番外編③ ルシェルカンドへの里帰り1
生まれた子どもは、オシュクルの浅黒い肌と、アレクサンドラの金の髪を受け継いだ男の子だった。
出産の為に一時的に王都へ戻っていたアレクサンドラは、そのまま子どもが寮制の学校に進むまで王都に留まってはという周囲の勧めを断って、子どもの首が座るのを待って遊動の旅に戻った。アレクサンドラ自身、これ以上皆と離れているのは限界だったし、何より子どもに幼いうちに父親を感じさせてやりたかった。
遊動の旅の皆は、ヨシュアと名付けた子を温かく歓迎し、オシュクルもまた、少しぎこちない仕草で、生まれてすぐに会って以来数ヶ月ぶりのわが子を抱きあげた。
戸惑っているような様のオシュクルの口もとが、確かに少し緩んでいるのをアレクサンドラは見過ごさなかった。
それから旅を続け、日に日に成長していくヨシュアがつかまり立ちを覚えはじめた頃、アレクサンドラはエルセトから、新しい転移魔法が完成したという報告を受けた。
「流石だわ、エルセト!! まさか本当に完成させるだなんて!!」
「……アレクサンドラ様。それがしを誰だとお思いで?それがしは、モルドラ一の天才魔術師ですぞ。他国の魔術師ができたこと、それがしができない筈ありますまい……まあ、思いのほか手こずりましたがな」
「感謝する。エルセト」
「………まあ、想定はしておりましたがオシュクル様。そこで当然のように御自分も着いて行かれる気なのですな……残される臣下のことも、少しは考えて欲しいのですが」
「? 私が行かねば誰がアレクサンドラとヨシュアを守るんだ? お前とクイナがいれば、私が数日空けるくらい、なんてことないだろう。フレムスもいることだしな」
「それがしとクイナ、そしてフレムスだからこそ問題なのです!!」
最近、三人の三角関係はより顕著になり、遊動の旅の人員皆が知るところになった。
特にクイナはエルセトに対する好意を全く隠さないようになり、エルセトがそんなクイナから全力で逃げ回る様が(そしてそれを悲壮感漂わせて見つめるフレムスの姿が)よく見かけられるようになっている。
親友の恋を応援したいアレクサンドラとしては、エルセトがしばしば逃げる口実にしているオシュクルとヨシュアがいないこの期間に、是非ともクイナに頑張ってもらいたいと思っていたりする。……エルセトには秘密だが。
「……まあ、良いです。アレクサンドラ様、指輪はしっかりつけてらっしゃいますかな」
「ええ。つけているわ」
「万が一指標を誤った場合は、すぐにそれがしに分かるような魔法を施してあります。その場合、指輪を通して連絡を入れますので絶対に手放さないようにして下さい。……そして、オシュクル様」
「何だ?」
「魔法は直接的にはアレクサンドラ様にかかります。布と紐でアレクサンドラ様の体に十分固定されているヨシュア様はともかく、オシュクル様に関しては自力でアレクサンドラ様に捕まっていて下さる必要がありますので……それがしとして、ご夫婦仲が良い様を見せつけられるのは、あまり愉快なことではありませんが、つまりは、そういうことでお願い致します」
(……そんな顔をするくらいなら、もうさっさとクイナの想いに応えてしまえばいいのに)
相変わらず、恋愛ごとに対して苦々しい表情を浮かべるエルセトに内心で突っ込みを入れながらも、アレクサンドラは口には出すことがないまま魔法陣の中へと移動した。ここで拗ねられても、それはそれで困る。
アレクサンドラの後を追うように、オシュクルもまた魔法陣の中に入り、眠っているヨシュアを腕に抱くアレクサンドラの体を、後ろからしっかり抱きしめた。
「……あ……」
「どうした。アレクサンドラ? 痛かったか?」
「…い、いえ。何でもないわ」
アレクサンドラは首を横に振って、赤くなった頬を誤魔化した。
……久しぶりのオシュクルの抱擁に、胸がときめいただなんて、とても言えない。
最近は寝る時もヨシュアに掛かりきりで、出産前のようにオシュクルに抱きしめられて寝ることなんてすっかりなくなっていたから、こんな風にオシュクルに密着するのは久しぶりだ。
真近で感じられる、久しぶりのその熱が、嬉しい。
(ちゃんと名実共に夫婦になったのに……本当、この胸の高鳴りはいつになれば落ち着くのかしら)
激しい恋情が終われば、穏やかな愛情に変わると昔アレクサンドラが聞いた恋の話では言っていたが、少なくともアレクサンドラに関しては、まだまだこの恋情からは醒めそうにない。
「……で、イチャつきは一段落されましたかな? もう転移魔法を使っても?」
「え……あ、えぇ。大丈夫よ。エルセト」
「しっかりアレクサンドラを抱いているから、もういつでも大丈夫だ」
「……まったく、本当にこの人達は……まぁ、いいです。……それではいきますぞ」
エルセトは咳払いを一つつくと、その金色の瞳を露わにしながら、杖を掲げた。
『【空を翔ける――何処を目指す? 地を駆ける――何処へ進む? 時を縮め、道を縮む。汝が足をつけし地は何処か。汝が望む地は何処か。それを知るは、対の指輪。 指輪だけが、進むべき地を知る。 我が魔力に身を任せ。いざ、送らん。指輪が示す、唯一の地へ】』
以前とは異なり、モルドラ語で紡がれた詠唱と共に、杖が突きつけられた途端足元の魔法陣が、青く光った。
突風と共に砂煙があがり、視界が見えなくなる。
だが、そんな初めて体験する状況の中でもアレクサンドラは動じなかった。
だって、魔法を行っているのはエルセトだ。……アレクサンドラが、世界で一番信用する魔術師だ。彼ができると言ったのだから、失敗なんてある筈がない。
そして、後ろから自分を抱きしめているのは、アレクサンドラが世界で一番愛する夫だ。誰よりも、自分を、ヨシュアを守ってくれる人だ。
恐れなど、ある筈がない。
ふわりと体が浮く感覚に、アレクサンドラは胸に括り付けられたヨシュアの体をしっかり抱きしめて、目を瞑った。
「――アレクサンドラ‼」
(ほら、やっぱり)
アレクサンドラは次に目を開いた瞬間、飛び込んで来た懐かしい風景と、懐かしい顔に、口元を緩めた。
「ただいま。……お父様」
そして、相変わらず眠ったままの……こういう豪胆なところは、果たしてオシュクルに似たのだろうか…アレクサンドラに似たのだろうか……ヨシュアをつぶさないように、久しぶりに再会する目の前の父親に抱きついた。
「ああ、アレクサンドラ‼ 事前に文を貰っていたが、まさか本当に転移魔法でここに辿りつくなんて!! モルドラの魔術師殿は随分と優秀なようだ」
「ひどいわ。お父様。信じていなかったなんて。リヒャルトが出来たのだから、当然でしょう?」
「よく、来た。本当よく来たな。アレクサンドラ。私はもう、ずっとこの日を待ちわびていたよ。もっとお前の顔を、そして、孫の顔を私にみせてくれ。……ああ、なんて愛らしい赤子だ!! お前の生まれたばかりの頃にそっくりじゃないか!!」
「し―……お父様。あんまり声を上げるとヨシュアが起きるわ。せっかくよく眠っているのに」
「そうか。すまない……しかし、ヨシュア、か。ヨシュア。……いい、名前だ」
久しぶりに対面する娘と、初めて目の当たりにする孫にすっかり脂下がっていたセゴールは、そこでようやく、後ろに佇むオシュクルの存在に気が付いた。
「……失礼いたしました。モルドラ国王陛下。何せ久方ぶりの娘との邂逅なものでして、すっかり浮かれきってご挨拶を忘れておりました」
すぐに身を正してモルドラ式の礼をとるセゴールに、オシュクルは鷹揚に首を横に振った。
「構わない……ただ一人の娘と数年ぶりに再会しただのだから、感情が抑えられないのは仕方がないことだ。私のことも、モルドラの王が訪問したと思うのではなく、義理の息子が妻の実家を訪ねていると、そう思って欲しい」
「さようですか……ならば、そのように致しましょう」
頭を上げたセゴールは、口元に笑みを浮かべながら背後に控えるセルファ家の広大な屋敷を手で差し示した。
「オシュクル様。ようこそ。ルシェルカンドに、否、我がセルファ家の屋敷に。ご要望に沿うかは分かりませんが、精一杯できる限りの持て成しをさせて頂きましょう」