不要な謝罪の、その理由
「っそれじゃあ貴方達は、人間の運命まで分かっているというの⁉」
同種族の寿命と、誕生を理解しているドラゴン。けれどもそれは、あくまで同種族の間のことだけだと思っていた。
けれども、ノーティが生まれる前からアレクサンドラが彼の【トゥズルセア】がアレクサンドラになることを知っていたように、ドラゴン達が人間の運命をも把握しているのだとしたら。
(――それは本当に神の領域だわ)
ぞわりと背中に鳥肌が立つのが分かった。
自分はもしかしたら、とんでもないものに選ばれてしまったのではないか。
あくまで概念上の存在に過ぎない神を讃え、自らの都合が良い「神の言葉」を、代弁者を騙って口にする、故郷ルシェルガンドの神官とは訳が違う。
運命を見越すものの声を聞く――それはつまり、自身もまた、神の領域に踏み込むことに他ならない。
そんな役目が、望んで選ばれたわけでもない自分に務まるのか。
【うんめい?…なに、それ?】
しかしノーティは畏怖の視線を向けるアレクサンドラを前に、心底不思議そうに首を傾げてみせた。
「だって…私が【トゥズルセア】に選ばれるって分かっていたのでしょう?」
【わかっていたよ。でもぼくがわかっているのは、きめられたことだけで、うんめいなんて、わかんないよ】
混乱するアレクサンドラに、ノーティは歌うように言葉を紡ぐ。
【アズリスがしんで、ぼくがうまれるのは、きまっていること。アレクサンドラがぼくのトゥズルセアになることも、きまっていること。ぼくがしぬときも、ぼくがしんであたらしくうまれるどらごんも、そのトゥズルセアもきまっているから、ぼくはわかる。…でも、ぼくはうんめいなんて、わかんないや】
(……わけが分からなくなってきたわ)
ノーティはそもそも運命の意味自体が分かっていないのかもしれない。そう思って、運命の意味を説明しようかとしたが、やめた。
琥珀のようにきらきらと光るノーティの金色の瞳を見ているうちに何だかどうでもよくなって来た。
「……そう、ノーティ。貴方が分かるのは決められたことだけ、なのね」
【そうだよ!!アレクサンドラ】
畏怖で強張っていた肩の力が、いつの間にか抜けていた。
きっとノーティたちの世界には、ドラゴンである彼らしか分からない世界があるのだ。
同じ人間であるアレクサンドラとオシュクルですら、生きてきた環境などから、見える世界は全く違った。それなのに種族ですら異なる彼らの世界を、簡単に理解なんて出来る筈がない。
それはきっと、もっと時間を掛けてゆっくり理解すべきことだ。
自分はその為に、ただ、これからゆっくりノーティと言葉を交わし、共に時間を重ねていくだけなのだ。何も怖がる必要なんてない。
(――だけどもし、全てが必然だとしたら)
意味があるのだろうか。
アレクサンドラが【トゥズルセア】に選ばれたことも。
そして、クイナが【トゥズルセア】に選ばれなかったことも。
アレクサンドラは、続いて始まったノーティの他愛がない話を聞きながら、そうであることを祈った。
「オシュクル……私、明日こそクイナとちゃんと話すわ」
今日は結局、ちゃんとクイナと向き合うことが出来なかった。
だから明日こそ、ちゃんとクイナと話そう。
そう決心して拳を握るアレクサンドラを前に、オシュクルは眉間に皺を寄せてこめかみの辺りを掻いた。
「アレクサンドラ。お前が何を気にしているかは大体理解しているつもりだが…だからと言って、クイナに謝罪をする必要は全くないと思うぞ」
「でも…っ」
「そもそもクイナはお前が考える程、ノーティの【トゥズルセア】に選ばれることを望んでいない」
(え…)
予想外の言葉に戸惑うアレクサンドラを寝かしつけるように、横に寝転がったオシュクルはアレクサンドラの上に布団を掛けなおした。
「多少のショックはあったかもしれないが、それ以上にクイナは自分が選ばれなかったことに安堵していた筈だ」
「どうしてそんな…」
「クイナはただの【トゥズルセア】になりたいわけではないからだ」
…意味が分からない。
やっぱり自分とオシュクルは見えている世界は違うのだと思わざるを得ない。
「明日は私も共にドラゴンの様子を見に行こう。産後のシュレヌの体調が心配だからな。アレクサンドラも、その方が安心だろう」
それだけ言うとオシュクルは、未だ困惑したままのアレクサンドラを置き去りにして眠りについてしまった。
「……結局、さっきのはどういう意味なのよ」
アレクサンドラは自分に疑問を抱かせるだけ抱かせておいて眠ってしまった、言葉足らずの夫を恨んだが、昨夜あまり眠れなかったこともあって、すぐに後を追うようにして眠りの淵に沈んでいった。
翌朝。アレクサンドラがオシュクルと連れ立ってドラゴン達の元へ行くと、いつものようにクイナがグゥエンと触れ合って待っていた。
「おはよう…ございます。アレクサンドラ様…と、オシュクル、様」
「ああ。おはよう」
「……おはよう。クイナ」
【アレクサンドラ‼!】
オシュクルの言葉に重ねるように、遠慮がちで挨拶を告げたアレクサンドラだったが、直後に脳裏に響いた大声に思わず目を瞑った。
そして次の瞬間、小さな陰がドラゴン達の中からアレクサンドラに向かって飛び出して来た。――ノーティだ。
「あ、わ」
【おはよう!!アレクサンドラ‼ぼくにあいにきてくれたの?】
「…ノーティ、あぶないでしょう!!」
勢いよく腕の中に飛び込んで来たノーティを、体勢を崩しそうになりながらもなんとかキャッチしたアレクサンドラは、きっと眉を吊り上げてノーティを叱りつけた。
「ちゃんと受け止められたから良かったけれど、落ちて痛い目にあうのはノーティなのよ?まだちゃんと飛べないって言っていたじゃないの!!」
昨日、おしゃべりなノーティはアレクサンドラに、生れたばかりでまだ満足に空を飛ぶことが出来ないのだと愚痴を零していた。
羽根を広げて滑空に勢いをつけることは出来るが、舵を切ったり、自在にあちこち飛び回ることは出来ず、移動する際は母であるシュレヌの背中に乗せられているらしい。
そんなノーティを取り落としてしまったら勢いのままに地面に叩きつけられてしまう。だからこそ最悪自分の身を犠牲にする覚悟で必死に受け止めたわけだが、ノーティの方はそんな可能性には露とも気付いていなそうだ。
尻尾を振って擦り寄る様は実に愛らしいが、甘やかしてはノーティの為にはならない。
【あ…ごめんなさい】
しかし、しゅんと尻尾を垂らして項垂れるノーティの姿を見ると、すぐに罪悪感が湧か上がってくるのも事実だ。
「分かればいいわ…おはよう。ノーティ」
落ち込むノーティを宥める様にぎゅっと抱きしめて頬ずりをしてやると、すぐにノーティの機嫌は直った。
【おはよう!!アレクサンドラ】
「「…っく」」
重なるように聞こえてきた二つの笑い声にアレクサンドラが顔をあげると、そこには押し殺すように笑うクイナとオシュクルの姿があった。
「シュレヌとグゥエンの幼子は、随分とまぁ元気だな」
「ええ…あまり両親には、似ていない、ようです…」
普段は表情を崩さない二人の、揃って珍しい笑い顔に思わず目を見開いて見入るアレクサンドラだったが、すぐに本来の目的を思い出して表情を険しくした。
(そうだわ。私、クイナに……)
「クイナ…私…その」
「――本当に、愛らしい子ども、です」
しかしアレクサンドラの謝罪の言葉は、クイナの言葉に封じられてしまった。
クイナはそっとノーティの頭を撫でながら、微笑んだ。
「だけど。私がこの子を、殊更愛らしいと思うのは…この子がグゥエンの子、だから、でしょうね」
どこか吹っ切れたような、清々しさすら感じさせる笑みだった。
「……アレクサンドラ様。貴女は、私がノーティの【トゥズルセア】になれなかったことを、気にしているようですが…私は、これで良かった、と…思ってます」
「そんな…どうして」
「だって、意味がない」
そういってクイナは、切なげに目を細めながらドラゴン達の群れの方を向いた。
「ただ【トゥズルセア】になっても、私には意味がない、です…私が【トゥズルセア】になりたい相手は、グゥエン、だから…グゥエンの【トゥズルセア】でなければ、なんの意味もないから」