新しい生命の誕生
「ドラゴンの赤ちゃん?」
「ああ。シュレヌがグゥエンとの間に卵を産んだ。まもなく孵る筈だ」
オシュクルの言葉にアレクサンドラは目を見開いた。
先日アズリスが亡くなったばかりなのに、その矢先で新しい生命が生まれるなんて。思わず複雑な気持ちになる。
しかしそんなアレクサンドラの気持ちを察したオシュクルはゆっくり首を横に振った。
「ドラゴンの個体数は常に一定だ。一個体に死が訪れれば、必ず新たな生命が誕生する。それが、彼らの中では自明の理なんだ」
(そう言えば、アズリスの葬儀の中でもそんなことを言っていたわね)
そう考えると、ドラゴンという種族は本当に不思議な種族だ。
同種族のそれぞれの寿命を、意識的にしろ無意識的にしろ共有しているだなんて、人間は勿論この世の他の生物だってありえない。
オシュクル達がドラゴンを神と仰ぐ気持ちが何だか分かる気がした。彼らは人智を超えた存在だ。もしかしたら、遥か彼方の未来すら見越しているのかもしれない。
「取りあえず、シュレヌの卵が孵るまで、神々の群れも私達もこの地に留まることになる。通常のように夜にドラゴン達が飛び立つこともないから、夜はあまり外には出歩かないように。グゥエンの気の荒さは繁殖期以上だ」
「わかったわ。絶対近づかない‼!」
繁殖期のグゥエンの気の荒さを身に染みて理解しているアレクサンドラは、すぐさま頷いた。あれ以上の恐怖なんて、絶対にごめんだ。
そんなアレクサンドラにオシュクルは満足そうに頷く。
「……ねぇ、オシュクル。新しい卵が孵ったら、勿論、新しいドラゴンの【トゥズルセア】も選ばれるわけよね?」
「ああ、そうだな。ただ遊動の旅の人員に【トゥズルセア】がいない場合は、今度王都へ戻るまで【トゥズルセア】不在の状態でドラゴンは育つことになるが」
「そう……」
アレクサンドラはふっと睫毛を伏せて、心から思った。
(クイナが、生れてくるドラゴンの【トゥズルセア】に選ばれればいいのに)
双子の師匠がいなくなったことで、アレクサンドラとクイナの関わる時間は以前よりも増え、必然的のその距離は縮まっていた。いまやアレクサンドラ自身は勿論、遊動の旅の人員の誰もが二人の友情を疑わないまでに。
アレクサンドラは、いまやかけがえのない存在になりつつある、あの不器用な友達の憂いがなくなることを切望していた。
(もしクイナが【トゥズルセア】に選ばれれば、きっともうグゥエンの声が聞こえないことに悩まなくてよくなるわ。そしたらクイナは、心の底から嬉しそうに笑ってくれる筈よ)
アレクサンドラは、少しずつ表情豊かになって言っているクイナが、心から満面の笑みを浮かべる姿が見たかった。
「ねぇ、クイナ。シュレヌの卵の話、聞いた?」
大分複雑な造りになった籠と格闘しながら、隣にいるクイナに切り出して見る。
「…ああ。聞いている。楽しみ…です」
クイナはぶっきらぼうだけど、どこか弾んだ明るい声でそれに応えた。
「グゥエンとシュレヌの子ども…きっと、可愛い」
(ほら、やっぱりクイナもシュレヌの子どもを待ち望んでいるのよ)
アレクサンドラは逸る気持ちを抑えて、あくまで世間話のような口調で続けた。
「子どもが生まれたら、新しい【トゥズルセア】も任命されるのかしらね」
「さあ」
アレクサンドラの期待とは違って、クイナの返事は淡泊だった。
「そればかりは、わからない…選ぶのは、生れてくる子、だから」
(……もしかして、今のはあまりクイナにとって触れられたくない話題だったかしら)
アレクサンドラはすぐさま、無神経な自分の発言を悔やんだ。【トゥズルセア】に選ばれなかったクイナにとって、今のは言ってはいけない言葉だったのかもしれない。本当に自分は考えが足りない。
肩を落とすアレクサンドラを慰めるように、クイナはその肩を叩いた。
「大丈夫…生まれてくる子が、誰、選んでも、私は気にしない」
そう言って浮かべるクイナの笑顔がアレクサンドラには痛々しく見えた。
(気にしないなんて…嘘よ)
だって、遊動の旅の人員の中で誰よりも【トゥズルセア】になることを切望しているのは、クイナだ。きっと誰よりも新しいドラゴンの【トゥズルセア】に選ばれたい筈。
(大丈夫…きっとクイナよ。クイナ以外誰も選ばれる筈なんかないわ)
アレクサンドラは胸の奥のざわめきを抑えるように自分に言い聞かせながら、再び籠に視線を落として作業を再開したクイナに倣い、自身もまた作業を再開した。
【――レ…レく…サンドラ】
「…オシュクル、今私を呼んだ?」
「いや。……呼んでいない」
アレクサンドラは手にかけた布団を一端置いて、眉を顰めた。
「変ね…確かに誰かに呼ばれたような気がしたんだけど。空耳だったのかしら」
首を傾げながら布団に包まりだすアレクサンドラを、オシュクルはどこか複雑な面持ちで見つめていた。
【…あレク、さん、ドラ……アレク、サン、ドラ…】
「……やっぱり、誰かが私を呼んでいるわ‼」
アレクサンドラは布団をめくって勢いよく上体を起こす。
確かに今、自分の名を呼ぶ声を、アレクサンドラは聞いた。
「私には何も聞こえないが…」
「なぜ、聞こえないの?こんなにはっきり私の名を呼んでいるのに」
それは、不思議な声だった。
幼い子どものような高い澄んだ声。初めて聞く筈なのに、どこか懐かしい。
「まさか…」
【アレク、サンドラ…きて】
オシュクルが何かを考え込むように思案気に眉を寄せていたが、アレクサンドラの目には入らなかった。
「行かなきゃ…」
アレクサンドラは、声に導かれるようにふらりと立ち上がった。
「待て…っ、アレクサンドラっ!一体どこへ」
「呼んでいるの‼早く行ってあげないと‼」
アレクサンドラはオシュクルの静止を無視して、衝動のままにテントを飛び出していた。
【きて…アレクサンドラ…はやく…はやく…】
それは不思議な感覚だった。
まるで声に操られるかのように、体が勝手に動いた。
心配するオシュクルの声が聞こえるのに。一人で夜中出歩くことは危険だと重々承知しているのに。
それでも、本能がただアレクサンドラを走らせる。
【もうすぐ…もうすぐだよ…もうすぐ、あえる】
(ああ駄目。そっちに行ったらグゥエンが……)
アレクサンドラはドラゴンの群れの元へ向かう自分の足を必死で抑え込もうとしたが、どれでも足は止まらなかった。
(どうしよう…来てしまったわ)
夜中にも関わらず起きていたドラゴンは、アレクサンドラの存在に気が付くなり一斉に顔をあげた。その中には自身の卵を守る様に寄り添うグゥエンとシュレヌの姿もあった。
一瞬、自分の死を覚悟したアレクサンドラだったが、意外なことにグゥエンはアレクサンドラを威嚇する様子を見せることもなく、脇に逸れた。それは、シュレヌもまた同様だった。
(…卵)
グゥエンとシュレヌが離れたことで、二体に守られていた卵の姿が露わになった。
アレクサンドラの顔程の大きさのそれは、ドラゴンの肌と同じ極彩色を纏いながら、月明かりに照らされてつやつやと光っていた。
卵の前に辿り着いた瞬間、勝手に動いていた足が、ぴたりと止まった。
(あ……)
その瞬間、卵がかたかたと音を立てて揺れ出した。
「アレクサンドラ‼」
追いついたオシュクルがアレクサンドラの名を呼ぶが、今のアレクサンドラの耳には入らなかった。
アレクサンドラの脳は、目の前の卵のことでいっぱいになっていた。
揺れていた卵が、ぴきりと音をたてて、その表面にひびが入っていく。アレクサンドラは視線を張り付けられたかのように、その光景に魅入っていた。
ひびが深くなり、卵が割れる。
中から濡れた幼いドラゴンの姿が現れ、甲高い声で一声鳴いた。
【……はじめまして。アレクサンドラ…まにあって、よかった】
重ねて聞こえてきた先程の声に、アレクサンドラは自身が【トゥズルセア】に選ばれたことを悟った。