精霊の幻影
「オシュクル、オシュクル。この砂糖がかかった揚げ菓子、とても美味しいわ!!オシュクルも食べてごらんなさい!!」
「ああ。貰おうか。うん…甘いな」
「オシュクル、オシュクル、あの食べ物見たことないわ!!買って頂戴!!」
「構わないが、全部食べきれるのか?さっきからもう随分食べているようだが」
「持って帰れそうなものは、千切って一口だけ食べて、後はフルへとイアネのお土産にするの。10歳未満の子どもは、祭りに惹かれて集まった精霊が、自分の子どもと間違って連れて帰ってしまう危険があるとかで、一日家を出ることが出来ないのでしょう?せめてお土産でお祭り気分を味あわせてあげたいの」
「そういうことなら、構わない。好きなものを買うといい」
教会での儀式が終了した後、アレクサンドラはオシュクルと連れ立って村の中央に設けられたささやかな市場を漫喫していた。
並べられた食べ物は、どれも素朴だがアレクサンドラが今まで出会ったことがない物ばかりで、アレクサンドラの黒曜石の瞳はきらきらと輝く。
辛くて少し酸っぱい木の実が入った温かい麺を食べ、小麦を練って揚げて砂糖をまぶした菓子を頬ばり、珍しい木の実をオシュクルのアドバイスに従って買い、不思議な色の石がついた独特の形のアクササリーを手に取ってみる。
広場には、仮装をしたままの村人たちが入れ替わり演奏する音楽が常に鳴り響き、誰からともなく突然ダンスや歌が始まる。
日が沈みオレンジ色に染まっていた空は、いつの間にかすっかり暗くなり、篝火と空の星々の光が、光源に切り替わる。その非日常の光景に、アレクサンドラの胸はどうしようもなく弾んだ。
「オシュクルは、さっきから何を飲んでいるの?」
「ああ。この辺りで獲れる、特殊な木の樹液から作った酒だ。…一口飲んでみるか?」
「飲んでみたいわ。頂戴」
オシュクルが先程、甕から買っていたカップを受け取って、中身を一口口に含んだ瞬間、アレクサンドラは激しく咽こんだ。
「…なに、これ!!喉が焼けるわ」
「果実酒しか飲みなれないのなら、きついかもしれないな。だがこの辺りでは祝い事の時には、男も女も、10を越えれば子どもですら口にする酒だ。もう少し、飲んでみるか?」
「い、いらないわ!!」
オシュクルの言葉通り、周囲の人達は老若男女関係なく、皆平気そうに酒が入ったカップを煽っている。アレクサンドラは信じられない物を見るかのような面持ちで顔を引きつらせながら、カップの中身をオシュクルに返した。
オシュクルもまた、平気そうにカップを口に運んだ。酔いを微塵も感じられないその姿に、アレクサンドラの口元は引きつる。一体どれだけ強いのか。
(一口飲んだだけだけど…少し、酔いが回って来たわ)
アレクサンドラは火照った顔を醒ますように、指先で仰ぎながら一人ごちた。
15を超えた頃から、度が低い果実酒であればそれなりにアルコールも嗜んで来たアレクサンドラは、いくら強い度数の酒だからと言って、一口で酔いつぶれ醜態を晒すようなことは無い。ルシェルカンドでは貴族女性の飲酒は一般的に行われているが、あくまでそれは酔って醜態を晒さないことを前提としたうえでの話だ。思慮が浅いアレクサンドラとて、腐っても名門セルファ家、そのあたりはきちんと教育されている。
けれども、流石にこれだけ強い酒を口にすれば、多少は酔う。アレクサンドラはふわふわする意識を落ち着けるように、大きく息を吐き出して広場を行きかう村人たちを眺めた。
(――え)
アレクサンドラは、視界の端を過ぎった姿に、大きく目を見開いた。
それが、見えたのは一瞬だった。
広場の人たちの頭上を、手を繋いで笑いながら手を繋いで空を翔ける、半透明な二人の男女。愛おしげに顔を見合わせるその姿は、先程の儀礼で見た、木と花の精霊役の男女とそっくりだった。
それは酔いが見せた幻影だったのだろうか。瞬きをした瞬間、その姿は消えてしまっていた。
「ねえ、オシュクル。…私、今、精霊を見たかもしれないわ」
呆然と口にしたアレクサンドラの言葉を、オシュクルは笑わなかった。
「そうか。運がいいな。この辺りの精霊は、気に入った者にしか姿を見せないというからな」
アレクサンドラが見た精霊の姿は、酔いが見せた思い込みなのかもしれない。
異国人であるアレクサンドラが、精霊から気に入られる要素などを持っているなんてとても信じられないのだから。
けれどアレクサンドラはその事実が、今まで知らなかったオシュクルの世界に受け入れてもらえたようで、なんだか酷く嬉しかった。
「すまないが、私はこの後少し広場で村長たちと話さなければならない様がある。クイナを呼んだから、二人で先に戻っていてくれないか」
一頻り祭りを漫喫したアレクサンドラは、最後に発せられたオシュクルの言葉に思わず口をへの字にして顔を歪ませた。
しかし、そんなあから様なアレクサンドラの拒絶反応にも、脇に控えたクイナはいつもの無表情を張りつめたまま、少しも動じない。
アレクサンドラは喉元まで出かけたオシュクルを引き留める言葉を呑みこみ、不承不承に頷いた。
「すぐに、戻る。先に寝ていろ」
そう言ってアレクサンドラの頭を一撫でして立ち去るオシュクルに、縋り付きたくなる気持ちを堪えながら、黙ってその背を見送った。
そして、オシュクルが去った途端、その場には沈黙が支配する。
(どうも苦手なのよね…クイナって)
他のほとんどの遊動のメンバーには気兼ねなく接することが出来るアレクサンドラだが、どうもクイナとエルセトだけは苦手だった。
特にクイナは何を考えているかも分からず、色々とアレクサンドラの劣等感を煽る要素を有しているのに、唯一ルシェルカンド語を介する同性なだけに四六時中傍にいないといけない。それが、アレクサンドラにとって溜まらなく、苦痛だった。
せめてクイナのルシェルカンド語がもっと流暢だったら、また状況が違っていただろうに。アレクサンドラは自分のモルドラ語の語学力の無さを棚にあげて、その事実を少し恨んだ。
「…それ」
「え」
突然クイナから発せられた言葉に、アレクサンドラはびくりと体を跳ねさせた。
「それ、持つ」
一瞬何のことか分からなかったが、向けられる視線を辿って、クイナが言う「それ」がアレクサンドラの持つ双子へのお土産だと気が付く。
「あ、ありがとう」
「構わ、ない」
「………」
「………」
「……………」
「……………」
(…ちょっと、もっと何かしら話題を振るなりしなさいよ…!!)
アレクサンドラは無言で傍らを歩き続けるクイナに、内心で頭を抱えた。
今はまだ賑やか広場にいるからいいが、これから星明りだけの暗い夜道を二人で歩くことになるのだ。恐怖心を紛らわす意味でも、せめて会話くらい交わしたいのに、クイナは押し黙ったままだ。
「えっと…クイナは、お祭りで一体何を食べたのかしら?」
「…麺?…」
「私も食べたわ。木の実が乗っている奴でしょう?美味しかったわ」
「そう…なら、良い、思う」
「………」
「………」
せっかくアレクサンドラが話題を振っても、この始末である。
(…っもう、誰でも良いから他に誰か家まで戻る人いないのかしら!!こんな状況耐えられないわ)
アレクサンドラの心の叫びは、非常に不本意な形で叶えられた。
「…おや、オシュクル様は、麗しい奥様と一緒に帰られないのですか。いくらクイナの腕が立つとはいえ、女性の二人歩きを許可されるとは些か不用心な判断ですな。仕方がありません。まだ宴もたけなわというところですが、某も同行致しましょう」
どこからか現れたもう一人の苦手な人物の姿に、アレクサンドラの顔は盛大に引きつった。