繋がった真実
「クイナ……」
アレクサンドラはようやく、オシュクルの発した言葉の意味を理解することが出来た。
どのドラゴンでもいいわけではないのだ。
クイナが望むのは、この世でただ一頭、グゥエンだけで。
例えグゥエンに近しい存在であったとしても、他のドラゴンでは駄目なのだ。
その事実に安堵を感じる以上に、強く胸が締め付けられる。
(なんでこんなに想いが強いのに、グゥエンはクイナの気持ちに応えてくれないの?)
クイナはこれほど真っ直ぐにグゥエンを想っているのに。グゥエンを、グゥエンだけを愛し続けているのに。
クイナの想いが純粋だからこそ、余計に切ない。
「いい、です…私は、もう吹っ切れ、ました」
だけど、それでもクイナは笑った。
「アレクサンドラ様が、言って、くれました…私を、すごいと。【トゥズルセア】だからではなく、グゥエンを愛し、続け、傍にい続けたことが、すごいと……あの時は感情的になって分からなかった、あの言葉の意味、が…今になって、わかる……」
アレクサンドラを迷いない眼差しで、真っ直ぐに見据えながら。
「【トゥズルセア】であるとか、ない、とか…関係ない、です…【トゥズルセア】でなくても、私はグゥエンが好き…ずっと、好きで、大好きで…一番特別……それが、全て、なんです。それが、その事実が、一番大切なんです」
そんなクイナが、アレクサンドラには酷く眩しく見えた。
なんてクイナは強いのだろう。あの時のアレクサンドラの言葉なんて、ただ思うがままに捲し立てただけの言葉だったのに。所詮余所者の言葉と、そう思って拒否されて当然の言葉だったと、今の自分でも思うのに。
時間はかかったが、それでもクイナはちゃんと拾い上げて、受け止めてくれた。自身の葛藤を収める為に、アレクサンドラの言葉を自分の中に取り込んでくれた。
そう思うと、なんだか泣きそうだった。
「クイナ…お前、変わったな」
胸がいっぱいで何も言えないでいるアレクサンドラの言葉を代弁するかのように、脇に佇んでいたオシュクルが口を開いた。
「『良い顔』をするようになった」
そう言ったオシュクルの顔にもまた、はっきりとわかる微笑みが浮かんでいた。
「エルセトやフレムスから、事あるごとに、ねちねち言われて困っていたのだ。曰く、お前の表情があまり変わらなくなったのは、私の影響を受けたせいだと」
「それは…その…すみません」
「謝ることはない。お前がまた、昔のように笑えることが分かったからな…やっぱりお前は、笑っている方がいい。二割増しで美しく見える」
「……ありがとう、ございます…」
昔のアレクサンドラだったら嫉妬を覚えるような会話だったが、今のアレクサンドラは不思議と穏やかな気持ちで二人のやり取りを眺めることが出来た。
今のアレクサンドラには、二人の会話が親しい男女のそれではなく、歳が離れた幼馴染のそれにしか思えなかった。
きっと幼い頃も、オシュクルとクイナはこうやって親しげに言葉を交わしていたのだろう。エルセトやフレムスも交えながら。
アレクサンドラには、幼い二人の姿が、重なって見えるような気がした。
(……まぁ、クイナが私が知らないオシュクルを……あとオシュクルは私が知らないクイナを知っているのかと思うと、少しは嫉妬の感情も湧いてくるのだけど)
初めての恋の相手と、初めての親友。
どちらも大切な分、どちらにも嫉妬を覚えてしまう自分がいるのは否定できない。
十代の乙女の感情は、複雑だ。
【…アレクサンドラ。だいじょうぶ。ぼくがいるよ】
ノーティの気遣わしげな言葉が、逆に苦しい。
アレクサンドラは、嬉しそうにきゃーきゃー騒ぐノーティをぎゅうぎゅうに抱きしめながら、すっかり幼馴染の世界を創り出している二人の間に乱入する機会を伺った。
クイナは、謝罪は不要だと、そう言った。
それでも、だからと言って何も言わないわけにはいかないだろう。過去のアレクサンドラの言葉が、不用意だったことは確かなのだから。
「クイ……」
しかし発しかけた言葉は、突如聞こえてきた大きな鳴き声によって遮られた。
「……え」
クイナの目が、次の瞬間大きく見開かれる。
クイナは信じられないようなものを見るかのような目で、群れの方を見やった。
「……グゥエン…?」
鳴き声の主は、グゥエンだった。群れから一歩こちら側へ近づいていたグゥエンが、真っ直ぐにクイナを見つめていた。
その鳴き声は、いつもと変わらないドラゴンのそれだった。
けれど。
「…今、私を呼んだのは、グゥエンなの…?」
ただ一人、クイナの耳には異なった音で伝わっていた。
「っクイナ…!!まさか、グゥエンの声が…」
グゥエンが、もう一声鳴いた。その鳴き声を聞いた瞬間、クイナの全身はカタカタと震えだした。
夜空の色の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
「…グゥエン‼ グゥエン‼ グゥエン‼」
クイナはそのままグゥエンに駆け寄ると、手が届くように垂らされたその首にしがみ付いた。グゥエンは抵抗することなく、そんなクイナを受け入れていた。
取り残されたオシュクルとアレクサンドラは、その様を唖然と見つめていた。
「何で、今頃になって声が……」
隣から聞こえてきたオシュクルの驚愕の声は、まさにアレクサンドラの心でもあった。
(どうして、最初出会った時ではなく、今頃になって……)
ノーティは、言っていた。ドラゴンは自分の【トゥズルセア】は生まれた時から…否、生れる前から知っているのだと。それは全てずっと前から決まっているのだと、そう言っていた。
ならばグゥエンだって、最初にクイナと出会った時からクイナが自分の【トゥズルセア】であることを知っていた筈だ。
事実、クイナは出会った瞬間グゥエンが自身の【トゥズルセア】であることを直感的に悟っていたわけで、グゥエンが特別に扱う人間もまた、クイナだった。
それなのに、ただグゥエンの声だけは、クイナは聞くことが出来なかった。だからこそ、クイナはグゥエンの【トゥズルセア】になれなかった。
それは一体どういうことなのだろう。
(クイナがグゥエンに出会った時と、今。一体何が違うというの…?)
当時と今。決定的に違うこと。
それはグゥエンとシュレヌの間に、ノーティが生まれたこと。
アレクサンドラが、ノーティの【トゥズルセア】に選ばれたこと。
ドラゴン達にとって、物事の全てが必然なのだとしたら…。
次の瞬間、アレクサンドラの中で全てが一つに繋がった。
「私……?」
アレクサンドラは目を見開いて、思わず口元を手で覆った。
体がかたかたと震えだし、冷たい汗がこめかみを滴り落ちる。
「……外国人である私がノーティの【トゥズルセア】になることが決まっていたから、クイナは今までグゥエンの【トゥズルセア】になることが出来なかったというの…!?」
もし、クイナがグゥエンと初対面時に【トゥズルセア】に選ばれていたら。
王になっていたのはオシュクルではなく、群れの長であるグゥエンの【トゥズルセア】のクイナの方だったのかもしれない。どちらがなっていてもおかしくなかったと、フレムスはそう言っていた。
もしクイナが王に選ばれていたならば。オシュクルが王でなかったのならば。アレクサンドラが今のようにモルドラに王妃として嫁ぐ事は無かった。ノーティが生まれる瞬間に居合わせて、【トゥズルセア】に選ばれるなんてこと、ありえなかった。
それが全部、グゥエンには分かっていたなら。分かっていて、クイナが万が一にも王に選ばれないように、自らの声を聞かせなかったのだとしたら。
「私の存在そのものが、今までずっとクイナを苦しめ続けていたというの⁉」
それはアレクサンドラにとって、クイナがなるべき【トゥズルセア】に選ばれてしまったと思ったこと以上に、辛い真実だった




