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傷口に指をねじ込む

「…話って…」


「取りあえず、まずはグゥエンの所へ行きましょう。きっとグゥエンはクイナが来るのを待っているはずだから」


 どこか物言いたげな視線でアレクサンドラを見つめるクイナを置いて、アレクサンドラはそのまま歩きだした。

 クイナは困惑しているようだったが、それでも黙ってアレクサンドラの後を追った。

 アレクサンドラを見た瞬間グゥエンは威嚇するように鎌首をもたげかけたが、すぐ後ろを追ってきたクイナに気が付くなり、一瞬にしてその雰囲気が柔らかくなったのが見て取れた。

 クイナはいつものようにグゥエンに一言、二言、モルドラ語で何かを語りかけて、その皮膚に触れ、その光沢がある鱗を優しく撫で上げた。

 その様を、アレクサンドラは少し離れた場所から、ただ黙って眺めていた。


「それで…アレクサンドラ、様…話…」


 暫く触れ合った後、未だ名残惜しげなグゥエンをそっと掌で押しやる様にして、また他のドラゴン達の元に戻してから、クイナは再びアレクサンドラに向き遭った。

 アレクサンドラは口の中に湧き上がる唾を飲み込み、舌で唇を舐めることで乾いた表面を潤おした。


「まずは…その…ごめんなさい!!」


 そして早口に言い切ると、髪がふり乱れることも構わず勢いよく、その頭を下げた。

 ようやく、ようやくやっと、口に出来た謝罪だった。


「ずっと謝りたかったの…熱に浮かされて、私は貴女に酷い八つ当たりをしたことを。貴女は私を心配してずっと傍にいてくれたのに…」


「なんだ…そんな、こと」


 クイナは安心したかのように息を吐き出しながら、ゆっくり首を横に振った。


「大丈夫…気にしてない」


「…謝りたいのは、それだけじゃないわ」


 それだけではない。八つ当たりよりも、もっともっとアレクサンドラがクイナに謝らなければならないことは。


「――私は、何も知らないがままに、クイナ、貴女を傷つけたわね」


 そうアレクサンドラが口にした瞬間、クイナの表情が強張った。


「私は何も知らなかったわ。知らなかったから、ただ思ったままのことを言ったの。それが貴女を傷つけるなんて思いもせずに」


「…いい。…仕方、ない…だって、アレクサンドラ様に、教えてない…誰も」


「それでも私がクイナを傷つけたことは変わらないわ。ごめんなさい…そして、私はもう一つクイナに謝らないといけないことがあるの」


 唇が、渇く。

 心臓が、うるさい。

 今から自分が成そうとしていることは、果たして本当に正しいことなのか、分からない。


「本当にごめんなさい――私はきっと、今から貴女を、もっと傷つけるわ」


 クイナの表情は、明らかに自分の傷口に触れて欲しくなさそうだった。

 内心ではこのままアレクサンドラが何も言わず、このまま去っていくことを望んでいるのだろうと、ひしひしと伝わって来る。

 それでも。


「私が何も知らずに貴女をすごいと言ったことが、クイナ、貴女を傷つけたわね…けれど、クイナ。私は真実を知った今も、貴女がすごいと一層思ったわ」


 それでも、例えクイナが望まなかろうと、アレクサンドラはクイナの傷口に触れる。

 その傷口を敢えて指をねじ込み、未だ塞がっていないそこを指で広げる。

 それが中に溜まった膿を掻きだすことになるのか、それとも一層その傷を深い物にするのか、分からない。

 それでも、アレクサンドラは言葉の刃をクイナに向ける。


「私は貴女を心から尊敬しているのよ。クイナ」


 それがクイナの傷を癒やすきっかけになると信じて。




 クイナはアレクサンドラの言葉に、暫し何も言わなかった。

 その表情からは、普段以上に感情が抜け落ちて来た。

 けれどその無表情に、徐々に感情の色が浮き上がってくるのが見て取れた。


「…が、分かる…」


 唇を震わしながら、クイナはアレクサンドラをねめつけた。


「外国人の、貴女に、私の……【トゥズルセア】に、選ばれなかった者の、気持ち、何が分かるっっ!!!!」


 その顔に浮かんだのは、激しい【怒り】と【拒絶】だった。


「何も…何も知らない、くせに!!選ばれなかった、絶望も!!ドラゴンに対する強い想いも!!足りない自分への、怒りも!!何も、知らない、なのに、なぜ、尊敬言える!?なぜ、すごい、言える!?口先だけの慰めなんて、いらない!!」


 その時アレクサンドラは、ようやくクイナの本当の姿を見た気がした。

 自身への抑圧を取り払った、心の底からのクイナの声を聞いたのだと思った。


「何も、知らないなら、何も、言うな!!」


「――何も知らないから、言うのよ!!」


 その声に、感情の強さに、負けないようにアレクサンドラもまた大声で叫ぶ。


「私はルシェルカンド人よ!!だから貴女達のドラゴンへの思い入れの強さも、【トゥズルセア】の重要性も、分からないわ!!だからこそ、思うのよ!!…言葉が交わせないことが、一体どれほど重要なことなの!?」



 クイナが【トゥズルセア】でないと言われている原因は、ただ一つ。

 クイナがグゥエンの声を聞けなかった、それだけだ。

【トゥズルセア】はドラゴンとテレパシーのように自由に意思を通わせることが出来ると言う。確かに、それはすごいことで、それが出来ないことは大いに負い目を感じることなのだろうとは想像が出来る。

 それでも、【トゥズルセア】という観念が無いアレクサンドラは思うのだ。


「クイナ。貴女は、言葉なんて聞けなくても、グゥエンの様子を見ただけでグゥエンの気持ちが分かっているわ!!それなのに、どうしてそこまで言葉が重要だというの!?」


「っ!!」


「クイナ、私は心からすごいと思うわ…でも、それは貴方が【トゥズルセア】だからじゃない。【トゥズルセア】に選ばれなくても、貴女がずっとグゥエンを好きなままでいて、誰よりもグゥエンの傍にい続けたからよ!!そして今、グゥエンにとって誰よりも特別な存在であるからよ!!」


 もし自分がクイナの立場だったら、とアレクサンドラは思う。

 もし自分がクイナと同じように、本来選ばれてしかるべき相手から選ばれなかったら、自分だったら一体どうしていただろうか。


(…きっと私はグゥエンを恨むわ)


 何故自分を選んでくれなかったとグゥエンを呪い、会うたびに恨み言を向けるだろう。そしてその結果、その姿を視界に移すのも嫌になって最後は避けるようになるだろう。

 けれど、クイナはそうしなかった。

 選ばれなくても、拒絶とさえ思える仕打ちを受けても、ただ一途にグゥエンを想いつづけた。そして言葉なんてなくても、その意思が伝わるくらいにグゥエンを見つめ続けていた。

 そこには自分を選ばなかったグゥエンに対する呪詛なんて微塵もない。もし、そんな感情があったらあんな風に穏やかな表情でグゥエンと接することなぞ出来ない。

 そんなこと、普通は出来ない。見返りが無い愛を持ちつづけることは、酷く辛いことだから。愛情は憎悪と表裏一体で、簡単に裏返ってしまう筈のものだから。

 アレクサンドラは、【トゥズルセア】に選ばれないままに、グゥエンを愛し続けたクイナを、心の底からすごいと、そう思ったのだ。


「……………」


 クイナは、アレクサンドラの言葉に暫く呆然と目を見開いていた。

 その姿はまるで途方に暮れた幼い少女のようだと、アレクサンドラは思った。


「……それでも【トゥズルセア】でなければ、意味、ない……」


 そしてクイナは、その瞳からぽつりと涙を流した。

 涙は次から次へと頬に流れおちていき、クイナはくしゃりと顔を歪めた。


「――アレクサンドラ様、私、最初、貴女が大嫌い、でした」


 突然のクイナの拒絶の言葉に、アレクサンドラは心臓を鷲掴みにされたような気分に陥った。


「…それは、私がオシュクルの妻だから?」


 激しいショックを隠して、震え声で尋ねたアレクサンドラの言葉に、クイナは首を横に振った。


「アレクサンドラ様が、グゥエンを、取っていく、思ったから」


 そう言って、クイナはひくりと喉を鳴らした。


「アレクサンドラ様が、グゥエンの【トゥズルセア】に選ばれる、思って、私は、ずっと怖かった…!!」


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