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祭の儀礼

 オシュクルの言う言葉の意味は、分かる。分かるけれど、分からない。

 何故そこまで、モルドラの王族は国民に寛容になれるのか。

 他の神を信じる民を許すことは、自らの信仰を穢すことにはならないのか。

 彼ら自身は、驚くほどドラゴンに傾倒しているのに、それでいてその思想を他者に押し付けようとはしない。


(不思議だわ。オシュクルも、モルドラという国も、本当に不思議)


 不思議だけど嫌いじゃないと、アレクサンドラは思う。

 神の名前を語りながら、自らの利益の為だけに他者の信仰を迫害するルシェルカンドの聖職者なんかよりずっと素敵な考え方だ。


「信仰の数だけ、神がある。人の数だけ、あるいはそれ以上に、神はこの地に無数に存在しているのだ。人によっては、そのあたりに転がっている小石にすら、神が宿っているという者がいる。取り巻くもの全てに、神は宿るのだと。私はその考えに賛同するわけではないが、それが間違っているということも出来ない。なぜなら、そのように信じる者達には、確かに全てが神なのだろうから」


「取り巻くもの全てに神が宿る…」


 ならば、この古ぼけた教会も、その人にとっては神なのだろうか。

 昨夜眠ったベッドや、今アレクサンドラが身に纏っている衣服ですら、神だというのか。

 なんて、それは荒唐無稽な考え方なのだろう。

 けれども、アレクサンドラならば思わず笑い飛ばしてしまいそうな考え方ですら、オシュクルは否定しない。王である彼ならば、他の宗教を否定し、国の宗教を唯一に定めたとしてもきっと許されるのだろうに。

 アレクサンドラは、ふと、オシュクルの顔を見つめた。


「…どうした?アレクサンドラ」


「――オシュクルの瞳を見ていたの」


 オシュクルの瞳の色は、黒。モルドラでは一般的で、ルシェルカンドでは少し珍しい、アレクサンドラの瞳と同じ色。


「私と同じ色の瞳の筈なのに、不思議だわ。オシュクルの瞳に映っている世界は、私の瞳に映っている世界と随分違うように思うわ」


 思わずそんな言葉を口にしてしまってから、何を当たり前のことを言ってしまったのだろうと、少し後悔をした。

 生まれ育った国も、環境も全く違うのだから、見える世界が異なるのは当たり前だ。

 けれども今、アレクサンドラは何だかその事実が無性に淋しく思えた。

 自分がモルドラ人だったら、オシュクルと同じような価値観を持って、世界を見ることが出来たのだろうか。

 この漆黒の瞳に映ったものと同じ風景が、同じようにアレクサンドラの黒曜石の上にも映し出されたのだろうか。

 そう思うと、何だかとてもやるせない。


「――見える世界が異なるというのならば、言葉で共有すればいい」


 知らず知らずのうちに項垂れていたアレクサンドラの頭を、オシュクルが軽く撫で上げた。


「その為に口があり、言葉があるのだろう?私の世界をお前が望むだけ教えるから、お前の世界も私に教えてくれ、アレクサンドラ。一つしか世界を知らないよりも、多くの世界を知っている方が、自身の世界はより一層広がるのだから」


 オシュクルの言葉に、淋しかった気持ちが一瞬で吹っ飛んだ。


「ええ、勿論!!なんだって、いつだって教えてあげるわ」


 口元から自然に笑みがこぼれる。胸の奥がぽかぽかと温かくなっていく。


(不思議だわ、不思議。モルドラには不思議なものがいっぱいあるけれど、やっぱりオシュクルが一番不思議よ)


 オシュクルといると、アレクサンドラは今まで知らなかった不思議な感覚が胸の奥から込み上げてくる。

 泣きたいような、笑いたいような、嬉しいような、淋しいような、踊りだしたくなるような、むず痒いような、チグハグで、よく分からない奇妙な感覚。

 これは一体何なのだろう。

 傍にいるだけで、言葉を交わすだけで、勝手に胸から溢れきて止まらない、この気持ちの正体は。


「…始まったな」


 胸に湧き上がる疑問をかき消すように、どこからか笛の音が風に乗って流れて来た。

 素朴で、単調で、どこか懐かしいその音色を皮切りに、木の皮や葉で作られたように見える独特の衣装を纏った村人たちが教会の中へ入ってくる。

 その手に持っているのは、様々な楽器…と言えるのかよく分からない代物。楽器のように扱っているのだから、楽器なのだろう。けれどもその見かけは、アレクサンドラが想像する楽器とはずいぶん違っていた。

 ある村人は、表面がギザギザの木の枝を、別の木の枝で擦って音を出している。あるものは、シャカシャカと砂が擦れるような音がする木の実のようなものを振っている。ある物は枝で、教会の中にある物を片っ端から叩いて音を出している。最初の笛も、筒状の植物を切り取り、錐か何かで穴をあけただけの、酷く単純な構造のものだ。

 ほとんど自然のままの原型を残した楽器で演奏をしながら、中央の少しふくよかな女性がモルドラ語で何かを高らかに歌っている。彼女が身に纏っている衣服は、色鮮やかなたくさんの花で飾られている。

 それは、一見酷く奇妙な儀式のように見えた。

 笛を吹く男が集団から一歩進み出て、女性に近づいて行った。


「モルドラの祭事は、神話をなぞって行われることが多い。ここの祭事は、彼らが信仰する木の精霊と、同じ眷属である花の精霊の婚礼を模したものだ。木の精霊と花の精霊が婚姻を結ぶことで、実りを司る精霊が生まれ、土地が富むと言われている。笛を吹く男が、木の精霊の役割だ」


「結婚式…」


「実際にこの辺りの地域では、男女が婚姻を結ぶ際も、同じように精霊を模して式を行うらしい。詳細は知らないが、なかなか興味深い儀礼だ」


 男は笛を吹くのを止めて、手に持った笛を地に置いて跪きながら、女性に向かって歌い始めた。

 モルドラ語が未熟なアレクサンドラには、男がどのような歌詞を歌っているのかは、分からない。けれどもその甘い響きは、彼が女性に対する愛を歌っているのだと、確かに感じさせた。

 男性の声と女性の声が重なり、粗末な楽器の演奏と交じり合って、教会の中に特別な空間を作りだしていく。まるで神話の世界の中に入っていくような、そんな錯覚がアレクサンドラを襲う。

 女性が跪く男性の手を取り、二人の視線が交差する。そのまま身を寄せ合うその姿に、アレクサンドラは何だかどきどきした。


(別に、あの二人は儀礼を行っているだけで、本当の夫婦ではないのよね)


 けれども、その雰囲気はまるで真実愛し合っているもの達のように、酷く甘い。愛し合っている神々を模しているのにしても、少し距離が近すぎるのではないだろうか。仮にも神の結婚式なのだから、もっと厳かであるべきなのではないか。

 思い出すのは、オシュクルと自らの結婚式の様子。衣装は美しかったが、内容自体は酷く儀礼的で、形式ばっていた。しかも、最後には何だかよく分からない奇妙な液体まで飲まされた。

 同じ国内での結婚式なのに…否、今見ているのはあくまで模しているだけの儀礼だと分かっているが…ずいぶんな違いではないのか。何というか、ここまで甘い雰囲気を醸し出さないまでも、もう少し夫婦の共同作業のような、絵になる場面があっても良かった気がする。ルシェルカンドの結婚式ように、口づけを交わしたり、アクセサリーを交換したりする習慣がないのは仕方がないとしても。

 アレクサンドラは何だか少しつまらない気持ちで、隣にいるオシュクルに視線をやった。予想していた通り、オシュクルは表情一つ崩さずに、ただ目の前の儀礼を見つめていた。

 悔しいので、少しだけオシュクルに近づいて、そのまま体重を預けてみる。

 オシュクルはちらりとアレクサンドラに視線をやったが、特に何も口にすることもなく、ただされるがままになっていた。

 儀礼中、ずっとそうやって凭れかかってオシュクルの体温を感じていたら、いつの間にかつまらない気分なんて無くなってしまっていた。


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