自業自得のその結果2
明朝、アレクサンドラは屋台で購入したお菓子をフルへとイアネに持っていった。双子はアレクサンドラのお土産をとても喜んでくれたが、滞在中に仲良くなった村の子供たちと共に食べるのだと言って、二人してすぐに駆けだして行ってしまった。
少し、いや、結構寂しい。
アレクサンドラが肩を落として村長宅に戻ると、屋敷の中が少し騒がしかった。
「どうしたの?オシュクル」
「どうやら、シュレヌ達が戻って来ているようだ。予想より少し早かったな」
そう言えば、屋敷に戻る途中、村人たちがこぞって村の入り口の方に集まっていた。あれは、滅多に見えないドラゴン達を見に集まっていたのだなと一人納得する。
「昼前には出立する。アレクサンドラも準備をしてくれ」
「わかったわ」
数刻後には、アレクサンドラは荷物をまとめた遊動の旅のメンバーと共に、村を後にした。
村人たちは、王の出立を心から惜しんで、総出で見送ってくれた。
アレクサンドラは、フルへとイアネと並んで歩きだした。少し斜め後ろには、クイナが付き従っている。目元が赤い双子の姿にアレクサンドラの胸は締め付けられる。
どんな短い期間の滞在だって、別離は淋しいものだ。特に子どもは、親しくなるのが早い分、そのショックはなおのこと大きいだろう。
『フルへ。イアネ。…さみ、しい?』
覚えたばかりの片言のモルドラ語で問いかける。慰めたいのに、上手く言葉を紡ぐことができない語学力が悲しい。
アレクサンドラの言葉に俯いていた二人はパッと顔をあげると、顔を見あわせてから、ゆっくり首を振って何かを言った。
「【…大丈夫、アレクサンドラ様が、いる】…と」
「…っフルへ~、イアネ~!!…」
アレクサンドラはクイナから通訳された言葉に、思わず感極まって、幼い双子の師匠を抱きしめた。
そして擽ったそうに身を捩る二人を抱きしめながら、数刻前に村の子どもに嫉妬した狭量な自分自身を恥じた。
双子とアレクサンドラ。果たしてどっちが大人なのか分からない。
村を出ると、また同じような旅の日々が始まった。
村で新しく購入した食材のお蔭で、食事のメニューは多少変わったが、それでも日々こなすことは変わらない。
ただドラゴンに連れられて歩き昼食をとって、籠を編み、夕食を終えたらオシュクルと勉強をして共に眠るだけの毎日。
けれども以前と同じ日々なのに、アレクサンドラの胸の内は以前とは全く違っていた。
恋をしている。
夫であるオシュクルが、好きで仕方ない。
一度自覚した途端想いは、日に日に膨らんで育っていく。
ただ傍にいるだけで、言葉を交わすだけで、温かい物がじんわりとアレクサンドラの中に広がっていく。
何気ない小さなことで一々胸がときめき、わくわくする。こんな気持ちは生まれて初めてだった。
けれど恋愛という感情は、そんないいものばかりでもなかった。
(私はオシュクルが好きだけど、私が思う程オシュクルは私を好いていてはくれないわよね)
ふとした瞬間にそんな考えが頭に過ぎる度、アレクサンドラの胸はきりきりと締め付けられた。
オシュクルがアレクサンドラに対して、恋愛感情を抱いていないことは誰が見ても明らかだった。
嫌われてはいないと思う。寧ろ(願望はあるのかもしれないが)どちらかといえば好かれているような気もする。
けれどそれはあくまで幼子や、小動物に抱くような慈愛の感情で、異性としてではないことくらい、自惚れが強いアレクサンドラだって分かる。
褥を共にする際わざと体を摺り寄せてみても、それとなく誘惑しても、なしの礫なのだ。今さら(必死に想いを押し隠しているだけで本心では実は…)なんて楽観的な妄想、出来る筈もない。
自分の隣で一切の色欲を感じさせない穏やかな表情で眠るオシュクルの寝顔を眺める度、アレクサンドラは幸福さと苦さが入り混じった感情に襲われて、いつも泣きそうになった。
好きな人に、同じ想いを返して貰えないことが、こんなにも辛いことだなんて、知らなかった。
(どうすれば、オシュクルはもっと私のことを好きになってくれるのかしら…)
アレクサンドラは、悩んだ。
普段は直感任せであまり働かせたことがない頭を必死に動かして、ひたすら悩みに悩んだ。
そして考えに考えた末に、一つの結論に至った。
「――…さすがにこの時間だと、あたりは薄暗いし、少し肌寒いわね」
普段より一刻早い時間に目を醒ましたアレクサンドラは、眠い目を擦りながらオシュクルの腕を抜け出して、夜明け前の薄暗い外を歩いていた。
遊動の旅のメンバーの朝は、アレクサンドラのルシェルカンド時代の起床時間よりもなお早い。さらにそれよりも一刻早い時間というのは、アレクサンドラにとって未知の時間帯とも言える。
アレクサンドラは朝靄が立ちこめる周囲を物珍しげに眺めながら、テントの間をぬって進んだ。
果たして、目的の主は戻って来ているのだろうか。戻ってきていたとしても、アレクサンドラの姿を見てどんな反応を示すだろうか。
アレクサンドラの心臓は、不安と緊張でどくどくと脈打った。
「…いたわ…」
最後のテントの脇を通り抜けた時、ちょうど朝日が差し込んで来た。
アレクサンドラは目の前に広がる光景に、束の間緊張も忘れて見惚れた。
アレクサンドラに目に映るのは、既に見慣れた筈の様々な極彩色。
「やっぱり綺麗だわ…だからあんなにオシュクルは惹かれるのかしら」
朝日に染まるドラゴンの色合いに、アレクサンドラは幾度目になるか分からない感嘆の溜め息を吐いた。
アレクサンドラが考え抜いた末、見出した結論。
「…さて、どれがシュレヌかしら」
それはアレクサンドラの最大の恋敵にして、オシュクルの最愛のドラゴンである「シュレヌ」と仲良くなることであった。
好きな人が好きなものと仲良くなれば、そしてシュレヌのことを知れば、もっとオシュクルに近づける気がしたのだ。
「これは…胸の模様が違う…これは胸の色使いが違う…これは…大きいわ。雄かしら?…あ、雄ね…えっと…じゃあこれは…」
アレクサンドラはどこか眠たげで、あまり動く様子の無いドラゴン達を10メートル程離れた距離から観察した。多少距離を置いているとはいえ、毎朝共に歩いているのだ。全く恐怖がないと言えば嘘にはなるが、首を伸ばしても噛みつかれないくらいの距離までだったら近づくことができる。
武器を持たずに単身で、世界最強の種族ドラゴンに近づく。そんなアレクサンドラの行為は、遊動の旅のメンバー以外の人間からだったら、とても信じられない程危険で命知らずの行為だったが、そのあたりアレクサンドラは相変わらずの浅慮だった。
遊動の旅を初めて早半月あまり。一度もドラゴンの危険性を目の当たりにしていないことが、アレクサンドラを楽観的にさせていた。
「……あれ、かしら?」
以前オシュクルが鉄仮面の表情を蕩かせて語っていた、シュレヌの身体的特徴と良く似たドラゴンの前で足を止めた。
だけどそのドラゴンは他のドラゴンと違って、どこかピリピリとした雰囲気を纏っている気がしてアレクサンドラは進みだしかけた足を止めた。
(なんだか近づいたら、まずい気がするわ…)
本当はオシュクルが知らない間にこっそりとシュレヌと仲良くなって、オシュクルを驚かせたいと思っていた。だから、今も静かに声を掛けるなり、その肌に触れるなりしてコミュニケーションを図る気でいた。
でも実物と思われるドラゴンと対峙したアレクサンドラの本能は、全身で警告を発していた。冷たい汗がこめかみを伝い、心臓がばくばくと音を立てる。
他のドラゴンならば、まだいい。けれど、あのドラゴン。シュレヌと思われるあのドラゴンだけは、駄目だ。一人で近づいたら、危険だ。
(取りあえずこの時間にドラゴンが戻って来ていることは分かったのだから、後はまた明日にしましょう。先にエルセトや…少し気が引けるけどクイナに相談するなりして)
アレクサンドラは本能からの怖気に素直に従い、この場を立ち去ることにした。
アレクサンドラはなるべく静かな足取りでゆっくりその場を離れようと試みる。幸い他のドラゴンはともかく、あのドラゴンはまだアレクサンドラの存在を認識していないように思う。このまま気が付かれなければ、多分大丈夫だ。
しかしアレクサンドラが一歩後ずさった瞬間、不意にこちらを向いたそのドラゴンと目があった。
「…っ!!!」
それは、一瞬だった。
ほんの一瞬、瞬きをした瞬間、気が付けばアレクサンドラの体は地面に投げ出されていた。
「…あ…あ…あ……」
アレクサンドラは一瞬のうちに自分の真上に跳躍し、カチカチと牙を鳴らしているドラゴンを見上げながら、絶体絶命のピンチに血の気を引かせた。