覚えていて。忘れないで。知っていて
「……気に入ってましたよ……年齢の割に幼稚で、考えなしの所は直してしかるべきだと思いますがな!!……それでも、貴女様の前向きでめげない姿勢は、それがしが仰ぐべき王妃として、オシュクル様の奥様として、求めるに値すると思っております」
エルセトは、頬を染めたまま早口で言い放つと、どこか居心地が悪そうな表情でアレクサンドラに向き直った。
「……感謝さえ、しております。貴女様がいたから、クイナは過去の苦しみと決別ができた。フレムスは、自身の神であるウィルカとの関係を改めることができた。オシュクル様は、アズリスの死の重荷を、ただ一人で負うことはなかった。――他の誰でもできたことではない。貴女様だから、できたことです。貴女様だからこそ、貴女様が思うがままに行った行動だったからこそ、救われた者がいることを覚えていて下さい。そして救われた者達は皆、貴女様を大切に想っているということを。……例え、貴女様が、この先どのような道を選んだとしても」
エルセトの真っ直ぐな言葉は、アレクサンドラに激しい衝撃を与えた。
自分は、そんな大それたことなぞ、していない。ただ、思うがままの行動しただけだ。
その行動で、時には人を傷つけたりもした。
それなのに、そんな自分をこんな風に評価してもらえるだなんて、思ってもみなかった。
エルセトは毒舌な皮肉家だが、こういった場面ではけして嘘はつかない。だからこそ、向けられた言葉は、彼の心からの賛辞であることが分かった。
オシュクルや、クイナ。フレムスも、こんな風に自分を思ってくれているのだろうか。
アレクサンドラを大切で、必要だと、思ってくれているのだろうか。
「……それに。それに、そう言ったことを除いても、それがしは」
エルセトは頬をさらに赤くされると、再び視線を逸らしながら小さく言い放った。
「……それがしは、何だかんだで嫌いじゃありませんでしたぞ。オシュクル様についての恋愛相談を聞かされる鬱陶しい時間も。目の前で、思わず攻撃魔法を仕掛けたくなるようなイチャつきを繰り広げられるのも」
「エルセト……」
「……ああ、もう‼ それがしばかりに言わせてないで、いい加減出てきたらどうですかな!! 茂みの裏に二人隠れていることなぞ、それがしにはとっくにお見通しですぞ!!」
耐えかねたようなエルセトの叫びに応えるかのように、傍の茂みが揺れた。
「アチャ~。バレてマシタか。最近俺の存在感の薄さも弱まってきているんデスかね。せっかくの特技だと思っていマシタのに」
「……………」
「フレムス、クイナ……どうして、ここに」
苦笑いを浮かべながら茂みの裏が出てきたフレムスと、それに続くように現れた暗い顔のクイナに、アレクサンドラは瞠目する。
フレムスはそんなアレクサンドラからバツが悪そうに視線を逸らして、頬を掻いた。
「いやぁ、そのデスね。アレクサンドラ様が暗い顔をしてテントから出て来たのを見たクイナが、ココまで着いてきてしまいマシテ。で、そうなったら、クイナに飛行訓練を教えていた俺も一緒に行かなければいけないデショウ? けして盗み聞きするつもりじゃ……」
「………」
「ほら。クイナも、何か言っ…」
「……帰るの…ですか…」
クイナはフレムスの言葉に反応を見せる様子もなく、ただ真っ直ぐにアレクサンドラを見つめて、口を開いた。
「帰って、しまうの、ですか……ここを、離れて…遠くへ行ってしまうのですか……」
その瞳は、滲み出る涙で潤んでいた。
「……まだ、分からないわ。色々、迷っているの……」
「そう……ですか……」
掠れた声でそう言ったクイナは、一度俯いて唇を噛みしめると、ひくりと喉を引きつらせた。
それでも溢れ出しそうになる涙を堪えるように顔を歪めながら、再び顔を上げてアレクサンドラを見据えた。
「例え!…例え、どこにいようと…別の国にいようと…私は、アレクサンドラ様の、友です…!!…どこへいても…私は貴女様を、大切に、思って、います……」
「……クイナ」
「それだけ、は、忘れないで、下さい…!!」
「クイナ‼」
クイナはそれだけ言い放つと、アレクサンドラから背を向けて、駆け出して行ってしまった。
その背中は、明らかに泣いているように、震えている。
思わず追いかけようとしたアレクサンドラを、エルセトが引き留めた。
「放っておいてやって下さい。……クイナが行く場所なんて、グゥエンの所以外ありえませぬので。まだ道を決めていない貴女様が言っても、クイナを一層混乱させるだけですぞ。グゥエンのもとで、このまま泣かせてやって下さい。……クイナは今初めて同年代でできた友人を、無くすかもしれないのですから」
「でも……」
「……心配ナラ俺が追いかけマスよ?」
エルセトとアレクサンドラの間に上半身を挟みこむように傾けながら、フレムスが片手を上げた。
「俺は存在感が薄いから、今の動揺しているクイナだったら、気付かれないように追いかけられマス。泣きやむまで、遠くで見守ってマスよ……それより、アレクサンドラ様はノーティの所へ行ってあげて下サイ。アレクサンドラ様のことを、心配してむずかっていたようデスから」
「フレムス……」
「――ああ、でも、クイナを追いかける前に、コレだけは言わせて下サイ」
そう口にした途端、フレムスはにやけた顔を引き締めて、真剣な表情でアレクサンドラに向き直った。
「先程エルセトが言っていたことは、本当デス。……俺は、貴女に救われマシタ。貴女のお蔭で、望まず選ばれてシマッタ事への罪悪感を払拭して、新たな気持ちで、ウィルカに向き直れた……感謝しても、しきれナイ」
「そんな…元はといえば、私のせいでクイナは…」
「貴女がどう思おうが関係ないのデス。俺が救われたと思っているカラ、それは事実なのデス。クイナも、それは同じデショウ」
フレムスは小さく笑うと、そっと目を伏せて言葉を続けた。
「アレクサンドラ様。貴女がどういう道を選ぶのも、自由デス。……ですが、俺達が貴女を大切に想っているコトは、知っていて下サイ。大切で……できるコトならば、離れたくないと。俺達と共に生きる道を選んで欲しいと、そう思っているコトは」
【アレクサンドラ‼】
アレクサンドラが訪ねると、ノーティはしょぼくれたように垂れ下げていた尻尾をピンと立てて、そのままアレクサンドラの方へ飛び掛かってきた。
いつものようにアレクサンドラが腕の中に受け止めると、ノーティはその蜂蜜色の瞳を潤ませて、アレクサンドラを見上げた。
【アレクサンドラ‼ だいじょうぶだった!? オトーサマと、あのへんなぎんいろのやつに、いじめられなかった!?】
「……いじめられてなんかいないわ……ただ」
【ただ?】
アレクサンドラは、腕の中のノーティを見据えてしばし逡巡する。
未来を見通すことができる能力を持つドラゴンである、ノーティ。
ノーティならば、これからアレクサンドラが選んだ未来が分かるのだろうか。
アレクサンドラが何を選ぶべきか、教えてくれるだろうか。
(だめよ…ノーティは運命なんて分からないと、そう言ってたじゃない)
アレクサンドラは胸に浮かんだ誘惑を打ち消した。
ノーティは知っていることしか、知らないとそう言った。もし今のアレクサンドラの状況を、未来を知っているなら、苛められたのかだなんてアレクサンドラを心配したりはしないだろう。下手なことを口にして、クイナに続いてノーティまで混乱させたくない。
それに、もし選ぶべき未来をノーティが知っているとしても、それを聞いてはいけない気がした。
自分で、選ぶべきことなのだ。自分で考えて結論を出すべきことなのだ。……ノーティに、それを押し付けてはいけない。
ノーティを腕に黙り込むアレクサンドラに、増々心配を募らせた様子のノーティが、アレクサンドラの服を小さな手で握り締めた。
【……ねぇ、アレクサンドラ。ぼく、すごくいいばしょ、みつけたんだ。すごく、げんきがでるところ。……アレクサンドラだけ、とくべつにつれていってあげる】




