番外編③ ルシェルカンドへの里帰り2
「これは……随分と見事な……」
「お気に入られたようで何よりです。当家自慢の中庭です。今の季節満開になっているロズアを始め、四季の花々を専属の庭師達によって植えられております」
どこか落ち着かない様子のオシュクルを、中庭が一望できる客間へと案内したセゴールは、来客用の一際豪奢なソファをオシュクルに薦めた。
「どうぞお掛けになって下さい。今、メイドに飲み物と茶菓子を持ってこさせますので」
「ああ。…そうさせてもらおう」
オシュクルが慣れない動作で腰を掛けたのを確かめてから、アレクサンドラもまた隣に腰を降ろした。腰が沈みこむ程柔らかい、懐かしいソファの感触に、アレクサンドラは礼儀も忘れて思わず思い切り寄り掛かった。
「さあ、当家の料理人が腕によりをかけて作ったパルシェと、最高級の茶を用意しました。どうぞお召し上がり下さい」
「わぁ……懐かしい。私、これ好きだったの!!」
アレクサンドラは、卵黄と砂糖で作られた甘いクリームを、焼き菓子で挟んだデザートに、目を細めた。アレクサンドラがルシェルカンドにいた頃に一番好きだったお菓子だ。
「あぁ、やっぱり美味しい‼ ほら、オシュクルも食べてごらんなさい」
「……ああ」
「このお茶も、とても美味しいわ!! お父様、これは、ドィエラ産のお茶でしょう?」
「ほう。わかるか。アレクサンドラ」
「わかるに決まっているわ。私が一番気に入っていたお茶だもの。また飲めるなんて、嬉しいわ。わざわざ取り寄せてくれたのね」
懐かしい大好きだったもの達に、すっかり上機嫌になって相好を崩すアレクサンドラだったが、一方でオシュクルの表情はどこか難かった。けれども、久しぶりの実家に浮かれるアレクサンドラはそれに気が付かない。
そんな雰囲気を打ち破るように、不意に目を醒ましたヨシュアが括り付けられたアレクサンドラの胸元で、大声で泣き始めた。
「あら、ヨシュアが起きてしまったの? 突然泣き出してどうしたのかしら? おしめは濡れていないようだし、ミルクは出立の少し前にあげたばかりだったのに」
「……貸せ。アレクサンドラ。私が……」
「――アレクサンドラ様。僭越ながらお話の間は、私めにお坊ちゃまの面倒を見させて頂けないでしょうか」
オシュクルの言葉を遮るように、そう申し出たのは、先程茶と菓子を配膳したメイドだった。
「ルーシア……」
かつて専属メイドとしてアレクサンドラを熱心に面倒見てくれていたルーシアは、顔に刻まれた皺を一層深くして微笑む。
「アレクサンドラ様。お久しぶりでございます。……またこうして貴女とお会いすることができて、このルーシアは感動で打ち震えております」
「大げさね。ルーシア。……でも私も嬉しいわ。出立の時はそれこそ今生の別れかと思っていたもの」
「ずっとお世話をさせて頂いていたアレクサンドラ様がいなくなってから、私はもうすっかり抜け殻のようでした。どうか、アレクサンドラ様。この数年の空白を埋める為に、私にお坊ちゃまの面倒を見させて下さい。この腕で、私が愛し慈しんだアレクサンドラ様の子どもをお抱きしたいのです」
「そう……それじゃあ、お願いするわ。ルーシアになら、愛する息子を任せられるもの」
泣き喚くヨシュアを、嬉しそうにアレクサンドラから受け取ったルーシアは、瞬く間にヨシュアを泣きやませることに成功させた。伊達に五人の子どもを育てあげ、生れた時からずっとアレクサンドラの世話をしていたわけじゃない。
ルーシアはそのままヨシュアをあやしながら、部屋の隅へと移動した。そんなルーシアの姿を、セゴールが複雑そうな表情で見つめていた。
「……まだ、私も抱かせて貰っていないのに」
「あら、お父様。ヨシュアを抱きたかったの?」
生粋の貴族男性であるセゴールにあまりに似合わないその言葉に、アレクサンドラは思わず小さく笑った。
「……初孫だ。抱いてみたいと思って何が悪い」
「悪いとは言ってないわ。……ただ」
アレクサンドラはちらりとルーシアとヨシュアの方を見て、肩を竦めた。
「今の状態のヨシュアでは、お父様が抱いた瞬間、きっと泣きだしてしまうわ。だって慣れない場所に随分と興奮しているようだもの。もう少し落ち着いて、眠くなってからにしましょう」
久しぶりの父親との邂逅に、アレクサンドラから出る話題は尽きなかった。
セゴールはもっぱら聞き側に回って、娘の話に時折口を挟みながら、目を細めて頷いていた。
オシュクルは、やはりどこか落ち着かない様子のままだったが、それでも時折アレクサンドラの話を補足して、会話に加わっていた。
落ち着いたヨシュアを、セゴールが一度抱いて(あれほど抱きたがっていたのに、いざ任せてみれば慣れない赤子の感触に及び腰で、少し抱いてすぐにまたルーシアに戻してしまった)、三倍目のお茶を飲みほした頃。セゴールがふと思い出したかのように、口を開いた。
「そう言えば、アレクサンドラ。お前が今日ここに帰ると聞いて、ルーディッヒ殿下から出産祝いの贈り物が届いていたぞ」
「……ルーディッヒ様が?」
「ああ。……ルーシア。あれを」
落ち着いて再び眠りについたヨシュアを、この日の為に用意したと思しき赤子用のベッドに寝かせたルーシアは、一旦客間を出ると、紙で包まれた大きな箱を抱えて戻ってきた。
箱を開けて中身を確かめたアレクサンドラは、首を捻った。
「……これは、布、かしら。随分と上等なもののようだけど」
中に入っていたのは、織り目が細かい真っ白な布だった。柔らかな手触りと、同じ白い糸で縫い上げられた見事な刺繍に、それがルシェルカンドでも最上級にあたる品だということは分かるのだが、何故こんなものを贈ってきたのだろうか。
そもそも、出産の祝いをモルドラの王宮ではなく、アレクサンドラの実家へと送る理由も分からない。モルドラの王宮に送れば、それはすなわちモルドラの王であるオシュクルに対して贈ったことになるが、これではまるでアレクサンドラ個人に対して贈り物をしたようではないか。
「……まさか遅行性の毒でも塗られていたりしないわよね」
元婚約者であるルーディッヒに対して悪印象しか抱いていないアレクサンドラは、脳裏に過ぎる疑惑に眉を顰めた。
婚姻関係を解消してルシェルカンドに戻らなかった腹いせに、あの陰険な皇子なら毒を塗るくらいのことをしかねない。
だがそんなアレクサンドラの言葉にセゴールは首を横に振った。
「他国の王族を私怨ゆえに害するような愚かな真似は、流石に殿下とてしないだろう。それに、依頼を受けて贈り物を持ってきたのは、私も懇意にしている老舗の店の主人だ。信用できる男だし、万が一に備えて、お前が来る前に細工が無いかも確かめておいた。……恐らくこれは単に、お前に対して、ルシェルカンドの布の技術力を見せつける意図があったのだろう。『モルドラではこんな優美な布など、とても手に入らないだろう』と」
「まぁ……本当、嫌味な人ね!!」
「まあ、あくまで私の推測だがな。だが殿下の意図はどうであれ、布自体は上物だ。貰っておきなさい。モルドラの仕立てのことは良く分からんが、布があって困ることはあるまい。せっかくだから、これを使って、ヨシュアの服でも仕立ててやればいい」
「……そうね。布に、罪はないものね」
アレクサンドラは、そっと布を手に取り、頬に当ててみる。
柔らかで滑らかな独特の布の感触は、確かにモルドラの布では味わえないものだ。
その感触を堪能しながら、アレクサンドラは半目で宙を睨んだ。
「ヨシュアの肌着にはちょうどいいかもしれないわね……ありがたく貰っておくわ」