一つの死、一つの別れ
「ねぇ、オシュクル。どうして貴方は泣かないの」
テントでいつものように二人で布団に包まりながら、アレクサンドラはずっと抱いていた疑問を口にした。
「私は王だからな。儀礼の間は王として威厳がある態度を保ち続けなければならないだろう」
淡々と返された答えが気に入らなくて、アレクサンドラは眉を顰めた。
「それに一番悲しいのは、アズリスを失ったルイだ。役目だとはいえ、アズリスの体を解体した私に泣く資格なぞ…」
「資格なんて、関係ないでしょう!!」
アレクサンドラはくしゃりと顔を歪めて、オシュクルの首元を掴んだ。
「誰が一番悲しいとか、泣く資格がないとか、そんなのっておかしいわ!!泣きたければ泣く、それでいいじゃないの!!自然に流れる涙を咎める権利がある人なんて、誰もいないわ!!」
オシュクルに涙を我慢して欲しくなかった。一人で悲しみを飲みこんで、耐えてなんてほしくなかった。
一緒に、いるのに。アレクサンドラが今、隣にいるのに。
「……ねぇ、オシュクル。今は私とオシュクル、二人きりよ…王の姿のままい続ける必要はないわ」
皆の前で、王としての姿を保ち続けなければいけないのは仕方ない。
それでも全てが終わり、二人きりでいる時くらいは、王としての顔を保ち続けるのではなく、ありのままの感情を晒して欲しかった。
「王と王妃以前に、オシュクルは私の夫で、私はオシュクルの妻でしょう?だったら取り繕う必要なんかないわ。…私の前で我慢なんかしないで」
アレクサンドラの懇願にオシュクルは少し驚いたように目を見開いたが、すぐにゆっくりと首を横に振った。
「……我慢しているわけではないんだ」
「でも…!!」
「我慢しているわけではなく…本当のことを言えば、私は泣けないんだ」
そう言ってオシュクルは、諦めたように肩を落としてアレクサンドラの髪をそっと撫でた。
「昔から感情を露わにするのは苦手だったが、王になって以来増々ひどくなった。王らしくあろうと抑制しているうちに、感情の表し方が分からなくなったようだ。ドラゴン…特にシュレヌに関することでは比較的感情が露わになるらしいが、それでも涙なんて、もう何年も流した記憶がない」
感情を露わに出来ないということが理解できなくて、アレクサンドラは言葉に詰まった。
嬉しければ、勝手に笑みが漏れるし、悲しければ、勝手に涙が流れる。
それはアレクサンドラにとっては、ごく自然なことで、当たり前のことだった。
どうしてオシュクルは、そんな他愛のないことが出来ないのだろう。
アレクサンドラには、分からない。
「悲しくは、ないの?」
「悲しいし、寂しい」
過去を回帰するように、そっとオシュクルは目を伏せた。
「アズリスは幼い私が最初に背に跨らせてもらったドラゴンだ。ルイと一緒に背に乗って、初めて空を飛ぶ感覚を教えて貰った。ルイほどではなくても、共にたくさんの思い出を重ねて来た…それでも、私はアズリスの為に涙を流せない。泣き方を忘れてしまったみたいだ」
分からない、けれど。
「それは…とても、淋しいことね」
大切なものを喪っても、涙を流せないというのは、きっととても淋しくて苦しいことだろう。
そう思ったら、アレクサンドラの目からは自然に涙が零れ落ちていた。
「お前は、よく泣くな。アレクサンドラ」
そんなアレクサンドラの涙を、オシュクルが節くれだった指でそっと拭う。
「だって、涙が、勝手に出て、くるの、よ…いけない?」
「いや。……そうやって感情を露わにするお前を、とても好ましいと思う」
オシュクルは泣きじゃくるアレクサンドラを、そのまま抱き寄せた。
「そうやって、泣いてくれ。私の代わりに泣いてやってくれ…今、この時間も、煙になって天に昇って行っているアズリスの為に」
声を震わせてアレクサンドラに囁くオシュクルは、涙を流していなかったが、それでもやっぱり泣いているんだと、アレクサンドラは思った。
翌朝。
いつもよりも早く目が醒めてしまったアレクサンドラは、シュレヌの鱗を片手に、一人でテントを出た。
特に目的があったわけではない。けれど足は自然と、いつもドラゴン達が集まっている辺りへと向かっていた。
アズリスの葬儀中だから、まだドラゴン達は戻っていないかもしれない。そんな心配は杞憂だったらしく、すぐに見慣れたあの鮮やかな色彩が目に入ってきた。
「……クイナ?」
しかしアレクサンドラの足は、先客を認識した途端歩みを止めた。
まるでその存在を確かめるかのように、グゥエンの首に抱きついて泣くクイナの姿を、遠目からでも認識することが出来た。
何度も何度もその名前を呼んで、肌に手を這わすクイナを、グゥエンはされるがままにしていた。
(きっとアズリスの死を目の当たりにして、不安になったのね)
【トゥズルセア】とドラゴンの結びつきは、傍から見ているだけのアレクサンドラでも分かる程深く、強いものだ。
だからこそ同じ【トゥズルセア】である、ルイの嘆きをクイナは共感してしまったのだろう。
自らの神を亡くす恐怖に襲われたクイナは、一刻でも早くグゥエンの存在を確かめたくて、日が昇るなり一人でここにやってきたのだ。
一瞬話しかけるべきか迷ったアレクサンドラだったが、結局黙ってその場を後にすることにした。
単身でドラゴンに近づくことの恐怖は身を染みて分かっているので、もとよりただ遠くから眺めて帰るつもりだった。ならば、今はこのままクイナをグゥエンと二人きりでいさせてあげよう。
しかし踵を返したアレクサンドラは、予想外の人物と遭遇した。
「フレムス?」
「…おはようございマス…アレクサンドラ様」
フレムスはアレクサンドラと目が合うと、どこかばつが悪そうな表情で視線を逸らした。
その眼は泣き腫らしたかのように赤くなっており、目の下にはくっきりと濃いくまが見て取れる。
その顔を見た瞬間、ぴんと来た。
「ウィルカに会いに来たのね」
「……ええ。まあ……」
どこか落ち着かない様子で頬を掻くフレムスの姿に、思わず笑みが零れる。
結局はフレムスも、クイナと同じだったということだ。
「なんだ。貴方、ちゃんと自分の神様のこと、好きなんじゃないの」
フレムスの頬がさっと朱く染まる。
きっと自分でも、それを自覚したのだろう。アズリスの死を、目のあたりにしたことで。
アレクサンドラはそれ以上は何も言わず、そのままフレムスの脇を通り過ぎて、今度こそテントに戻った。
『灰を、各自袋に』
オシュクルの指示のもと、火が消えて冷めた燃え後から灰を集めて、目が細かく編まれた袋の中に詰めた。
そして数組に分かれて袋を持って荒野のあちこちに散らばり、風に合わせて灰を撒いていく。
残った骨は、穴を掘って地中深くに埋めた。
『終わりとはじまりに――生命の循環に、祈りを』
埋めた土の上に、木で出来た杭のようなものを打ち込み、皆で礼を取った。
そしてアズリスの葬儀は終わった。
『行く、の?』
『また、戻ってくるよ。いっぱい勉強して、大人になったら』
『大人になって、自分の道を選べるようになったら、私達はまた遊動の旅に参加するわ』
ぼろぼろと涙を流すアレクサンドラを、赤い目のフルへとイアネが慰める。
どっちが大人なのか、本当分からない。
『だからアレクサンドラ。ずっとオシュクル様の奥さんでいてね。私達が戻るまで、旅を続けててね』
『もしオシュクル様に愛想つかしたなら、その時は俺がアレクサンドラを嫁にもらってやるから。だから悲観して国に帰ったりするなよ』
そう言ってアレクサンドラの双子の師匠は、すっかり老け込んでしまったルイと、アフカと共に王都へと戻って行った。
一つの死と一つの別れ。
それが遊動の旅に大きな変化をもたらすことになる。




