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番外編③ ルシェルカンドへの里帰り3

 その後も豪華なもてなしは続いた。

 懐かしい故郷の豪華な料理を食べ、ルシェルカンド風の室内着をまとって、ルシェルカンド式の風呂に入って、柔らかいベッドで眠る。

 オシュクルはどこか慣れない様子だったが、全て懐かしいものばかりのアレクサンドラは、すっかり里帰りを漫喫していた。

 眠る前の母乳をやってからは、ルーシアがヨシュアの面倒を見て別室で寝かしつけてくれることになった為、アレクサンドラは久しぶりにヨシュアの夜泣きに悩まされることなく、ぐっすりと眠りにつくことができた。天使のように愛らしい、最愛の我が子ではあるが、それでもたまには解放されたくなる時もあるのだ。

 しかし、ここ最近眠りが浅かったせいだろうか。すっかり熟睡していた筈なのに、まだ夜が明ける前の深夜といい時間に、アレクサンドラは目を醒ましてしまった。


「ヨシュアは……ルーシアの所よね……」


 隣に誰もいないことに、一瞬納得して再び眠りにつきかけたアレクサンドラだったが、布団を掛けなおしてから、ようやくそれがおかしいことに気が付いた。


「……オシュクルは?」


 確かに眠りに着く前は一緒のベッドに横たわった筈のオシュクルの姿が、今のアレクサンドラの隣にはなくなっていた。




「……オシュクル。こんな夜中にバルコニーなんて、出て何をしているの?」


「あぁ……どうも寝付けなくてな」


 アレクサンドラは寝室に隣室するバルコニーの上で星を眺めていたオシュクルに、小さく眉を顰めて、その手を取った。


「すっかり冷えてるわ……どれくらい、ここにいたの」


 今の季節のルシェルカンドは温暖で過ごしやすいが、それでもまだ夜は冷える。

 すっかり冷たくなったオシュクルの手を自身の頬に当てて温めながら、アレクサンドラは久しぶりの実家に浮かれていた自分を反省した。


「ごめんなさい。オシュクル……着いて来たこと、後悔しているわよね。私ったら、オシュクルの気持ちを何も考えずに浮かれてしまって……」


 オシュクルはアレクサンドラの夫だ。だが直接的にセルファ家に関わりがないオシュクルは、この家は部外者も同然といえよう。

 ただでさえ、文化も言葉も違う慣れない異国の地。戸惑うことは山ほどあっただろうに、自分は懐かしい人達や物に掛かりきりで、すっかりオシュクルを放置してしまっていた。本来ならば、アレクサンドラが最初にモルドラに嫁いだ時のように、オシュクルをサポートしてあげないといけない立場であるのに。

 どうして、自分はかくも思慮が足りないのだろう。思わず噛みしめた唇を、オシュクルが開いている方の手で、そっと触れた。


「そうやって噛むな。傷になるぞ……アレクサンドラ。何もお前が気にすることは何もないんだ。久しぶりの実家なのだから、お前が浮かれてしまうのは当り前だ。寧ろ私は、普段とはまた違った表情を浮かべるお前を見ているのが楽しかった。そもそも私がここに着いて来たのは、お前とヨシュアが万が一でも危険に晒されないようにする為だ。お前達がこうして無事でいるのに、何を後悔することがある」


「でも……でもオシュクルは、落ち着いてゆっくり休めないから、ここにいるのよね」


「落ち着かないからではない……ただ、考えていたんだ」


 そう言って、オシュクルは空を見上げた。

 モルドラより少し淀んだその空には、それでも無数の星々が明るく煌めいていた。


「同じ星なのに、モルドラで見る星とは、随分位置も見えるものも、違う。この屋敷も、ベッドも、風呂も、食べた食事も、服も、植物も、気候も、ここは何もかもがモルドラとは違う。……そんな場所から、お前は嫁いで来たのだな、とそう考えていたんだ」


 オシュクルの言葉に、アレクサンドラはセゴール達が婚姻解消を申し出た夜のことを思いだした。

 アレクサンドラは頬に寄せていた手を両手で掴むと縋るようにオシュクルを見上げた。


「まさか……まさか今頃、やっぱり私をルシェルカンドに返すべきだったとか、そんなことを言わないわよね?」


 オシュクルは、自分がアレクサンドラに相応しくないと、そう言っていた。あの時アレクサンドラはその言葉を否定したが、もしかしたらちゃんとオシュクルには届いていなかったのかもしれない。

 届いていたとしても、実際にルシェルカンドの様子を見て、考えが変わったのかもしれない。


「いやよ……今さら返すべきだったなんて、そんなことは冗談でも言わないで……無理だわ。帰るなんてできないわよ……オシュクル、貴方がいて、ヨシュアがいて、皆がいる……今はそんなモルドラが私の国なのよ」


 目に涙を潤ませながら懇願するアレクサンドラに、オシュクルは小さく笑ってその体を抱きしめた。


「……私だって、無理だ。――言っただろう? 最初にお前に想いを告げたあの晩に、もう無理だと。あの時点で、既にお前は私が絶対に手放せないものになっていたんだ」


「…じゃあ……じゃあ、どうして…!!」


「――感謝を、していたんだ」


 そう言ってオシュクルは、アレクサンドラの額に、そっと口づけを落とした。


「お前がそれだけの物を捨てて、私の元に来てくれたんだと――全てが異なるモルドラに骨を埋める決意をしてくれたことを、噛みしめて感謝していたんだ。そしてそんなお前を私に与えてくれた運命に、改めて」


 啄むような口づけは、そのままアレクサンドラの目元に、頬に、ゆっくりと落ちていく。


「そしてお前を育ててくれたルシェルカンドの地にも、否、お前に関わった全ての物に感謝していた……そうしたら自然と目が醒めてしまったんだ」


「オシュクル……」


 アレクサンドラは握っていたオシュクルの手を離して、両手をオシュクルの頬に当てた。

 触れた頬も手と同様に冷たかったが、アレクサンドラの手が火照っている分ちょうどいい気がした。


「ここはルシェルカンドだから、この地の言葉で改めて告げよう。――愛している。アレクサンドラ。私の妻となってくれて…私にヨシュアを与えてくれてありがとう。これからもずっと、傍にいてくれ」


 アレクサンドラは最後に唇へと落ちてきた甘受しながら、冷えたオシュクルの体を温めるように、オシュクルを強く抱きしめ返した。




「……アレクサンドラ。必ず…! 必ず、また帰ってくるんだぞ‼ 勿論ヨシュアも連れてな‼」


「分かってるわ。お父様。そうね……次はヨシュアが一人で歩き回れるようになった頃かしら? その時にはきっと、お父様のこともちゃんと自分の祖父だと認識できるはずだわ」


「ヨシュアに『じぃじ』と呼ばれるのか…ふむ、悪くないな。……アレクサンドラ。先程口にしたことを、絶対に忘れるな」


「はいはい。だから、それまで、ちゃんと元気で健康でいてね。無理して仕事をしたらだめよ。ちゃんとルーシアに、お父様のことを手紙で報告して貰うように頼んで置いたから」


「いつのまに……」




 セゴールやルーシア達と涙ながらの別れを終えて、アレクサンドラ達は馬車へと乗り込んだ。

 国境までは馬車で行き、モルドラに入ればシュレヌが迎えに来てくれる手筈になっている。

 アレクサンドラは窓を流れる景色を眺めながら、ふと不思議な気持ちになった。


「……おかしいわね、オシュクル」


「何がおかしいんだ?」


「私ね、ルシェルカンドに来る時、『ルシェルカンドに帰る』と、そう思っていたの」


「? それがどうしたんだ? 何も間違っていないだろう」


「そう。間違ってないのよ――だけど」


 馬車の窓を流れるルシェルカンドの懐かしい景色は、徐々に姿を変えて行き、国境に近づくにつれてモルドラの荒野地帯の景色に近づいていく。


「だけど、今、私はモルドラにも『帰っている』と、そう思っているの。――私には帰る場所が二つもあるんだわ。そう思ったら、何だかおかしくなったのよ」


 故郷である「ルシェルカンド」と

 アレクサンドラが生きる場所である「モルドラ」

 アレクサンドラの、二つの「帰る場所」



「だけどそれって、とても素敵なことだわ。だって、一つよりも二つの方が、絶対にいいもの。――さぁ、帰りましょう。『我が家』へ」


 故郷を捨てたわけではない。

 ただ、アレクサンドラが生きる場所が、モルドラなだけで。

 だから、また、戻って来られる。また帰っても、構わないのだ。


 そう思うと、込み上げてくるものに耐えられなくなって、アレクサンドラはきょとんとした表情のオシュクルをそのままに、一人笑みを零したのだった。


次回のオシュクル視点の番外編でラストです。

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