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荷が重い願い

「…幼い頃のクイナは良く笑う娘デシタ」


「え…」


「口数は元々そう多くはなかったのデスが、その分表情は酷く豊かで…些細なことで笑い、怒り、涙を流す、そんな少女だったのデス」


「クイナが…」


 そんな表情が豊かなクイナは、今のクイナからではとても想像出来ない。


「けれど、グゥエンのことがあって以来、徐々にクイナは変わっていきマシタ。…日を追うに連れて顔から表情が無くなって言った…前はオシュクルの…オシュクル様の表情の乏しさを、俺達と一緒にからかっていたりもしたのに、いつの間にかそっくりに…」


「…オシュクルは、昔からあんな風なのね」


「あれはもう、生まれつきデス。性デス。今さら何かしたって治るものじゃない。とっくに俺達も諦めてマス…でも、クイナは違う」


 アレクサンドラの脳裏に、先日のクイナの笑顔が思い出された。

 そして、その笑みを浮かべたままの幼いクイナを想像してみる。

 きっと大輪の花も霞む程に、愛らしい少女だったのだろう。

 その顔から笑みが消え去る様を、オシュクルは、エルセトは、フレムスは…そして、遊動の旅の人々はどんな気持ちで見ていたのだろう。

 そして、表情が消えてしまうくらいの、クイナのショックはどれ程のものだったのだろう。

 想像しただけで胸が苦しくなり、アレクサンドラは痛みに耐えるように目を伏せた。


「――けれど、そんなクイナの様子が、表情が、最近変わりマシタ」


「え…」


「アレクサンドラ様――貴女が来てからデス」


 あまりに思いがけない言葉に伏せていた瞳を見開いたアレクサンドラの視線は、真っ直ぐなフレムスの視線にかち合った。

 その瞳に浮かぶ色合いは、どこまでも真剣だった。


「…何を言っているの?クイナは私が来てからもずっと無表情のままで…」


「以前のクイナを知らない、アレクサンドラ様には分からないデショウ。けれど、ずっとクイナの傍にいた俺達には分かりマス。貴女が来てから、クイナは明らかに変わった。…昔のような表情が、僅かデスが戻って来ているのデス」


(何を言っているの?そんな筈ないじゃないの)


 フレムスの言葉にアレクサンドラは混乱する。

 アレクサンドラは一方的にクイナを敵視して、遠ざけ、八つ当たりをしたりしたことはあっても、クイナを変えるような良い行動なんて少しもしていない。命を救って貰ったのに、自身の非礼を詫びることすら出来ていないくらいだ。そんな自分が、根深いクイナのトラウマを僅かでも軽減することなど出来たはずがない。

 フレムスの言葉は、アレクサンドラにとって的外れだとしか思えなかった。

 戸惑うアレクサンドラを前に、フレムスは勢いよく頭を下げた。


「こんなことをお願いするのは不躾なのは重々承知デス…けれど、どうかお願いしマス。先程の話で少しでも同情を覚えたなら、どうかクイナを救っては頂けマセンか?」


「!?」


「きっと今のクイナに表情を取り戻させることが出来るのは、貴方しかいないんだ…」


 それは、アレクサンドラにとって、あまりに荷が重すぎる願いだった。


「…無理よ、そんなの…」


 アレクサンドラは震える声で言いながら、ゆっくりと首を横に振った。

 話を聞いてクイナに心から同情をした。

 クイナには命を救って貰った借りがある。

 そして何より、今のアレクサンドラは、クイナが好きだ。

 自分が救えるものならば、救ってあげたいと思う。

 けれど。


「貴方達が出来なかったことを、私なんかどうこう出来る筈がないわ!!」


 遊動の旅の生活は、ルシェルカンドでアレクサンドラが持っていた根拠のない自信を木端微塵に打ち砕いた。

 アレクサンドラはこの旅を通して、自身の無力さと、卑小さを嫌という程思い知った。

 美貌だけが取りえの、何もない自分。

 そんな自分がクイナを救ってあげられるだなんて、思える筈がない。そう思うこと自体が、身の程知らずで烏滸がましいことのように思えた。


「…俺達だから、無理なんデスよ」


「どうして!?貴方達の方がよほどクイナのことを知っているし、クイナのことを想って…」


「言ったデショウ?【選ばれ、与えられた者の言葉は、選ばれず、与えられなかった者には届かない】と」


 そう言ってフレムスは、自嘲するように笑った。


「【トゥズルセア】に選ばれた俺達の言葉は、いかに正論であろうと、【トゥズルセア】に選ばれなかったクイナには届かない…けれど、貴方なら。【トゥズルセア】という単語も知らず、ドラゴンと縁がない異国の地が来た貴方の言葉ならば、きっとクイナに届く筈デス」


 そう言ったフレムスの声は、どこか酷く淋しげだった。


「――――」


 暫しの間、沈黙がその場を支配した。

 アレクサンドラは、フレムスの言葉になんて言えばいいのかもわからず、ただ呆然と立ちすくみ、フレムスはそんなアレクサンドラに言葉を促すでもなく、ただじっとアレクサンドラの返事を待っていた。

 だが沈黙の間も、フレムスの視線はけして逸らされることなく、真っ直ぐにアレクサンドラに向けられていた。その強い視線が、アレクサンドラに拒絶の言葉を封じていた。


(なぜ、こんな目で私を見るの?)


 フレムスは、エルセトに頼まれたのだと、そう言った。

 ただ頼まれただけの人間が、こんな目を出来るのだろうか。

 それに、そもそもおかしいのだ。

 例え面倒だからと言って、あのエルセトがアレクサンドラに対して、クイナを救って欲しいなどと人づてに頼むだろうか?


(――ああ、そうか。この人は……)


「……クイナを救って欲しいと言うその願いも、エルセトの言伝なの?」


 その瞬間、フレムスの表情に一瞬の動揺が走ったのをアレクサンドラは見逃さなかった。


「…ええ、そうデス。これもエルセトが…」


「嘘つき。――エルセトは、こんな重い願いを、人づてで頼んだりなんかしないわ」


 それ程長い時間一緒にいたわけではないが、アレクサンドラはエルセトの人となりを既に大体把握していた。

 エルセトは毒舌でプライドが高いが、同時に責任感も強い男だ。

 素直に人に頭を垂れることを嫌う一方で、もしそれが必要だと心から思ったら、プライドを捨てて自ら誰かの前に出向くことを厭わない。そんな男だから、オシュクルもエルセトを心から信用し、隣に置くのだ。

 特別な根拠はあるわけではないが、ルシェルカンド時代に培われたアレクサンドラの直観的に人を見る目だけは確かなので、まず間違いないだろう。


「クイナの過去を私に知らせるというのは、もしかしたらエルセトが頼んだことかもしれない。けれども、私にクイナを救って欲しいと言ったのは、フレムス…貴方が独断でしたことだわ。貴方の言葉で…貴方の願いよ」


 アレクサンドラは、確信をしていた。


「クイナに対して一番負い目を抱いているのは、オシュクルではなくて、貴方なのね」


 アレクサンドラの言葉に、フレムスは目を見開いて息を飲んだ。

 そして暫く何かを考え込むように暫く俯いてから


「……変なところで、鋭い人デスネ」


 泣きそうな顔で、笑った。


「どんなに望みが強くても、どんなに想いが深くても、それが必ず叶えられるとは限らない…」


「…さっきも言っていたわね」


「逆に言えば、さして望みが強くなくても、想いが深くなくても、与えられることも、あるということデス」


 フレムスはそう言って、空に浮かぶ月を見上げた。


「オシュクルは、分かりマス。エルセトも、ああ見えて、陰では自分の神に心酔していマス。多少の差異はあっても【トゥズルセア】は、皆、自らの神を心の底から崇めて、何よりも大切に思っていマス…けれども、俺は、そうではなかった」


「………」


「――俺は、何故自分がウィルカに選ばれて、クイナがグゥエンに選ばれなかったのかが、分からない」


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