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言えない謝罪と、重ねる罪

 クイナはうまく言葉を紡ぐことができないアレクサンドラを、その黒い瞳でただ真っ直ぐに見つめた。

 クイナの瞳はモルドラ人では一般的な黒色だったが、改めて近くで見るとそれはどこか日が沈んだ直後の夜の空に似ていた。アレクサンドラともオシュクルとも違う、わずかに青みががかったクイナの目の色は、アレクサンドラをどこか落ち着かなくさせた。


「――アレクサンドラ様…行こう」


 不意に、クイナがアレクサンドラの手を取った。


「行くって…どこに」


「ドラゴンの、所に」


 アレクサンドラの了承を待たずに、クイナはアレクサンドラの手を握ったまま強引に歩き出す。


「教えてあげる…あげます。私が、ドラゴンを」




「……っ」


 促されるがまま、クイナに連れられるがままにドラゴンのもとまでやってきたアレクサンドラだったが、いざ改めて対峙するとなると、忘れたはずの恐怖が胸の奥から湧き上がってきた。

 昨日、オシュクルと遠目で眺めた時はそれほど気にならなかったが、いざその体の模様がわかるくらいの距離まで行くと、冷たい汗が全身から湧き出し、鼓動が早くなった。


(怖い)


 グゥエンに襲われた時の光景が、アレクサンドラの脳裏にフラッシュバックする。

 もしあの時、クイナがいなかったら。

 クイナが駆けつけるのが、遅れたら。

 自分は、あの鋭い牙の、あの鋭い爪の餌食になってしまっていたかもしれない。

 今こうして無事に生きていなかったのかもしれない。

 そう考えるだけで全身が震えた。


「――大丈夫」


 そんなアレクサンドラの手を、クイナは優しく握った。


「私が、いる…大丈夫。安心して」


 温かい手だった。

 優しい手だった。

 アレクサンドラを悪夢から救い出してくれた、あの手だった。


「………うん。ありがとう。クイナ」


 喉に詰まったように出てこなかった謝罪の言葉とは違い、この時のお礼の言葉はひどく自然にアレクサンドラの口から洩れたのだ。




 アレクサンドラを見つけたグゥエンは、やはり先日同様興奮を露わに威嚇してきた。


「っ!!」


「グゥエン、エイグト ルネア!!」


 けれどもこれもまた先日同様に、グゥエンはクイナの一言ですぐに大人しくなった。


「アレクサンドラ、様。大丈、夫?」


「…え、ええ。大丈夫よ」


 強がってそうは言ったものの、本当は全然大丈夫じゃなかった。全身が震え、気を抜けば奥歯ががちがちと鳴りそうになるくらい、怖くて仕方なかった。

 それでもアレクサンドラは繋いだままだった手を離すと、恐怖を押し殺しながら真っ直ぐにグゥエンに近づいて行った。


(きっと、今ここで逃げたら、ずっとドラゴンを苦手なままだわ)


 知りたいと思った。知る為には、ちゃんと向き合わなければ。

 グゥエンの金色の瞳が、アレクサンドラに向かって向けられる。思わず体が竦みそうになるその眼光に気圧されながらも、それでもアレクサンドラは真っ直ぐに視線を返した。

 どれくらいグゥエンと見つめ合っていたのだろうか。先に視線を逸らしたのは、グウェンの方だった。

 グゥエンはアレクサンドラから興味を無くしたかのように目を伏せると、ぐるっと小さく喉を鳴らした。


「…安心、している」


「……え?」


「アレクサンドラ様が元気になっている姿、見て、グゥエン、安心している」


 クイナの思いがけない言葉に、アレクサンドラは思わずグゥエンを二度見した。

 アレクサンドラがどれほど視線をやっても、グゥエンは目を伏せたまま、反応を示すことなく、その心中は全く分からない。


「グゥエンが、この群れの、リーダー。だから、出発決めるも、グゥエン。群れの一員、怪我すると、グゥエン動かない。他皆、グゥエンに従う。だから、今、元気なアレクサンドラ様見て、グゥエン安心した」


(本当、かしら)


 クイナの言葉は、アレクサンドラにはとても信じがたいものだった。

 先日アレクサンドラに襲い掛かって来て、殺しかねなかったグゥエン。そんなグゥエンが、一方で倒れたアレクサンドラを心配していただなんて、まさかと思う。アレクサンドラの気持ちを慮ったクイナが、でたらめを言っているのではないだろうか。

 けれども、もし。

 もしも、クイナの言うことが本当だとしたら。


(…嬉しい)


 アレクサンドラの胸の中に、昨日ドラゴン達の姿を見た時と同じ喜びが胸の奥に湧き上がってくる。

 ドラゴン達に、そしてグゥエンに、仲間の一員だと認められたことに対する喜びが。

 現金なもので、グゥエンに認められているのだと思った瞬間、アレクサンドラは胸のうちの恐怖を忘れた。


「クイナ。その…グゥエンに触ってみることは、できるのかしら?」


 気が付けば、そんな言葉が口から漏れていた。

 クイナは少し考えた後、グゥエンに向かってモルドラ語で何かを告げた。

 その言葉に促されたかのように、グゥエンの金色の瞳がゆっくり開かれ、再びアレクサンドラとグゥエンの視線が交差した。


「…あ」


 そして、次の瞬間グゥエンはその大きな頭をアレクサンドラに向かって、静かに寄せてきた。


「少し、だけなら、って」


 一瞬の躊躇の後に、アレクサンドラはおそるおそる手を伸ばして、そっとグゥエンの頬のあたりを指先でふれた。

 指先に伝わる鱗の冷たさに思わず、体が跳ねそうになるが、何とかこらえてその鱗にそっと指を這わす。

 グゥエンは身動き一つすることもなく。ただアレクサンドラのされるがままになっていた。


「――ありがとう」


 そうしていたら、また、言葉が自然に出てきた。


「私を待っていてくれて、私を仲間だと認めてくれて、ありがとう。グゥエン」


 紡いだ言葉は、ルシェルカンド語だ。モルドラ語ならまだしも、グゥエンにちゃんと言葉が通じているとは思えない。

 それでもどうしても、伝えたかった。

 伝わっていない筈の感謝の言葉。けれどもグゥエンは、まるでそんなアレクサンドラの言葉に応えるように、小さく喉を鳴らしてその眼を細めた。

 グゥエンがアレクサンドラに触れることを許してくれたのは、ほんの短い間で。顔を背けるようにして、すぐにアレクサンドラから離れると、じゃれるようにその頭をクイナに摺り寄せ始めた。クイナはクイナで、慣れた様子でそんなグゥエンに応える。

 先日見た時は、嫉妬をかんじざるを得なかった光景だが、今のアレクサンドラは穏やかな気分でそれを眺めることができた。


「……クイナは、すごいわね」


 アレクサンドラの言葉に驚いたかのように軽く目を開いたクイナの様子に、思わず口元に微笑が浮かんだ。

 悔しくないわけではない。

 クイナに対して劣等感を感じないわけではない。


「グゥエンと心の底から、気持ちを通わせているのね。本当にすごいわ」


 それでも、自分でも驚くくらい、素直にそう思えたから。

 アレクサンドラは心の底から、クイナに賛辞の言葉を贈ることができた。


(――ああ、きっと、今なら言える)


 先程言えなかった謝罪の言葉を、今の気持ちだったらきっと素直に言える。

 謝って。そして、ドラゴンについての教えを請うて。そしてもしクイナさえ良いのならば…。


(友達になってと、そう言おう)


 それは、いままでまともな友人関係を築いたことがないアレクサンドラにとって、一大決心だった。

 けれど、決意を胸に開きかけたアレクサンドラの口は、言葉を紡ぐこともないまま固まった。


「――すごく、ない…気持ちも通わせてなんか、ない…」


「……クイナ?」


 ひどく掠れた弱弱しい声で首を横に振りながら、クイナは微笑んだ。

 病床で見たあの笑みとは全く違う、見ただけで作り笑いと分かる、痛々しい笑みだった。


「だって、グゥエンは、私の神、違うから」


 アレクサンドラは、自身が賛辞のつもりで投げ掛けた言葉が、どうしようもないほどにクイナを傷つけたのだと悟った。


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