その為に、オシュクルがライバルとなる別の夫人を娶る前に、一刻も早く王の子種を得たいと思っていた。けれどもその一方で、例え早さでライバルに負けたとしても、いつかは必ず自分もオシュクルの子供を産むだろうことを信じて疑っていなかった。

 だが、そもそもオシュクルが、誰にだって子供を産ませる気が無いとなると、話は全く違ってくる。アレクサンドラは、苦々しい表情で、唇を噛みしめた。

 未婚の女性や望んでも子を成せぬ女性を、かつてのアレクサンドラも世間の人々同様に、憐れみながら同時に蔑んでいた。蔑み、ああはなりたくないと嘲笑っていた。

 けれど、オシュクルがこのままアレクサンドラに手を出さなければ、自分もまた、そのような立場になるのだ、ルシェルカンドにおいて憐れまれ、嘲笑われる、そんな惨めな立場に。

 そんなこと、許せるはずがない。何としてでも今、オシュクルを誘惑して子種を貰わねばならない。アレクサンドラは内心で決意を固めた。

 オシュクルは生まれた子どもが哀れだというが、そんなこと生まれて見なければわからないではないか。政略結婚が普通の貴族社会には、愛がない利害関係のみの夫婦などいくらでもいるが、生れた子どもが皆、不幸だとは限らない。アレクサンドラの両親のように、最初は政略結婚でも、共に過ごすうちに愛し合うようになった人たちだっている。

 時流や状況に寄って、政治の為に都合よく扱われるのもまた、貴族社会なら普通だ。「どんなに理不尽な状況でも、能力がある者は必ずそこから這い上がってくるものだ」と、セゴールだって良く言っていた。問題は自身がどう生きるかだ。

 アレクサンドラはまだ存在すらしていない子どもの未来を心配するよりも、今の自身の最悪の状況を打開する方が先決だった。


「っオシュクル様!!」


「なんだ?」


「その…」


 勢いよく口を開いたはいいものの、アレクサンドラはすぐに言葉に詰まった。何としてでもオシュクルを誘惑すると決意した。…だが、なんといえばいい?

 直接的に閨に誘うのは、年若い貴族女性として躊躇われた。思慮が浅いと言われるアレクサンドラでも、流石に恥じらいくらいはある。

 だが、直接的に伝えられないのならば、どうやって言えばアレクサンドラが子種が欲しいということを伝えられるというのか。

 モルドラとルシェルカンドの結びつきを強くしたいと言っても、無駄なことはもう証明されている。かといって、子どもを成さないことが、アレクサンドラにとって非常に屈辱的かつ、居たたまれないことだと説明したところで、全く違った価値観を持っているオシュクルが、それを理解するとは思えない。

 ならば、何といえばいい?何といえば、オシュクルにその意図が伝わる?

 その時、アレクサンドラは普段は使わない頭を、必死に回転させた。


「…っ私は、」


「?」


「私は、美しくはないのですかっ!?」


 そして考えた末に出た言葉が、これだった。

 オシュクルが手を出さないことはアレクサンドラの美しさを蔑ろにしていることだと暗に伝えることで、婉曲的にアレクサンドラが閨を希望していることが伝わらないかと考えたのだ。

 これはアレクサンドラにしては、珍しく、この状況に相応しい言葉を捻出したといえる。ルシェルカンドの貴族ならば、すぐにその意図を察することが出来ただろう。

 だがここはあくまで異境モルドラで、そして相手はオシュクルだった。


「…美しいか、美しくないかと言えば、多分美しいのではないか?お前を見た客人たちは皆、モルドラの言葉でお前の美しさを感嘆していたぞ。…残念ながら、私はドラゴンの美醜は分かっても、女の美醜はよく分からんが」


(全然、伝わっていない…っ!!)


 アレクサンドラは頭を抱えた。しかも返って来た情報は、アレクサンドラにとってはなはだ不本意なものだった。

 ずっと自身の美貌を誇りにして生きてきた。この美貌さえあれば、どんな辺境の異国でも何とかなると思っていた。

 だが肝心の夫となる相手に、その美貌が一切通じないのならば、一体どうすればいいのだ。


「どうした?誉めたつもりだったのだが、何か気分を害したか?」


 無表情を微かに歪めて、アレクサンドラを心配するオシュクルの姿には、みじんの悪意も感じられない。さっきの言葉がオシュクルの含みがない心からの本音だと分かる分、余計に性質が悪かった。

 駄目だ。今の自分にはとても敵う相手ではない。相手にするには決定的に経験値が足りない。

 とにかく、今日はこれで終わりにして、次回オシュクルと再会する時まで何か作戦を練るべきか。


「…オシュクル様。明日遊動の旅に出られて、次はいつこちらに帰って来られるのですか?」


「すまない。それは、分からない」


「…分からない?」


 オシュクルは困ったように頭を掻いた。


「基本的に私は、有事の際にしか王宮に戻ってこない。そしてそれがいつになるかは、その時になって見なければ分からないのだ。離宮で休む余裕がある有事など、そもそも滅多にないしな。まぁ、順調にいけば三年で国内を一周できるから、恐らくその時にまたお前と再会するだろう」


 アレクサンドラは、オシュクルの言葉に固まった。

 三年後?今、三年後と、この男は言ったのか?

 三年も、いくら政略結婚とはいえ、結婚したばかりの新妻を、この男は放置するつもりなのか?

 激しい衝撃は、アレクサンドラの中で、すぐに怒りへと変わった。


「……オシュクル様が行われる遊動とやらに、女性は随行されるのですか?」


「?…ああ。少数だがいるぞ。ドラゴンを従える騎士の妻だったり、騎士自身だったり、その他の役割を担っていたりと、立場は様々だが」


 その瞬間、ぷつりとアレクサンドラの中の何かが切れた音がした。


「――ならば、私も連れて行きなさい」


 次の瞬間、アレクサンドラは敬語も忘れて、湧き上がる苛立ちのままに叫んでいた。


「貴方の妻として、私もその遊動の旅とやらに同行させなさいっっ!!」


 アレクサンドラ・セルファは、短絡的かつ感情的で、非常に浅慮である。この悪癖故に、彼女は婚約破棄をされ、生れ故郷を出てモルドラという辺境の国に嫁ぐことになった。

 けれども彼女の悪癖故のこの一言が、その後のアレクサンドラの人生を徹底的に変えることになる。


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