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その花の名は

※前述の「薔薇」の表記を、異世界風に「ロズア」に変更しました。

「…ちょっと、ノーティ。どこに行こうとしているの?」


【こっちだよ。こっち。すぐそこだよ】


「すぐそこって…森じゃないの!! ノーティ、貴方、あれ程迷うかもしれないから駄目だって言ったのに、森に入ったわね!!」


【う…でも、でもまようほど、おくになんていってないよ!! それに、それにアレクサンドラがいけないんだよ!! オトーサマたちにつれられて、ぼくをおいていくから!!】


「……それは、私が悪かったわ。悪かったけど……もう。無事だったから良かったけれど…」


【…それよりアレクサンドラ、はやく、はやく‼】


「もう、ノーティ! 誤魔化そうとしているわね!!」


 ノーティに促されるがままに、森へと足を踏み入れたアレクサンドラは、明らかに人が歩くのに適していない獣道へと飛び込んでいったノーティに、少しだけ眉を顰めた。

 一瞬に躊躇の後、茂みを掻き分けるようにして、アレクサンドラもまた、ノーティの後を追った。木々や葉で、少し皮膚が切れて痛みを感じたが、モルドラで生活を送るアレクサンドラには、最早それくらいの痛みは慣れっこになっている。

 茂みを抜けるとそこは、思いの他開けた野原に繋がっていた。

 そして、その途端飛び込んで来た光景に、アレクサンドラは息を飲んだ。


「…ロズアの花!? なんで、こんなところに……」


【ね? アレクサンドラ。きれいでしょ。……げんきがでるでしょ?】


 ロズアの花は、ルシェルカンドの庭園でよく見かけられる、観賞用の花だ。

 花弁が幾重にも重なって広がったような華やかな見た目と、胸をすくような甘い香りで、特に貴族の間で人気を博している。

 その、ロズアが今、アレクサンドラの目の前に、色とりどりに咲き乱れていた。

 アレクサンドラにはその光景が、信じられなかった。

 ロズアは美しいが、その分、ひどく手が掛かる繊細な花なのだ。ルシェルカンドほどの天候にも恵まれた肥沃な地であっても、熟練の庭師の手が無ければ、すぐに枯れてしまう。ルシェルカンドでは、ひどく容易いことを、「ロズアを枯らすようなこと」と言うくらい、その認識は一般的だった。

 いくら森林地帯だからといって、ルシェルカンドよりは気候条件も、土の性質も、幾段にも劣ったモルドラの地でロズアの花が咲いているなんて、ありえないことだった。しかも、人の手に掛かることなく、野生のままの環境下で自生しているだなんて。


【ぼくがアレクサンドラのために、ひとつ、つんできてあげるね】


「…待って、ノーティ‼ 危ないわ。 ロズアには棘があるのよ」


 その繊細で美しい見かけと裏腹に、その茎一面に棘が生えていることもまた、ロズアの特徴だった。幼い頃、うかつにロズアを摘もうとして、棘が指に刺さって泣いた経験は、今でも鮮明に覚えている。

 けれども、ノーティはそんなアレクサンドラの警告に、ひどく不思議そうに首を傾げた。


【とげ? とげなんて、どこにもないよ】


「え……」


 唖然とするアレクサンドラに、ノーティはその牙で噛み切ったその花を、一つ持ってきてくれた。

 おそるおそる差し出した手に落とされた花の茎には、確かに棘など一つも生えてはいなかった。


(違う…ロズアじゃ、ないわ)


 よくよく見てみると、その花は棘がないこと以外にも、ロズアとは随所異なっていた。

 その美しさをより際立たせる為に、永年品種改良され続けたロズアとは、まず花弁の重なり方が違う。手の中の花の花弁の着き方は、よく言えば豪快で、悪く言えば大雑把だ。生えている葉の形も、ロズアに比べると大ぶりで歪だ。繊細で優美なものこそが良しとされるロズアとは、明らかに趣が異なっている。

 だけどその花には、ロズアにはない力強さが、あった。野性を生きる花としての、逞しさがあった。


 アレクサンドラは顔を上げると、辺り一面に咲く花達の姿を、改めて目に焼き付けた。

 その光景のあまりの美しさに、どうしようもなく心が震えた。



 ――ああ。人の手を借りることなく、自分の力だけで天に向かって真っ直ぐ伸びる、この花達はなんて、美しいのだろう。


 なんて、勇ましいのだろう。


 そんな環境であるのにも関わらず、身を守る為の棘一つ纏うことなく、堂々と咲き誇る、この花達は。



【…どうしたの?アレクサンドラ。やっぱりとげがあって、どこかけがしたの?】


 いつの間にかアレクサンドラの頬には、涙が伝っていた。

 アレクサンドラは心配げに自分を覗きこむノーティに、微笑みかけながら首を横に振った。


「いいえ。ノーティ……私はただ、感動しただけよ」


【かんどう?】


「そうよ。……あんまり、この光景が美しかったから」


 アレクサンドラは涙を拭うと、手に持った花弁を口元に寄せて、香りをそっと嗅いだ。

 やはりその香りは、ロズアのそれとは違っていたが、それでも甘く、優しい香りがした。


「ありがとう。ノーティ……貴方のおかげで、決心がついたわ」


 自分がどの道を選ぶべきか。

 アレクサンドラの心は、ほとんど決まっていた。



 だけど、最後に。

 最後に、どうしても、背中を押して欲しかった。

 他の誰でもなく、アレクサンドラが、誰よりもその隣にいることを願い続ける、その人に。




「……お帰りなさい、オシュクル」


 夜が更けても、先に眠りにつくことがなくテントの中で帰りを待ち続けていたアレクサンドラに、オシュクルは小さく眉を寄せた。


「……まだ、寝てなかったのか」


「ええ……オシュクルを、待っていたのよ」


 王として、客人を持て成すことに集中しなければならない。

 そんな名目で、オシュクルは今までアレクサンドラと話す機会を避けていた。アレクサンドラだって、馬鹿じゃない。それがあくまで言い訳で、オシュクルが単にアレクサンドラと向き合いたくなかったことなんて、察しがついている。

 だけど、ここまで来たら、もうオシュクルに逃げ場なんてない。オシュクルは少し躊躇った後、アレクサンドラの傍らに腰をおろして、その髪へと手をやった。


「何を頭に刺しているかと思えば…リラの花、か」


「リラの花?」


「ああ。この辺りの地帯では多く自生している花だ。多少の悪環境でも適応して花を咲かせるので、植物が少ない地域では目の保養になると人気が高い」


 そういってオシュクルは、小さく目を細めた。


「…よく、似合っている。アレクサンドラ。お前の金の髪に、リラの紅がよく映える」


 アレクサンドラは、そんなオシュクルに小さく笑い返しながら、リラに触れていたオシュクルの手に、自らの手を重ねた。


「ありがとう。嬉しいわ……だけど、オシュクル。私が今したいのは、そんな話じゃないのよ」


 オシュクルの手を握り締めたまま、アレクサンドラは真っ直ぐにオシュクルの瞳を覗き込んで尋ねた。


「ねぇ、オシュクル……貴方は、私にルシェルカンドに戻らないで欲しいとは、言ってくれないの」


 オシュクルの黒い瞳が一瞬、小石を投げ込んだ水面の波紋のように揺れた。

 だけど、アレクサンドラがその意味を探ろうとする前に、オシュクルは目を閉じて首を横に振った。


「……私が、何か言えることではない。アレクサンドラ、お前が決めることだ。私はただ、お前の意志に従うだけだ」


 低い声で発せられた言葉に、アレクサンドラは少なからず失望を覚えた。


 そんな、言葉が聞きたかったんじゃない。

 ただ一言、行くなと、そう言って欲しかった。

 そう言って貰えたら、その言葉さえもらえればアレクサンドラは、大切なものを捨てる覚悟を持てたのに…!!


「そう……なら、もういいわ」


 アレクサンドラは込み上げる嗚咽に耐えながら立ち上がると、オシュクルから背を向けた。

 今のオシュクルに、泣き顔を見られたくなかった。

 今のオシュクルと一緒に、いたくなかった。


 また一人で夜道を散策でもするつもりで、テントの入り口に向かって一歩足を踏みだした、その時、後ろから手を掴まれた。


「――そう、言わなければならないと、そう思っていたんだ」


 振り返ったアレクサンドラは、思わず呼吸を忘れた。


「…そう思って、いたのに…っ!……」


 視線の先のオシュクルの瞳は、今にも泣きださんばかりに潤んでいた。



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