クイナの葛藤
「私が、グゥエンと…?」
クイナの言葉は、グゥエンに対して恐怖心以外持っていなかったアレクサンドラにとって、あまりにも予想外のものだった。
「…ずっと、考えて、ました…私がグゥエンから、選ばれなかった…理由は、誰か他に相応しい人がいるから、だと…相応しい人を、待っているのだと…」
「だからって、どうして私が…」
「基本的に、王都の人間は、皆一度【トゥズルセア】がいないドラゴン、会う…子どもも、お年寄りも、みな…それでも、誰もグゥエンの【トゥズルセア】いなかった!!…だから、思い、ました…グゥエンの【トゥズルセア】は、外の人、だと…」
悲痛な声で叫びながら、クイナは自身の頭を抱えた。
「きっと、余所から来た人間が、私からグゥエンを取っていくのだと、そう、思い、ました…そして、貴女が、来た…!!!」
(何を言っているの…私がグゥエンの【トゥズルセア】に選ばれるわけないじゃない)
クイナの言葉にアレクサンドラはただ困惑する。
クイナからは見えていないが、アレクサンドラの視線の先には、群れの中からこちらの姿を伺うグゥエンの姿が見える。
クイナを泣かせているアレクサンドラをカチカチと歯を立てて威嚇するその姿を見れば、いかにグゥエンにとってクイナが特別で、間に割り込める人間なんていないだろうことは分かる。
それなのに、どうしてそれがクイナには分からないのだろう。
「それでも…最初はそうだったとしても…もう分かったでしょう?私は近づいただけで、グゥエンに襲われたわ。そんな私がグゥエンの【トゥズルセア】なわけない。そうでしょう?」
クイナを宥めるつもりで発した言葉だった。
けれど、その言葉はクイナの顔を一層歪めさせた。
「そうです…分かり、ました…分かった、のです…」
「それならば、もう気にすること…」
「分かって、そして私は…安堵し、ました」
アレクサンドラにはクイナが何が言いたいのかわからなかった。自分が望む【トゥズルセア】の立場を取られずに済んだのだ。安堵を覚えて当然な筈だ。
それなのに、何故、クイナはこれほど苦しそうなのだろう。
何故、そんな顔で、自分を見るのだろう。
「私は貴女が…貴女がグゥエンに襲われて、怖い思いを…次の日、熱を出すくらい、辛い思いをしている姿を見て、安堵し…喜んでいたんだ…!!」
そう言って、クイナは自身の顔を両手で覆って、泣いた。
「私は、醜い人間、です…グゥエンに【トゥズルセア】に選ばれないのも、当然の、醜い人間、なのです…!!」
しゃくりあげるクイナを前に、アレクサンドラは何も言えなかった。
「アレクサンドラ様は、私が助けたことをお礼を言って、くれ、ました…そして、さっき、あの時責めて、ごめん、謝った…でも、本当は、そんなこと、言って貰える資格、私、ない…だって、私は、アレクサンドラ様が傷ついて、喜んだ…罪滅ぼしのつもりで、介抱をした、そんな最低な、人間、なのです…」
「………」
「ほんとは…っ本当は、知ってた!!…アレクサンドラ様が、何も悪く、ないって…勝手に私が妬んで、いるだけで…貴女が、知らない地で必死に頑張っていることも、知ってた…!!それ、なのに…」
「………」
「私は…私は、貴女に尊敬して貰えるような、そんな人間じゃない…!!」
次々紡がれるクイナの懺悔の言葉は、アレクサンドラの胸の奥を激しく揺さぶった。
今まで知らなかった、クイナの本音。
無表情の奥に隠されていたクイナの葛藤。
「…馬鹿ね、クイナ…貴女は、馬鹿よ」
気が付けば、アレクサンドラは泣き喚くクイナを、抱きしめていた。
「そんなことで自分を責めることなんて、ないのに――貴女は本当に優しい人ね」
クイナはアレクサンドラをずっと嫌いだったと、そう言った。
けれど、アレクサンドラはそのせいで害を被ったことなど一度もない。
クイナは口数が少なく、自分からアレクサンドラに関わろうとすることは無かったけれど、それでもいつもきちんと職務を全うしてくれていた。国からアレクサンドラの同行を命じられた侍女たちのように、アレクサンドラを蔑ろにしたことは、一度もなかった。
グゥエンから襲われた時もそうだ。クイナはその状況を喜んでいたと言ったが、それでも見捨てることなく、すぐにアレクサンドラを助けに来てくれた。
「嫌いな相手でも、自身の感情を殺して誠心誠意仕えることが出来る貴女は、やっぱりすごい人よ」
もしただ妬心を抱くことが罪だと言うのならば、オシュクルのことでクイナに嫉妬心を抱いていたアレクサンドラの方がよほど醜く罪深い。
熱に浮かされていたとはいえ、アレクサンドラは感情のままにクイナに対してあたり散らしたのだから。
(私達は、お互いがお互いに嫉妬していたのね)
そう思うとアレクサンドラの胸の中には、奇妙な温かい感情が溢れて来た。
それはオシュクルに対して抱くそれにも似た、穏やかで優しい気持ち。
完璧な人だと、思っていた。
完璧で、欠点なんか一つもない、人間味が無い人だとそう思っていた。アレクサンドラのように自身の感情に振り回されることなく、無表情で感情を制御するクイナを、つまらない女だと見下そうとしながら、ずっと羨んでいた。
けれども今、自身の腕の中で泣くクイナは、どこにでもいるような女の子にしか見えなくて。
自身の感情に振りまわれ、自分を醜いと言って泣くクイナが、「愛おしい」と、そう思った。
「――ねぇ、クイナ。もし未だに、私がグゥエンの【トゥズルセア】ではないかと少しでも疑っているなら、これからもっと私の傍にいて、私がグゥエンに接触しないように監視すればいいわ」
そう言ってアレクサンドラは、いつもオシュクルが自分にしてくれるように、腕の中で驚いて固まっているクイナの黒髪を、優しく撫で上げた。
その頭の位置は存外低くて、クイナの身長が自分より低かったことに気付かされた。
そういえば、確か年齢も年下だった。
アレクサンドラの中の劣等感が、いかにクイナの姿を変貌させていたかを、改めて気づかされた。
「監視して…知って頂戴。【グゥエンを取るかもしれない存在】としての私じゃなくて、ただの【アレクサンドラ】の、私を」
腕の中のクイナが、アレクサンドラを見上げて目を見開いた。
そんなクイナを見降ろしながら、アレクサンドラは微笑んだ。
「私も、クイナが知りたい。だから、もっとクイナのことを教えて、欲しい。感情を押し殺すんじゃなくて、真っ直ぐに感情をぶつけて、貴女の気持ちを伝えて欲しい。その感情が良い物であっても…さっきみたいに、悪い物であったとしても」
先程のクイナの言葉に全く傷つかなかったと言えば、嘘になる。けれども、聞かなければ良かったとは思わない。
クイナの本音を聞いたことで、アレクサンドラはクイナの知らなかった一面を知ることが出来た。そしてクイナに対する見方が、変わった。
「ねぇ、クイナ。…私も、以前はクイナのことが嫌いだったけど…今はとても好きだわ。今日、貴女の本音を聞いたことで、ますます貴女が好きになったわ」
今までアレクサンドラに、「友達」と言える人間はいなかった。だからこそ、こんな風に真っ向からぶつかり合って、お互いの本音を言い合ったのは初めての経験だ。
けれども、それはきっともっとお互いのことを知る為には、必要なことなのだ。本音を隠して取り繕った言葉じゃ、絆なんて生まれない。
だからこそ、今こそアレクサンドラは、あの時言えなかった言葉をクイナに告げよう。
「だからクイナ…貴女がいつか私のことを好きだと思えたら…友達になって欲しいの」
だって、これはアレクサンドラの、心からの本音だから。
「私、貴女と友達になりたい」