成長の萌芽
オシュクルに包まった布団ごと抱きかかえられながら、アレクサンドラはテントの外に出た。
ちょうど視線の高さのあたりまで上っている太陽の位置が、アレクサンドラに自分が随分長い時間眠っていたことを教えた。
「…どこへ行くの?」
「行けばわかる」
アレクサンドラの問いに答えないまま、オシュクルはテントの間をぬって、オシュクルは迷いなく足を進める。
(あれ、そっちの方向って…)
「――知っているか、アレクサンドラ。ドラゴンは希少種故に、仲間意識がひどく強い。群れの仲間がけがなり病気なりをすれば、その個体が回復するまでその場を離れようとしないのだ」
本来なら、もうとっくに行進が始まって、荒野の中を皆で一斉に歩いているような時間だ。
行進はあくまでドラゴンが主導で、人間はただその歩みに従っているだけ。主体はあくまでドラゴンだ。
だからこそ、アレクサンドラはそこに、彼らの存在を見つけることは出来ないと思っていた。
オシュクル達の働きで、普段町へ立ち寄る際のように、一時的にどこかへ飛び去ってもらうことは出来ても、人間の勝手な都合でその足をこの地に留めることなど出来やしないと、そう思っていたのだ。
それなのに。ああ、それなのに、今目の前に広がる、この色は。
「どの個体も、朝からずっとこの場を離れようとはしない――きっとそうなると、私たちは最初から信じて疑っていなかった」
息を飲むほどに美しい、この鮮やかな色彩は。
「アレクサンドラ。お前はもうとっくに彼らの形成する群れの一員なのだよ。我らが神が認めた、正式な遊動の旅のメンバーだ」
まるで眠っているかのように、丸まってその場にうずくまっているドラゴン達の姿に、アレクサンドラの目からは涙が溢れて止まらなかった。
「オシュクル…私、ここにいていいの?私みたいに、何もできなくて、迷惑ばかりかけてばかりの人間を、皆仲間だと思ってくれているの?」
「ああ、最初からそう言っているだろう。お前が望む限り、私達はお前を受け入れると。それに皆、お前が精いっぱい努力していることも知っている。努力している人間を、否定する人間などここにはいない」
『大丈夫。みんな、待ってる、よ…私達も、ドラゴン達も、皆、アレクサンドラ様元気なるの、待っている…だから、大丈夫…ゆっくり、治して、下さい』
先ほどのクイナの言葉が、改めてアレクサンドラの胸に、染み渡る。
勝手に劣等感を感じて、いじけて、そしてクイナに八つ当たりをした。
けれども、そんなアレクサンドラを、クイナは優しく受け止めてくれた。
もし、あの言葉がクイナの本心からの言葉だったなら。
「……オシュクル。私、さっきクイナにひどいことを言ったわ」
「…そうか」
「謝らないと…謝って、そしてクイナに、やっぱりドラゴンのことを教えて欲しいってお願いするの…」
目元に滲む涙を、袖で少し乱暴に拭いながらアレクサンドラはまっすぐにオシュクルに見据えた。
「知りたいの。ドラゴンのことも…クイナのことも」
無知は罪だ。そのことをアレクサンドラは、今身に染みて学んでいた。
無知ゆえに、アレクサンドラは不用意にドラゴンに近づいて、危険な目にあった。
そしてその一度の経験だけに囚われて、今度はドラゴンを危険で近づいてはいけない生物だと思い込みそうになっていた。
ドラゴンがアレクサンドラを襲ったのは、すべてアレクサンドラの浅慮が招いたことだったのに。彼らは、アレクサンドラを仲間だと認識して受け入れてくれていたのに。
クイナのことだって、同じだ。劣等感から苦手な相手だと決めつけて、遠ざけていた。しまいには勝手な妄想に囚われて、クイナの姿を歪めて、ひどい言葉を言い放った。アレクサンドラは、クイナのことなんて何一つ知りはしないのに。
直感だけで、考えなしに、ただ感情のままに生きてきた。それでもいいと思っていたし、それが何だかんだでずっと許されてきた。それが自分なのだと開き直り、それを受け入れる許容がない相手のほうにこそ非があるのだと、そう思っていた。
けれど、それでは駄目だ。駄目だということに、ようやく気が付けた。
(変わら、ないと)
変わりたい。変わらないといけない。
この優しい、大好きな人から、心から愛してもらえるような自分になりたい。
自分を仲間だと受け入れてくれる人々に、胸を張れるような、そんな風になりたい。
モルドラの王の妃として、相応しい、そんな人物に。
「ああ、それがいいな…その為には、まずはしっかり体調を治せ。お前が元気になるのを皆待っている」
アレクサンドラの胸の奥に芽生えた、成長の萌芽。
それを見守るように、オシュクルは優しく目を細めた。
(…さて、どんな風に声をかければいいのかしら…『このあいだは、ごめんなさいね。ちょっと熱のせいで朦朧として』?…いや、言い訳がましいし、何だか上から目線だわ…『八つ当たりして、申し訳ありませんでした』?…いや、さすがにへりくだりすぎだわ…一応目上の立場である以上、ある程度の威厳は保たないと…『先日はごめんあそばせ』…何だかとても嫌味っぽいわ…そもそもそクイナにこんなルシェルカンド語通じるかしら)
あの後一日ゆっくり休んだ結果、アレクサンドラの体調はすっかり全快していた。
エルセトは『一気に熱が上がって、一気に回復するとは、フルへとイアネが先日熱を出した時と全く同じですな。アレクサンドラ様は病のかかり方も、精神年齢相応なようで』と嫌味を言いながらも、旅の再開の太鼓判を押してくれた。
アレクサンドラが寝ている間に、オシュクルは、クイナにアレクサンドラが話したいことがあることを伝えてくれていた。「謝るのなら早いほうがいいだろう」とのことだ。
話しかけるきっかけを作ってもらって実にありがたいのだが、取り付けてくれた約束が翌朝というのはちょっと性急すぎやしないだろうか。口には出さないが、アレクサンドラとしてはもう少し時間が欲しかったのが本音である。
昼間散々寝たこともあり、その晩アレクサンドラは眠れない夜を過ごすことになった。
(ああ、もう!!こういう時って、普通はどうやって謝るものなの!?)
思えば、アレクサンドラは今までの同年代の女性と争うことこそあっても、そこから仲直りした経験なんかない。友人と呼べる存在自体そもそもいなかったし、取り巻く召使いは皆大人ばかりで、アレクサンドラが謝る前に向こうから歩み寄ってきてくれた。
だから正直言って、今の状況は怖い。
昨日の反応を見る限り、クイナは怒っていないように見えたが、一日経って後から怒りが湧き上がってくることだってある。
改めて考えてみると、やっぱり昨日のアレクサンドラがクイナにしたことはあんまりすぎる。もし自分がクイナの立場なら、間違いなく言われた瞬間に癇癪を起していただろう。
だからこそ、クイナが簡単に許してくれるものだなんて思わないほうが良さそうだ。
「――アレクサンドラ。クイナが来てくれたぞ」
「っ!!」
オシュクルの言葉に、アレクサンドラは唾をのみこんだ。
とうとう、この時間が来てしまった。
まるで錆びついた機械のごとくぎこちない仕草でうなずくと、オシュクルがテントの扉を開けてクイナが入って来た。クイナはいつもと変わらない無表情で、見ただけでその内面の気持ちはよくわからない。
「…おはよう、ございます…」
「っあ、その…おはよう、クイナ…」
「…………」
「来てくれて、ありがとう…その、で、ね…」
「…………」
「昨日はその…えっと……」
「…………」
「…………」
(どうしよう。やっぱり、どんな風に謝ればいいのかわからないわ…)
「ごめんなさい」ただその一言が、いざクイナを前にすると、どうしてかうまく言葉にできなかった。