選ばれた者、選ばれなかった者
「…って、何でそこでシュレヌの鱗を握ろうとするんデスか!?」
「だって、貴方あからさまに怪しいわ…知らない人だもの」
「知らないって!?俺デスよ。フレムスですよ!!王宮ずっと一緒に旅をして来たデショウ!!」
「フレムス?」
はて、聞き覚えがある名前だ。それも結構重要な名前として、聞いたことがあるような気がする。
アレクサンドラは暫し目を細めて、過去の記憶を反芻する。
『はい、奥様。オシュクル様と、それがし。話すことは少々苦手ですが、フレムスとクイナはルシェルカンド語を解しております。この度貴女様の通訳がご帰還されると聞きました。モルドラ語の通訳がご入要な時は、この誰かにお話掛け下さいませ』
『フレムス?』
『共に王宮から来た、あの男のことだ。ルシェルカンド語を解しているので、クイナと共に剣舞を任せた。剣の腕では、多分騎士団で一、二を争う実力の持ち主だぞ』
「――っあ、貴方、クイナと一緒に剣舞を踊っていた人なのね!!」
その後のエルセトのキャラが余りに強烈過ぎて、すっかり忘れていた。
「……思いだしてくれたようで、何よりデス」
アレクサンドラは、自身の言葉に肩を落とすフレムスをまじまじと観察した。
(それにしても、本当に存在感が薄い人ね)
顔立ちが凡庸だとか、そういうわけではない。寧ろフレムスは、目じりが垂れた優しげな眼と、泣き黒子が特徴的な甘い顔立ちをしており、オシュクル程ではないが(これは恋するアレクサンドラの贔屓目の評価でもあるかもしれないが)、美男子と評価してもいい端な顔立ちだ。
けれど、そんなフレムスの纏う気配は驚くほど希薄だ。例え一瞬その顔に見惚れたとしても、一旦人ごみの中に埋没すれば、簡単に分からなくなってしまうような、そんな奇妙な存在感をフレムスは纏っていた。黙っていても、思わず視線を奪われる、クイナとは大違いだ。
「…まあ、面倒臭くて極力お妃サマと関わることを避けていたので、忘れられても文句も言えマセンケドネ」
……そして、どうやら随分イイ性格をしているようだ。
(王の側近の男性は、性格が悪くないとなれない決まりでもあるのかしら)
ぺろりと舌を出して肩を竦めたフレムスの姿に、毒舌で狐目の魔術師を重ねて、アレクサンドラはひくりと口端を引きつらせた。
さぞかし気が合う二人なのだろう。ベクトルは違うが、無礼さではどっこいどっこいだ。
「……で、なんで貴方は面倒な私に声を掛けて来たのかしら。今さらになって」
「いやー、エルセトに頼まれたんデスよ。お妃様がクイナのことでウジウジ悩んで面倒なことになっているようだけど、自分は関わりたくナイから、代わりにお前が説明しておけって。こんな面倒事押し付けてくるなんて、友達がいない男デスよね?」
「……そんなに面倒だと思うなら、別に何も教えてくれなくて結構よ」
「いや~、俺としてはお妃様がどれほど悩んでても、別にどーでもいいんデスけどネ…だけど」
次の瞬間、へらへらとにやけていたフレムスの顔が、一瞬で真顔になった。
「――けれど、お妃様はともかく、クイナはこのままにしておけませんカラ。だから、説明に来マシタ」
そのあまりに真剣な声色は、アレクサンドラの胸に、鋭く突き刺さった。
遊動の旅の人員における、自分とクイナの差を、まじまじと突きつけられた気がしたから。
「…ずいぶんと、クイナが大切なのね。みんな」
震えそうになる声を抑えて、必死で絞り出した声は僅かに掠れていたが、フレムスはそのことについては何も言わなかった。
「大切?大切デスよ。そりゃあ。俺達は皆、幼馴染みたいなものデスから。――けれど、そんなのが理由じゃないんデス」
フレムスの目が切なげに細められる。
その顔は、アレクサンドラがグゥエンが襲われたあの日、オシュクルがクイナを見つめていた表情と、よく似ていた。
「俺達は皆、クイナに負い目があるんデス…特に、オシュクル様は」
「負い目?」
「俺達は皆【トゥズルセア】だから」
それは、アレクサンドラが初めて耳にするモルドラ語だった。
「どんなに望みが強くても、どんなに想いが深くても、それが必ず叶えられるとは限らないデス。選ばれ、与えられた者の言葉は、選ばれず、与えられなかった者には届かない…それが、俺達の負い目デス」
【トゥズルセア】に正確に該当するルシェルカンド語は存在しないと、フレムスは言った。
「従者」「パートナー」「神子」「魂の片割れ」「協力者」「共生者」「対」
それらの単語、全てが当てはまる様で、同時に全てがどこか足りない。
【トゥズルゼア】それは、ドラゴンが生涯でただ一人、意志を通わせることを許す人間。
ドラゴンと対話し、その身を操り、世話をすることが許された、選ばれた人間のことだと言う。
「【トゥズルセア】に選ばれる基準は、よく分かりマセン。けれども、大抵の【トゥズルセア】は自らが使えるドラゴンと対峙した瞬間、それが分かりマス…。オシュクル様が、シュレヌと会った瞬間に、自身が【トゥズルセア】だと確信したように、俺もウィルカ…俺の神と対峙した瞬間に確信を得マシタ。…そして、クイナも」
「…クイナも?」
「そうデス。クイナは、自身がグゥエンの【トゥズルセア】であるという確信を得ていたのデス。実際に、グゥエンのクイナに対する態度は、ドラゴンが自身の【トゥズルセア】に向けるような特別なものデシタ…ケレド」
フレムスはそこで一度言葉を切って、ゆっくりと首を横に振った。
「グゥエンは、クイナに自らの意思を通わせることを、許しませんデシタ。意志を意識に直接伝達することなく、ただ身振りだけでクイナに意志を伝えたのデス。…クイナはグゥエンに、正式な【トゥズルセア】として選ばれなかったのデス」
『だって、グゥエンは、私の神、違うから』
そう言ったクイナの言葉の意味が、ようやく今、理解出来た。
「…っそんな、どうして…!?」
「わかりマセン…グゥエンが決めたことデス」
「ひどいわ!!クイナは、あんなにもグゥエンのことが、好きなのに!!」
アレクサンドラの脳裏に、クイナとグゥエンが楽しげにじゃれ合う姿が思い出される。
アレクサンドラから見たら、クイナとグゥエンはお互い特別に想い合っているように見えた。
それなのに、一体、なぜ。
「そう、クイナはグゥエンを特別に強く想っていマス。遊動の旅の人員は、皆、ドラゴンに対して特別な想いを抱いてマスが、クイナの想いは特に強い。オシュクル様のシュレヌに対する想いの強さに、勝らずとも劣らないデショウ」
「………」
「それ故に、グゥエンがクイナを【トゥズルセア】にさえ選んでいれば、王になったのはクイナだったのかもしれないのデス」
「…え?」
驚くアレクサンドラに、フレムスはゆっくりと頷いた。
「モルドラの王は、群れのリーダーとなる番のどちらかの【トゥズルセア】のうち、より適正が強い方が選ばれマス。クイナとオシュクル様の適性はほぼ互角。どちらが王になってもおかしくなかったのデス。だからこそ、オシュクル様は特別クイナのことを気に病んでいマス」
(だからオシュクルは、あの時、あんな風にクイナのことを見ていたのね)
あの時、オシュクルがクイナに向けていた切なげなその表情は、恋慕のそれではなく、選ばれなかったものに対する贖罪にも似た、そんな感情故だったのだ。
そう思った瞬間、アレクサンドラは思わず自らの胸から湧き出る感情を止められなかった。
(…ああ、私、最低だわ)
アレクサンドラは不幸なクイナの現状を聞きながらも、オシュクルがクイナに恋情を抱いていなかったことに安堵を覚え、そしてクイナが【トゥズルセア】に選ばれなかったが故にオシュクルの妻になれたことに感謝の念さえ抱きかけた自分を、恥じた。