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番外編② リラを否定する男(婚約破棄皇子サイド)

『ふうん……貴方が私の婚約者なのね』


 そう言って、幼いアレクサンドラは不躾に初対面のルーディッヒの顔を覗きこんだ。


『……綺麗な顔、しているわね。――いいわ。貴方のお嫁さんになってあげるわ』


 鼻を鳴らして高慢に言い放って、得意げな笑みを浮かべたアレクサンドラに、その時のルーディッヒは腹を立てた。

 第二皇子とはいえ、王族である自分に対して、なんて上から目線でものを言う女だ。いくら高位貴族だからと言って酷すぎる。ここは普通、王族の婚約者にして貰えることに感謝してしかるべきだろう。

 その時点で、ルーディッヒのアレクサンドラの評価は地に落ちた。

 こんな女と結婚なんて、絶対に御免だと、そう思った。

 そう思った、筈だったのに。


 ――その時の、アレクサンドラの無邪気な笑みが、あれから十年以上経つ今でも、頭から離れない。




「アレクサンドラが、モルドラに留まる、だって…?」


 ルーディッヒは、腹心の部下であり、唯一の心許せる友人であるリヒャルトの報告に驚きを隠せなかった。

 完全に想定外の解答だった。……モルドラの王に関しても、アレクサンドラに関しても。


「……それはモルドラの王が決めたことか? それとも、アレクサンドラが?」


「アレクサンドラ様が決めたことです。モルドラの王は、アレクサンドラ様の決定に従う、と。……しかし、私にはモルドラの王も、アレクサンドラ様が国に留まることを本音では望んでいるように思えました」


「ますます理解できないな!! 清廉潔白だという噂のモルドラの王は、一体アレクサンドラのどこを気に入ったというんだ? そしてアレクサンドラが、あんな蛮族が住まう何もない国の、一体どこを?」


 ルーディッヒには、モルドラの王であるオシュクルの気持ちも、アレクサンドラの気持ちも全く理解できなかった。

 モルドラの王が、最初から婚姻を乗り気ではなく、王宮の命令で仕方なく結婚したということは、「双方の同意さえあれば自由に婚姻関係を破棄できる」という婚姻の条件からして分かりきっていたことだった。罪人扱いでモルドラへと国外追放されたアレクサンドラは、言わずもがなだ。

 そんな二人が、ちゃんとした夫婦になれる筈がない。禁欲的で清貧を好むと言われているモルドラの王と、我儘で華美を好むアレクサンドラという組み合わせならなおのことだ。

 アレクサンドラは確かに美しい……だが、それだけの、感情的で愚かな女だ。モルドラの王が、気に入る要素なんてルーディッヒにはあるとは思えなかった。

 モルドラへと同行させた侍女から、アレクサンドラが一人で遊動の旅に同行を決めたと報告を受けた時は驚いたが、それも恐らくは感情のままに暴走した結果で、すぐに根を上げて王宮の戻ることを選ぶか、旅の道中ですら我儘放題で王をうんざりさせていると思ったのに。


「お互いに婚姻破棄を望んでいる頃だと思ったからこそ、無礼を承知で王宮を通さずに提案を持って行ったのに……モルドラの王は訪問自体に難色は示していなかったか?」


「彼らなりの歓待を受けましたので、大丈夫かと。元々、ルシェルカンドから私達のような使者が来ること自体は想定内のようでしたし」


「そうか……セゴールの様子はどうだった? 娘を取り戻せなかったことに、腹を立ててはいなかったか?」


「いえ。寧ろ幸福そうなアレクサンドラ様を見て、満足されたようでした。別れ際に、伝言を預かっております。『娘が幸福ならば、今までのことは全て水に流しましょう…私はけして第二皇子の味方にはならないが、敵にもならない。そう伝えてくれ』、と」


「そうか……セゴールが私の敵にならないと表明しただけ、今回の訪問には意味があったな……リヒャルト。ご苦労だった。ありがとう」


 ルーディッヒは大きく息を履いて、椅子に凭れ掛かった。

 友を労う穏やかな口調とは裏腹に、手で隠したその顔は湧き出る負の感情で歪んでいた。


(幸福そうだった、か……アレクサンドラ。本当にお前は嫌な女だな)


 本当に、嫌な女だ。――陥れて国外追放をしてもなお、ルーディッヒの心を揺さぶり続ける。



 アレクサンドラが嫌いだった。

 セゴールに守られていることにも気づかず、注がれる愛を当然のように受け止めて、感情のままに思うがままに、子どもらしく振る舞う愚かな女。

 貴族としての慎みや、社交界を円満に渡る為取り繕うことを知らない、幼稚な女。

 ルシェルカンドの第二皇子として生を受け、幼い頃から腹違いの兄や、弟たちと王位継承権を争い、その為に笑顔の仮面を貼り付けながら必死に努力を重ねていたルーディッヒには、アレクサンドラの全てが鼻についた。いくらセルファ家との繋がりを持つ為とはいえ、こんな女を将来自分の妻にしないといけないなんて‼ ルーディッヒは自身の不幸を呪い、極力アレクサンドラと関わらないように努めていた。そして、そんなルーディッヒに対して、アレクサンドラもまた義務的な関わりしか持とうとはしなかった。

 ……それなのに、関わらないように努めている筈なのに、なぜか視界に入るとアレクサンドラを視線で追わずにはいられなくて。考えるだけで腹が立って仕方がないのに、ふとした瞬間に、幼い時に見たあの笑顔を思いだして、心がざわついて。


 そんな自分でも理解できない負の感情に苛まれて、年々近づいて来る婚姻の日取りに胸が掻き乱されている時に、ルーディッヒは、平民であるパルマに出会った。

 一目で、分かった。――この女は、自分の運命の相手である、と。

 それは運命の恋の相手だなんて、そんな甘ったるくて薄ら寒いものではない。――ルーディッヒは穏やかな表情の奥に、ギラつくような野心を押し隠して近づいて来るパルマに、自身のパートナー(共犯者)としての素質を嗅ぎ取ったのだった。


 裕福な商人が徐々に力をつけ、下手な貴族よりも権威を奮いつつあり、民主制の声も小さいながら上がるようになったルシェルカンドの現状に、ルーディッヒは常日頃考えていた――ルーディッヒが王位を手に入れる為に必要なのは、貴族の後押しではなく、平民たちの支持なのではないかと。

 今の時点で貴族の根回しに関しては、既に十以上年長の兄が、地盤を固めてしまっている為、いくらルーディッヒが奔走したところで敵いそうにない。ならば、ルーディッヒは別の方向から、自身の基盤を作って行かなくてはいけない。

 そんなルーディッヒにとって、裕福な商人の娘であるパルマの存在は、まさに打ってつけの存在だった。……ルーディッヒが高慢な大貴族の令嬢との婚姻を破棄して、平民である娘を選ぶ美談を作り上げれば、平民たちは沸く。

 元々、民衆というのは高慢な貴族が遣り込められる玉の輿物語が大好きだ。パルマの幸福を我物のように照らし合わせ、また上手く誘導すれば、そこからルーディッヒが平民の想いを組み上げられる稀少な王族と思わせることができる。

 くしくも、セルファ家の権威を削ぎたいと考えている、ダルド家の家長エドモンドが、ルーディッヒに接触を図っていた。ルーディッヒの中で、瞬く間にアレクサンドラを…ひいてはセルファ家を追い落とし、パルマを自分の妻にする計画が出来上がった。

 計画が成功すれば、王になる為の新たな基盤を手に入れることができる。……そして、アレクサンドラさえ国外追放できれば、理解できない胸の苦しみからも、きっと解放される。

 アレクサンドラは、ルーディッヒの想定通り、愚かに動いてくれて、全ては計画通りに薦められた。アレクサンドラがモルドラに嫁ぐ様を見送ったその晩、ルーディッヒは一人ワインを片手に自身の計画の成功を祝った。


 ルーディッヒの誤算は、二つ。


 一つは、娘を失い、また罪人の家族のような立場に追いやられて意気消沈するかと思われたセゴールが、復讐に燃えてダルド家を追い落としたこと。


 そしてもう一つ――アレクサンドラを国外に追いやってもなお、不可解な胸の苦しさは無くならなかったことだ。

 寧ろその苦しさは、アレクサンドラが婚約者としてルシェルカンドにいた頃よりもひどくなっていた。

 ふとした瞬間、昔のアレクサンドラの笑みが、脳裏によぎる。アレクサンドラの声が、耳に蘇る。


 アレクサンドラが、外国でルシェルカンドの悪評を広げていることを懸念するが故だろうか。ならばいっそ、アレクサンドラをリヒャルトに嫁がせて、近くで見張らせて置いた方がまだましかと思って、リヒャルトとセゴールをモルドラに派遣することにした。それが、誰にとっても最良の方法だと、そう信じたが故に。


(しかし、リヒャルトに嫁がせる了承を得やすくする為とはいえ、先に私の第一夫人になることを提案したのは気の迷いだったな……万が一、アレクサンドラの虚栄心故に了承されたらどうするつもりだったんだ、私は)


 先に受け入れがたい提案を進めることで、次の少し易しい提案を受け入れやすくさせることは、交渉術の基本だ。断られることを前提とした提案で、本気でアレクサンドラを第一夫人にするつもりなんかなかった。

 しかしアレクサンドラが王族に嫁ぐことにこだわって、ルーディッヒの正妃になる道を選んだら、一体自分はどうしたのだろうか。

 せっかく集めつつある民衆の支持も、華美に装飾して創りあげた美談も捨て、アレクサンドラを妻にしたと言うのか。今まで築き上げた物を、全て投げ打って。

 ……なんて、馬鹿馬鹿しい話だ。想定外の事態に、あの時の自分はどこかおかしくなっていたとしか思えない。


 一瞬脳裏に過ぎった、成長した今の姿で隣で笑うアレクサンドラの姿を、ルーディッヒは頭を左右に振って、振り払った。


 ――本当に、どうか、している。



「……そう言えばさっきから気になってたんだが、リヒャルト。お前は胸に何を入れているだ? そんなに胸元を膨らませた状態で王宮を歩きまわるのは、あまり品が良くないと思うよ。貴族として」


「ああ……これですか」


 溜息を一つついて、気分を変えるべくそう口にすると、リヒャルトは膨らんだ胸元から、一輪の真紅の花を取り出した。

 一瞬、その鮮やかな紅に目を奪われたリヒャルトだったが、すぐに我に返って、眉を顰めた。


「……何だい。その失敗したロズアのようなみっともない花は。花弁のつき方も、葉の形も優雅さとは程遠いじゃないか」


「モルドラに自生する、リラという花です。――アレクサンドラ様は、私達に言いました。ロズアよりもリラでありたいから、モルドラに留まると」


「雑草になりたいとは、増々理解できないな! そんな花より、人の手が掛かったロズアの方が、ずっとずっと美しいだろうに」


 本当に、理解できない。――理解できない女のことなんて、もうどうでもいい。

 アレクサンドラが戻ってこないことが分かった今、ルーディッヒはそのことを前提として、新たに自身が王となる為の道を考えて行かなければならないのだから。

 他国に渡り、利用できなくなった女のことを、考える余裕なんてないのだ。

 今、パルマはモルド家の養女時代に培った人脈と、実家の人脈を活用して、新たな立場を確立しようと奔走している。自分のことを、あたかも悲劇のヒロインのように、周囲に思わせて同情を誘いながら。

 その新しいパルマの立ち位置を元に、ルーディッヒもまた新たな物語を描いて行かなければならない。父が退位する、その時に向けて。


 リラの花なぞ、要らない。

 否、ロズアですら、ルーディッヒには必要がない。

 欲しいのは、玉座だ。

 そして、その玉座へ繋がる道を作るもの。

 花になんて、心を傾ける時間なんてない。


「……さて、そろそろお父上のご機嫌伺いにでも向かうか。リヒャルト、お前も来るか?」


「遠慮します。私と向き合う時のルーディッヒはあまり嘘はつかないので傍にいて楽ですが、他の人に対して嘘だらけのルーディッヒは見てて体が痒くなるので」


「……本当にお前は、素直な男だよ。だからこそ、私はお前にだけは、素を見せられるのだけどね」


 要らない。

 要らない。

 そんなみっともない、役に立たない花なんて、要らない。


 ――ああ、だけど


(きっと私は、あの鮮やかな紅を、これからも忘れることはできないのだろう)


 そう。幼いアレクサンドラの笑顔を、ずっと忘れられなかったのと同じように。


 きっと、これから、何度も、あの紅に囚われ続けるのだろう。



 そんな予感に唇を噛みしめながら、ルーディッヒはその場を後にした。

 リヒャルトはそんなルーディッヒの背中を見つめながら、手の中の花を口元に当てて、すっかり弱くなってしまったリラの芳香を吸い込んだ。


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