悪役令嬢は抱き枕を所望する
「なんだ。お前たち。こんな所で立ち話なぞして」
オシュクルが町長の家に帰宅したのは、アレクサンドラがげんなり顔のエルセトから、オシュクルの基本的なプロフィール一式(身長、体重、誕生日、食べ物の好み、血液型etc…)及びエルセトが最初にオシュクルと出会った際のエピソードを細かい突っ込みを入れながら聞きだし終えた時だった。
「光魔法と結界魔法を同時に展開までしているな…否、エルセトの魔力量を考えると、これしきのことで魔力が枯渇はしないとは思うが、純粋に無駄遣いではないか?屋敷の中で話せばいいだけだろう」
「…いえ、元々そう長く話すつもりは無かったもので。もう少し聡明な方が相手であれば、それがしの魔力の消費を心配して早く話を切り上げるなりして下さったのでしょうが、いやはや、残念ながらとてもそこまで気を回せる頭を持ってらっしゃらなかったようで。ええ」
「そうか。随分と仲良くなったのだな」
「オシュクル様?それがしの今の言葉に対する返答として、その言葉は余りに不適当ではございませんか?どこをどう取れば、それがしとアレクサンドラ様が仲が良くなったとそう思われるのです?」
「お前が不本意であっても自身の魔力を浪費してまで、アレクサンドラの話に付き合っていたのだろう?色々深読みするあまり、アレクサンドラと一線を置いて接しているのだと思っていたから、正直意外だった」
「……それがしは今、つい物事の裏を読もうとしてしまう自分自身の悪い癖を猛烈に反省している所です。何も考えずに感情に任せて直観的に生きる人間程、厄介なものはないものなのですな。…オシュクル様もまたしかりですが」
「?それは、どういう意味だ」
「いえ、こっちの話です…アレクサンドラ様」
大きく溜息を履いて肩を落としたエルセトの目線が、アレクサンドラの方へ向く。
「オシュクル様も戻ってきましたし、それがしはどこぞの思いやりと想像力が欠如した女性から無駄に魔力を浪費させられて、体が少しだるくなっておりますので、これにて失礼させて頂きます」
「わかったわ。エルセト…さっきの話の続きは【また】にしましょう」
「…………」
エルセトは疲れ切った表情を、盛大に歪めて拒否反応を示したが、当然ながらアレクサンドラは見ないふりを決め込んだ。
元はと言えば、主人の妻であるアレクサンドラを疑うエルセトが悪いのである。ならば心から信じられるようになるまで、とことん付き合って貰おうではないか。エルセトとアレクサンドラの間に信頼関係が芽生える為には、時間が必要なのだ。これはあくまで、主人の部下の信頼を勝ち取る為の仕方がない行為であり、アレクサンドラとて好き好んで陰険嫌味狐とコミュニケーションを図りたいわけではないのだ。
(まあ、そのついでにオシュクルの子ども時代の話をもっと聞かせてもらってもいいわよね。私とエルセトの共通の話題なんて、オシュクルの他にあるわけないのだから)
オシュクルとエルセトは、随分と幼い頃からの付き合いだったらしい。まだまだいくらでも話の引き出しはあるはずだ。彼らが築いた二十数年の信頼関係の歴史を、エルセトと仲良くなる為の参考として、是非とも聞かせて貰おうじゃないか。出来れば映像つきが良いのだが、なんかそういう過去の映像を見せてくれる類の魔法とかないのだろか。オシュクルの子供時代の姿とか大変興味があるのだが。
(今度エルセトに出来るかどうか問いただして見ましょう)
そんなことを考えているうちに、アレクサンドラの口元は自然と緩んでいた。
「随分と嬉しそうな顔をしているな」
「え?」
共に部屋に戻りながら、隣で発せられたオシュクルの言葉に、アレクサンドラは咄嗟に反応が出来なかった。
「いや、エルセトと仲良くなったのが、随分と嬉しそうにみえたものでな」
(え、これって、もしかして)
ちょっと目を伏せる様にして続けられてオシュクルの言葉に、アレクサンドラの胸はどきんと高鳴った。
オシュクルの表情は、さして普段と変わっているようには見えない。だが、そんなことは普段から表情筋が上手く働いていないオシュクルに関しては今さらである。
表情では今いち分からない。声の抑揚も、そこに滲む感情の機微もよく分からない。
だが、もしかすると。もしかすると、この言葉の流れを考えると。
(私がエルセトと仲が良いことに、オシュクルが嫉妬しているのかしら)
そう思った瞬間、恋に気付いたばかりのアレクサンドラの顔は、ぱああっと明るく輝いた。
黒曜石の瞳はきらきらと光り、頬と唇は赤く色づく。
好きな人から、嫉妬をされる。それはなんて心がわくわくして、嬉しいことなのだろう。
アレクサンドラは弾む胸を落ち着かせながら、にやつく顔を押し隠して、あくまで平然とした態度を取りつくりながらオシュクルに尋ねた。
「あら、オシュクルは私がエルセトと仲が良いと嫌かしら?私の不貞を疑うの?」
「いや、全く。寧ろ嬉しいくらいだ」
「………そう」
平然と返されたオシュクルの言葉に、アレクサンドラの気持ちは一気に萎んだ。
オシュクルは感情の機微は分からないが、嘘はつかない人だ。だから、この言葉もきっと心から本心で発せられたものなのだろう。
それが分かるからこそ、非常に腹立たしい。
アレクサンドラは完全に不貞腐れた状態で、ベッドに腰をおろした。
「…仮にも妙齢な男女が夜分に二人きりで過ごしているのよ。モルドラでは既婚女性の他の男性に対するタブーが緩いとは言っても、旦那様としては少しくらい気分を害してもいいのではないのかしら」
「どんな相手であれ、他国から来たお前を受け入れてくれるものが増えるのはいいことだ。それに私はエルセトを信頼しているからな。あれは王の后に手を出すような男じゃない。正直信頼しているあいつがお前を疑っている状況が心苦しかったから、お前たちが仲良くなるのは私にとっても喜ぶべきことなんだ」
「………………そう。なら良かったわ!!」
完全にいじけ虫がぐずりだしたアレクサンドラは、唇を尖らせながら徐にベッドに倒れ込んで、オシュクルから背を向けた。
分かっている。オシュクルはちゃんと、アレクサンドラの為を思ってアレクサンドラがエルセトと仲良くなることを望んでくれているのだ。そこに悪意なんて微塵もないのは、分かっている。
だけどどうしようもなく、面白くない気持ちになってしまうのだ。
(何よ…あの陰険狐ばっかり褒めて…どうせ私は、エルセト程オシュクルのことは知らないわよ…)
オシュクルが嫉妬してくれないことが詰まらない。
そして、オシュクルのエルセトへの真っ直ぐな信頼を見せつけられるのも腹立たしい。
アレクサンドラが感情のままに目の前の枕をぎゅうぎゅうに腕の中で締め付けていると、不意にオシュクルの手がアレクサンドラの頭を撫でた。
「それにアレクサンドラ。お前のことも、信頼しているからな」
(――え)
思いがけない言葉にアレクサンドラが振り向くと、僅かに目を細めて、いつもの分かりづらい笑みを浮かべるオシュクルと視線がかち合った。
「必死に遊動の旅に馴染もうとしているお前が、変なことを考える筈はないと信じているから、お前が誰と親密に話していても全く気にならない。お前は私には勿体無い妻だ」
かあっと顔に熱が集中していくのが分かった。
(…ああっ、もう、この人は…!!)
「……オシュクルは、ずるいわ」
「うん?」
「ずるい、ずるすぎるわよ!!」
「ど、どうしたんだ。アレクサンドラ。突然」
オシュクルは、ずるい。
恋を自覚したアレクサンドラ程、強い感情をアレクサンドラに向けているわけでもないのに、些細なひと言で、些細な表情の変化で、こんなにも簡単にアレクサンドラの気持ちを落ち込ませて、こんなにも簡単にアレクサンドラの気持ちを舞い上げる。
本当に、ずるい男だ。
(見てなさい。いつか絶対、私がオシュクルを想う以上に、私に夢中にさせてやるんだから)
だから、今は。
今は取りあえず、これで勘弁してやろう。
アレクサンドラは、投げ出した枕の代わりに、状況が分からず困惑するオシュクルの胸にしがみつきながら、ふんと鼻を鳴らしてそのまま目を瞑った。