アズリスの葬儀
血は、旅を共にしたものと、その家族に。
鱗は、旅が出来ない敬虔な信望者に。
牙は、かのドラゴンを最も愛した【トゥズルセア】に。
皮は、モルドラの王宮に保管され。
肉は、燃やされ、天に還る。
灰は、風と共にモルドラを漂い。
骨は、死した地の下で眠る。
それが、最初の【トゥズルセア】が、最初に人と生きたドラゴンと交わした盟約。
何故そんな盟約が交わされたのかは、分からない。
けれど、歴代の【トゥズルセア】とドラゴン達は、その初めの盟約を違うことなく守り続けて来た。
盟約の管理は、王の役目。王は時に【死神】と罵られながらも、盟約を遵守する為に、自らがドラゴンの遺体の解体を担うようになった。
それはドラゴンを愛する【トゥズルセア】にとっては、最も辛い役目。
ただ一人にその咎を背負わせることに心を痛めたある代の王妃は、自らが【見届け人】となることを申し出た。
王の辛さを、少しでも分かち合えるように。
「……っ」
アレクサンドラは胃から込み上げて来るものを、必死に堪えた。
ドラゴンの体の解体。――それは動物の解体ですら目の当たりにしたことがないアレクサンドラにとってきついものだった。
正直に言えば、血まみれになりながらドラゴンの体を切り刻むオシュクルの姿を、野蛮だとも思った。こんなの王がすべき役割でないと、もっと卑しい身分のものに任せるべきでないかと、そう思わずにはいられなかった。
それでもアレクサンドラは、目を逸らさずにオシュクルの仕事を見続けた。
視線を逸らした瞬間、オシュクルが壊れてしまうような、そんな恐怖心がアレクサンドラを駆り立てていた。
黙々とアズリスの体を解体するオシュクルの様子は、冷静であり、普段と何の変わりがないように見える。けれどアレクサンドラは、オシュクルが心の中で悲鳴をあげているように見えた。
辛くない筈がない。オシュクルは誰より、ドラゴンを愛している。
いくら既に死んでいるとはいえ、神のごとく崇拝している対象を切り刻むことが、苦しくない筈がない。
(もし私が代われるものなら、代わってあげたい)
そんなことすら、思った。そしてそんなことを思う自分に驚いた。
ただ見ているだけでもえづきそうになる自分が、本当にドラゴンを解体出来る筈がない。自分でも馬鹿な考えだと分かっている。
それでも、アレクサンドラはルシェルガンド人だ。【トゥズルセア】でもない。ドラゴンに対する思い入れは、遊動の旅の誰よりも薄い。
ドラゴンを愛するオシュクルよりも、本当はそんな自分こそがやるべき仕事ではないかと、そう思ってしまう。
きっとオシュクルにとってアズリスの体を切ることは、自身の身を切るようなことだから。
(それでも、オシュクルは、自らの仕事だと言ってけして私に任せようとしないのだろうけど)
だから、せめて見届けよう。
目を背けることなく、最後までオシュクルが自らの役目を果たす様を見ていよう。
だって今、オシュクルは闘っているんだ。役目を果たす為、必死に自身の感情を押し殺しているんだ。
自身の役目を果たす為に闘うオシュクルの姿を、アレクサンドラだけはちゃんと覚えておこう。
だって、アレクサンドラは王妃だ。形式上の関係かもしれないが、オシュクルの妻だ。
夫が一人で戦う姿を、アレクサンドラが見届けないで、一体誰が見届けるというのだ。
「――終わった」
全てが終わった時、まだ高かった日はすっかり落ち、あたりは薄闇に包まれていた。
既に乾き散った血を纏ってその場に佇むオシュクルの顔を、アレクサンドラは濡れた布でそっと拭う。
何も、言えなかった。まだ、オシュクルの仕事は終わっていないから。
暫くするとエルセトが、その場にやってきた。
エルセトは解体されたアズリスの死体に、一瞬だけ痛ましい表情を浮かべた後、呪文を詠唱して、その体に火を放った。
皮が剥がされた、アズリスの肉だったものは、一瞬にして炎に包まれ燃え上がる。
やがて、炎に気が付いた遊動の旅の人達が、一人、また一人と集まって来た。
『……ルイ』
双子に両脇から支えられるようにやって来たルイに、オシュクルは何かを渡した。
憔悴し抜け殻のようだったルイが、渡された者を見た瞬間、見る見る目に涙を貯めていく。
それはオシュクルがアズリスの死体から抜いた、アズリスの牙だった。
『あああああああああああああ』
ルイはアズリスの牙を両腕に抱えながら、吼える様に泣いた。
その様を、皆黙って見ていた。
『――アズリスの葬儀を始める』
身を清めて、正装を身に纏ったオシュクルが、厳かに宣言した。
『杯、を』
オシュクルの言葉にクイナが極彩色の色装飾された、一口の杯を持って進み出る。
それは結婚式で使った杯と同じものだった。
『死は終わりではない。一つの死は、一つの新しい生命を招き、神の魂の一部は我らの中で永遠に生き続ける。今、死したアズリスの魂の一部を、我らの中に取り込もう』
そういってオシュクルは、アズリスの血液を貯めた壺から、中身を杯に注いだ。
そこでようやくアレクサンドラは、かつて口にした杯の中身が、ドラゴンの血液だったことを知る。
『アズリスの、冥福に』
そう言ってオシュクルは一息で杯の中身を飲みほした。
続いてその杯が同じようにアレクサンドラに回されるが、アレクサンドラは躊躇わなかった。
『アズリスの、冥福に』
口に広がる生臭くて塩辛い味は覚えがあったが、かつてより発酵した風味が少ない気がした。新しい血液だから、だろうか。
一息で飲み干すと、今度はエルセトに杯を回す。
杯は遊動の旅の人員皆に順々に回っていき、最後にルイに渡った。
ルイは涙でグシャグシャになった顔を拭って、杯を煽ると、一際大きな声で言い放った。
『アズリスの、冥福に…!!』
その瞬間、炎が大きく燃え上がった。
アズリスが、ルイの言葉に応えたのだと、アレクサンドラは思った。
そのまま暫く皆で黙って燃える炎を見つめていた。
炎を見つめているうちに、誰からともなく、歌を口ずさみ始めた。
モルドラ語とも違う、アレクサンドラが知らない言葉の歌。
それなのにアレクサンドラの口もまた、いつのまにか同じ歌を口ずさんでいた。
(これはきっと、ドラゴンの歌だわ)
不思議と、アレクサンドラはそう確信していた。
(口にしたアズリスの血が、ドラゴンの歌を歌わせているんだわ)
歌は徐々に大きくなっていき、静かな荒野に響きわたる。
アレクサンドラは胸の奥から、温かい熱のようなものが広がっていくのを感じていた。
その熱こそが、オシュクルが言ったアズリスの魂の一部なのだろう。
気が付くとアレクサンドラは涙を流していた。
アレクサンドラはアズリスのことを良く知らない。その死を悼む程、アレクサンドラにドラゴンへと思い入れはない。
だからきっと、この涙はアズリスのものだ。アズリスの感情が、血液を通してアレクサンドラに伝わっているのだ。
皆が、泣いていた。ルイ達家族は勿論、それはクイナも、フレムスも、エルセトさえも例外でなかった。
ただ一人、オシュクルだけが、無表情のままで、泣く皆の姿を見ていた。
『アズリスの体は今晩、煙となって天へ還る。【火守】の役目は【トゥズルセア】であるルイを任命する。葬儀が終わっても、一晩の間けして火を絶やすな』
オシュクルの言葉にルイは腕を組み、頭を垂れた。モルドラ式の礼だ。
『骨と灰は、明朝集める。それまでは各自テントに戻って、喪に服すように』
結局オシュクルは最後まで涙一つ見せることなく、王としての役割を全うした。
それは、アレクサンドラには、酷く不自然なことのように思えて仕方なかった。