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婚姻解消の、その目的

「……それで。そもそも、お父様たちはどうして婚姻解消などといった馬鹿げたことを言い出したの?」


 アレクサンドラは胸の奥に広がっていた絶望を、零れ落ちそうになった涙を、強い意志で飲み込んで、真っ直ぐにセゴールを見据えた。

 今はオシュクルの真意を考える時ではない。それを考えるべきなのは、今ではない。

 だって、アレクサンドラは、モルドラの王妃なのだから。例えオシュクルがいつか別れる時を想定していた、仮初な立場であっても、その事実は変わりないのだから。


(……お父様は、リヒャルトは、ノーティの存在を知っているのかしら)


 リヒャルトの口から婚姻解消の提案が成された時、アレクサンドラの脳裏に過ぎったのは、まずそのことだった。

 大国モルドラに対して、諸外国が見出す価値はその戦闘力であり、つまりは彼らしか使役することが出来ないドラゴンだ。逆を言えば、痩せた土地が多いモルドラは、他国にはドラゴン以外の価値を見出すことが出来ない国とも言える。

 もし、他国で同じようにドラゴンを使役できる人物が排出されたら、モルドラに対する評価は地に落ちかねない。最悪、その広大な領地や、モルドラが所有する―少なくとも、外国ではそう考えられている―ドラゴン達を狙って、侵略戦争が勃発するかもしれない。

 アレクサンドラは、ルシェルカンド人でありながら、【トゥズルセア】に選ばれた。もし、その事実をルシェルカンドの上層部が知っていたなら。……それは想像するだけで体が震える程、たまらなく恐ろしい想定だった。

 ルシェルカンドは、アレクサンドラを掌握することで、ノーティをルシェルカンドに都合がいいように利用しようとするかもしれない。モルドラの地から、彼の親から、彼を愛する遊動の民から引き離し、ルシェルカンドに取り込もうとするかもしれない。――そんなことは、モルドラの王妃として、それ以上にノーティの【トゥズルセア】として、絶対に許せない。

 幾度かエルセトの魔法を通してセゴールに当てた手紙に、アレクサンドラは自身が【トゥズルセア】に選ばれたことなんてけして書かなかったし、情報漏洩を心配するエルセトが、必ず一度中身を確認していた。だから、普通ならばその事実が、ルシェルカンド側に漏れることなんてありえない。

 だが、相手は老獪なアレクサンドラの父セゴールであり、あのルーデッィヒだ。こっそり何らかの手を回して、情報を手に入れていたとしても不思議ではない。

 もしセゴール達の目的が、ノーティだとしたら、何としてでも提案を拒絶せねば――アレクサンドラは、ひっそりと拳を握った。

 だが、真剣な表情で眉を寄せたセゴールの口から出た言葉は、意外なものであった。


「落ち着いて聞け。アレクサンドラ。――ダルド家が没落した」


「……え?」


 ダルド家――その名を聞いてアレクサンドラは、咄嗟にそれがどの家を指しているのか思い出せなかった。それくらい、今のアレクサンドラにとって、ダルド家の存在はどうでもいいものになっていたのだ。

 そんなアレクサンドラの反応を勘違いしたセゴールは、皮肉気に口端を持ち上げた。


「驚くことではないだろう。アレクサンドラ。…私が、お前を他国に追放するようなきっかけを作った家をそのままにしておく筈がない。エドモンドは私を追いつめたと勘違いしていたようだが、唯一の弱点であるお前がいなくなった私に、あやつが勝てる筈ない事等少し想像すれば分かるだろうに……実に愚かなことだ」


 そこまで聞いて、ようやく思い出した。ダルド家は、元婚約者であるルーディッヒが恋い焦がれた平民の女を養子に迎えいれ、アレクサンドラの苛めの証拠を集め、アレクサンドラを国外追放に追いやった一家だ。

 しかしその事実に思い至っても、アレクサンドラはダルド家が没落したことに何の感慨も覚えなかった。

 今のアレクサンドラには、ダルド家に対する恨みはないし、かといって没落を同情する程優しくもない。

 貴族の権力争いに、正義も悪も存在しない。総合的により優れた方が勝ち、劣った方が負ける。セゴールの方がダルド家当主エドモンドよりも、一枚も二枚も上手だった。ただ、それだけだ。


「……それで? 連鎖的にルーディッヒ様の地位も怪しくなったと、そういうわけかしら?」


「いや…ルーディッヒ殿下の見切りは早く、私がダルド家の決定的な不正な証拠を手に入れるのを察するなり、自身の手でエドモンドを断罪なさった。身内とも言えるエドモンドの不正は、自らが責任持って正すと、そうおっしゃられて、な。……本当に、トカゲの尻尾切りが早いお人だ」


「あら。それは残念だわ。あの澄ましたお顔が焦りで歪んでいたとしたなら、もっと愉快な気分で今の話を聞けたのに」


 一応腹心であるリヒャルトが脇に控えているにも関わらず、セゴールもアレクサンドラも、エドモンドに対する棘を隠そうとはせず、リヒャルトもまたセゴールの言葉を肯定するように頷いていた。

 ……こういう時、嘘がつけない男というのは、楽でいい。


「だが焦ってないわけではないようでな。……幸いまだ婚姻までは至ってはいないが、それでも今のルーディッヒ殿下の婚約者殿は、養子とはいえダルド家の一員だ。犯罪者となった一族の娘を王族の妻にするのは、外聞が悪い」


「……でしょうね」


「それで、ルーディッヒ殿下か私に持ちかかけてきたわけだ。『当初の予定通り、アレクサンドラを第一夫人として娶り、現婚約者は愛人にしたい』とな」


「――実に、馬鹿馬鹿しい話ね」


 アレクサンドラの顔は盛大に歪んだ。馬鹿馬鹿しい。あまりにも馬鹿馬鹿し過ぎて、最早憤りすら出てこない。


「一方的に婚約破棄をしておいて? やっぱり都合が悪いから、既に決まった私の婚姻関係を壊して、結婚したいですって? それを本当に私が…セルファ家が応じると思っているなら、私はルーディッヒ様にお医者様に行くようにご提案するわ!!」


 ルーディッヒの提案は、大貴族であるセルファ家を侮っているとしか思えないものだった。

 世の中には、娘を都合の良い道具のようにしか思わず、婚姻や婚姻の解消を、一族の都合が良ければ簡単に行わせる貴族だっている。そういった貴族は、娘が馬鹿にされようが、ひどい目に遭わせられようが、利益さえあれば何も言わない。娘を蔑ろにされることと、家名を蔑ろにされることを完全に別物に考えている。

 だが、セゴールは違う。セゴールはアレクサンドラを愛している。例えそうすることで自身の地位がより確固たるものになったとしても、そんなことの為にルーディッヒの提案に乗るとはとても思えない。

 だからこそ、アレクサンドラはセゴールがここにいる理由が分からなかった。


「…ああ。あまりにセルファ家を馬鹿にした話だ。通常ならば、一蹴する話だ。一蹴すべき話だ。――だけど、私は思ってしまったのだよ」


 セゴールはそう言って、自嘲気に口端を吊り上げた。


「お前がルシェルカンドに戻って来られるなら、そんな屈辱に甘んじるのも悪くはないと、そう思ってしまったのだよ」


 再会以来ずっと神経を張り巡らせていたアレクサンドラは、その時になってようやく、セゴールの変化に気がついた。


「…………お父様…随分と痩せた、わね…」


 元々痩身だったセゴールだが、久しぶりに再会したセゴールの姿は、窶れていると言っても過言でないほどであった。

 顔の皺も記憶に有った以上の数が増え、目の下にははっきりと濃い隈が見て取れる。

 別れてからまだ一年も経っていないのに、まるで十年もの歳月が経ったかのようにセゴールは老け込んでいた。


「……痩せたのは、お前だろう」


 セゴールの灰色の瞳からじわりと涙が滲みだし、次の瞬間アレクサンドラはセゴールの痩せた腕の中で抱き締められていた。


「……こんなに、痩せて…まるで使用人のように、浅黒く日に焼けて…いつも、こんなに粗末なテントの中で眠っていたなんて…!! お前はなんという目に遭っていたんだ……」


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