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選ばなければならないもの。捨てなければならないもの

「……貴方様は、本当に良く眠る方ですな。まだこんなに日が高いというのに」


 エルセトは飛行訓練を終えるなり、またすぐに眠りの淵に旅立ってしまいったセルネの体を布で拭きながら、呆れたような笑みを漏らした。

 エルセトの神であるセルネは、とにかくマイペースで気ままな性格をしている。いつだってどこだって、気が赴くままに自分の好きなように行動するセルネは、神経質なエルセトと相性が悪いように思われがちだが、エルセトは初めて会った時から、この神がとても好きだった。

 単にそれはセルネが自分を【トゥズルセア】に選んでくれたからではない。自身ではあまり自覚はないが、エルセトは何だかんだで世話好きなのだ。手が掛かり、世話が焼ける相手ほど、その分余計愛おしいと心を注ぐ。そう言った意味では、セルネとエルセトは、実に理想的なパートナーと言えた。


「そう言えば、前から思っていたのですが、セルネ……貴方様は少し、王妃様に似ていますな」


 本能の赴くままに、感情のまま生きているアレクサンドラを思いだし、エルセトは苦笑する。ドラゴンとしてのセルネの年齢も、アレクサンドラの年齢とさして変わらない筈だ。それなのに、揃って、年齢に比べて随分と子供っぽいものだ。……まぁ、アレクサンドラは当初に比べたら、大分大人びたように思わなくもないのだが。


(全く……オシュクル様も含めて、皆して世話が焼ける方ばかりですな。それがしの周りは)


 後ろから近付いて来た案の定な気配に、エルセトは小さく溜息をついて振り返った。


「そろそろ来ると思ってましたぞ……アレクサンドラ様」


 エルセトは、蒼白な顔に苦悶の表情を浮かべて立っているアレクサンドラに、小さく笑いかけた。




 誰に尋ねればいいのか。

 そう考えた時に、まっさきに頭に浮かび上がったのは、エルセトだった。


 オシュクルに、今の時点で向き合うのは怖い。

 クイナには、そもそもルシェルカンドに連れ戻されるかもしれないなんて、言えない。

 フレムスや、他の皆に打ち明けるには、あまりにも重過ぎて。


 この、口は悪いが存外世話焼きで優しい男ならば、きっとアレクサンドラの求める答えを、動じることなく口にしてくれると、そう思ったから。


「……私がどうしてここに来たのか、エルセトは分かっているの?」


「アレクサンドラ様は、それがしを誰だとお思いで? それがしは旅の際、常に薄い結界を遊動の旅の人員周辺に張り巡らせております。その結界は人を弾くことまでは出来ませんが、侵入者の存在は随時それがしに教えてくれるのです。ルシェルカンドからアレクサンドラ様に近しい人たちが来たことなんて、とっくに気付いておりましたぞ」


 エルセトの言葉に、アレクサンドラは目を伏せる。

 ここまで理解しているのなら、下手に言葉を重ねなくても、エルセトにはセゴール達の目的は勿論、アレクサンドラの聞きたいことですら、お見通しだろう。

 アレクサンドラは大きく息を吸いこむと、縋るように言葉を吐きだした。


「ねぇ、エルセト。お父様が、婚姻を破棄してルシェルカンドに戻ってこないかと言うのだけど……【トゥズルセア】に選ばれた私が、今更ルシェルカンドに戻ることなんて、できないわよね」


「戻ることなんてできない」その返事を期待しながら。



 できないなら、仕方ない。

 できないなら、考えるまでもない。

 アレクサンドラは、セゴール達の提案を拒否して、モルドラで生きていくことを選択するしかない。

 どうしようもない葛藤に、心を揺らす必要なんて、ないのだ。


 だが。


「――いいえ。アレクサンドラ様」


 だけど、エルセトは、アレクサンドラが望む答えを返してはくれなかった。


「ドラゴンはあくまでモルドラの地でしか生きられませぬ。【トゥズルセア】という絆もまた、モルドラの地でしか意味を成さないもの。そしてドラゴンは、【トゥズルセア】が存在しなくても、他の仲間たちや、それがし達の手によって、不自由なく生活を送ることができます」


 エルセトはその細い目を見開き、その黄金色の瞳を真っ直ぐに向けた。


「【トゥズルセア】という絆は、貴女様をモルドラの地に強制的に縛りつけるものにはなりえませぬぞ。アレクサンドラ様。婚姻を破棄してルシェルカンドに戻るか。モルドラに王妃として留まるか。――貴女様が、自分で選ばねばならぬのです。自分の意志で決めて……どちらかを捨てなければならないことなのです」


 エルセトから突きつけられた言葉に、アレクサンドラは思わず顔を覆った。

 アレクサンドラにとって、最も残酷な現実を、エルセトは容赦なく突きつけてきた。


 仕方がないのならば、良かった。

 オシュクルとの結婚が決められた時のように、意志なぞ関係なく強制されたなら、アレクサンドラはただ従うだけで、良かった。

 こんな風に、胸が二つに引き裂かれるような葛藤に、苦しむ必要はなかったのに…!!


 オシュクルを愛している。クイナも、大好きだ。エルセトも、フレムスも、遊動の旅の人員たちも、皆好きだ。そして勿論、自分を【トゥズルセア】に選んでくれた、ノーティをはじめとした、ドラゴン達も。

 アレクサンドラは、今の自分の環境に満足していた。今の自分を取り巻くものを、全て愛していた。

 だけど。だけども。

 アレクサンドラは、父であるセゴールだってまた、愛しているのだ。

 生まれてからずっと、アレクサンドラを愛し慈しんでくれた、セゴール。アレクサンドラがいなくなったことで、あんなにも痩せてしまった父を、あのまま一人にしてしまって良いのだろうか。泣きながら、アレクサンドラに帰って来いと言った、父を。

 そして、緑と花に溢れた、懐かしい祖国ルシェルカンドもまた、慕わしかった。

 もう二度と帰れないと思っていた、祖国。四季が美しい、アレクサンドラの生まれ育った故郷。

 そこで過ごした懐かしい思い出が、アレクサンドラを苦しめていた。


 どちらも取ることなんて、できない。だから必ず、どちらかは捨てなければならない。

 でも、どちらを捨てることになっても、アレクサンドラは辛くて仕方ないのだ。

 それなのに、それを、自分の意志で選ばなければならないなんて…!!


 両手で顔を覆って啜りなくアレクサンドラの耳に、エルセトの小さなため息が聞こえてきた。


「……まあ、それが、王の片腕として客観的に述べる事実です。……これから、それがしが言う言葉は、それがしの一人言だと思って聞いて下さって結構」


 顔を涙で濡らしたまま顔を上げたアレクサンドラに、エルセトは眉を寄せると視線を逸らして吐き捨てるように言葉を続けた。


「オシュクル様が許可を出していたので、それがしとしては何も言えないのですが、個人的には今の状況は酷く不愉快ですな!! 仮にも一国の王の妃を、都合が悪くなったからと言って、奪いに来るだなんて、まともな神経の持ち主だったらまずされないでしょう!! モルドラのことも、オシュクル様のことも、舐めているとしか思えません!!」


 エルセトの憤りは最もだと、アレクサンドラは思った。エルセトはモルドラのことも、オシュクルのことも、大切にしている。

 セゴールの行動は、そんなエルセトが大切にしていた物を侮り、踏みにじったことと同じだ。

 我が父の行動ながら申し訳なくて、アレクサンドラは思わず唇を噛んで俯いた。


「――奪いに来る王妃が、それがしが少なからず気に入っている方なら、猶更ですな!!」


 しかし、思いがけなく続けられた言葉にアレクサンドラは目を見開いて、再び顔を上げた。

 エルセトは相変わらずどこかばつが悪そうな表情で、アレクサンドラを見て、再び視線を逸らした。その頬は、僅かに赤く染まっていた。


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