表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/81

誘惑、再び

 正直言えば、今のアレクサンドラには、モルドラの民が持つドラゴンへの執着は理解出来ない。

 確かにドラゴンは美しく強大で、モルドラを大国足らしめる力を持った重要な生物だ。

 そしてどんな生物でも、長い年月共にいれば、失った時の悲しみは大きくなる。

 しかし、それらの事実を踏まえても、アレクサンドラの目には、オシュクル達の信仰は大げさに見えるのだ。

 彼らは快適な生活を捨て、ただドラゴンの後を追うように国中を彷徨い歩き、自らの人生を掛けて、一匹のドラゴンに付き従う。そこに目に見える利益など、何もないというのに、自らの行動に疑問を抱くこともない。

 アレクサンドラは、思う。彼らの信仰は、異常だ。

 ルシェルカンドでは、どんな敬虔な神父だって、神の為に自らの全てを投げ出すことなんかしないだろう。聖職者は職業だ。信者から金を巻き上げて、生計を立てているだけの、欲深い世俗的な人間だ。…父、セゴールはアレクサンドラに、繰り返しそう語っていた。

 セゴールの意見はかなり極端なものではあるが、それは確かにルシェルカンドにおける宗教の一面でもあった。

 宗教は、すがるものを求める人たちの拠り所であり、聖職者が金を得る手段であり、国にとっては民を纏める為の道具である…とセゴールは言っていた。アレクサンドラは、そんなセゴールの言葉をいつも聞いていた為、宗教とはそういうものだと思っていた。

 だからこそ、アレクサンドラにはドラゴンの「敬虔」な信者である彼らの思考がよく分からない。

 オシュクル達はドラゴンを神だというが、アレクサンドラに言わせればただの羽根が生えた巨大なトカゲだ。それはけしてドラゴンに対する侮蔑ではなく、ただの客観的事実だ。

 そんなものに、彼らはどうしてそこまで傾倒出来るのだろうか。


 アレクサンドラは、未だ痛ましげな表情を浮かべたままのオシュクルの横顔を盗み見る。

 普段は無表情なのに、ドラゴンに関することだけ表情を変えるオシュクル。

 アレクサンドラが、そんなオシュクルの気持ちを真実理解する日など、この先来るのだろうか…




「――まあ、理解できなくても、取りあえず子種さえ貰ってしまえばこっちのものよね」


 アレクサンドラは就寝用のテントの中で、腕組みをしながら一人頷いた。

 精神的に繋がっていなくても、肉体的に結ばれさえすれば、子どもは出来る。そして子どもさえできれば、アレクサンドラの立場は安泰なのだ。深く考える必要はない。

 午後の活動を通して、アレクサンドラは自身の存在価値を疑った。自分は美貌と家柄だけの存在ではないかと悩んだ。

 けれどアレクサンドラは気づいた。自分は遊動の旅に必要な体力よりも、籠作りをスムーズに行える手先の器用さよりも、他国の言葉を理解して話すことが出来る言語能力よりも、ずっとずっと価値があるものを持っているではないか。

 そう――モルドラの王の唯一の妃であるという、立場だ。

 子どもだ。子どもさえできれば、それだけで一気にアレクサンドラの存在価値は高まるのだ。結局の所、アレクサンドラの考えは以前と同様にそこに行きつく。…なぜなら、子作りの努力をする方が、他の諸々の努力をして現状を改善するよりも、よっぽど手っ取り早いからだ。向き合いたくない問題から、目を逸らしているとも言う。

 幸い、遊動の旅において、夫婦のテントは他のメンバーとは別だ。オシュクルさえその気にさせれば、人目を気にすることなく目的を達成できる。


(初夜は失敗したし、昨日はショックで寝てしまったけれど、今日こそはオシュクル様を誘惑してみせるわ…っ!!)


 この二日間で数々のカルチャーショックを味わった経験が、アレクサンドラを大胆にしていた。

 あの女心の機微を介さない朴念仁は、ルシェルカンド流に回りくどく言っても無駄だ。

 恥も良識もかなぐり捨て、かなり直接的にオシュクルを誘う決意をアレクサンドラは胸に宿していた。


「…なんだ、まだ起きていたのか。先に休んでいて構わなかったのに」


 夜の鍛錬から戻ってきたオシュクルに、アレクサンドラは慌てて笑みを浮かべる。


「…オシュクル様と話したくて、待っていたのです。今日は午後からあまり話せなかったので」


 目を伏せて頬を染めながら返したアレクサンドラの言葉に、オシュクルは無表情で首をひねった。


「何故、今さら敬語を使う。さんざん普通の言葉で話したあとだろう」


「……」


 確かに、今さらである。遊動の旅に連れて行けと啖呵を切って以来、ずっと敬語なぞ使ってこなかった。今さら使ったところで不自然過ぎる。

 アレクサンドラは咳払いで、自身の動揺を誤魔化した。


「…今さらですが、やはり敬語を使った方がいいかと思い直しはじめまして…」


「楽な言葉で、別に構わない。一応私達は夫婦だからな。あとずっと言おうと思ってたんだが、取ってつけたような敬称も要らない。オシュクルと、ただそう呼べばいい」


 そう言いながらオシュクルは刀を二人の間に置こうとした為、アレクサンドラはその手を両手で握り締めることで、阻止した。


「…アレクサンドラ?」


「オシュクル…一応夫婦だと言うのなら、刀なんて私達の間に置かないで」


 アレクサンドラは精一杯悲しげな表情を作りながら、上目使いにオシュクルを見上げた。


「遠い異国の夜は、寒くて仕方がないの…どうか、オシュクル、私を温めて」


 アレクサンドラは、見事恥ずかしい台詞を言いきった自分に内心でガッツポーズをした。

 初夜の時よりも、ずっと直接的な閨の誘いだ。さすがのオシュクルも、意味を察することだろう。

 だが、オシュクルは、やっぱりオシュクルだった。


「温めてとは…どういう意味だ?具体的に何をして欲しいんだ?予備の布団を貰ってくるか?」


(何でここまで言って通じないのよ!!)


 どこまでも鈍いオシュクルに、アレクサンドラは内心歯噛みする。いくら何でも、鈍すぎる。

 こうなったら、さらに直接的な言葉を使うしかないではないか。

 アレクサンドラは覚悟を決めて、大きく息を吸った。


「…だ、」


「だ?」


「…抱いて、下さい!!」


 言ってしまった瞬間、アレクサンドラは全身沸騰させた。なんてはしたないことを口にしてしまったのだという、羞恥心で頭がくらくらする。

 だけど、仕方ない。この男はここまで言わなければ理解出来ない。

 アレクサンドラは真っ赤になって俯きながら、オシュクルの次の行動を待った。


「…分かった」


(…ああ。恥を忍んだかいがあったわ…)


 オシュクルの手が、アレクサンドラに向かって伸ばされる。アレクサンドラは報われたような気持ちで、オシュクルに身を任せた。

 オシュクルの腕がアレクサンドラの体を包み込む。アレクサンドラはそのままオシュクルの腕の中で、オシュクルの体ごと布団へと投げ出された。アレクサンドラは固く目を瞑って、来るべき時を待った。

 …しかし。


「…お前が、眠るまでこうして抱いていてやるから、安心して寝ろ」


(…はい?)


 オシュクルはまるで子供をあやすような手つきでアレクサンドラの背を叩きながら、アレクサンドラを腕の中に抱いた状態で布団を引き寄せた。

 そこに性的な雰囲気は、一切ない。


「ちょ、ちょっと、オシュクル…」


「すまない。異国の地で、淋しい思いをさせているな。私はこうやって抱きしめてやることくらいしか出来ないが、それでお前の気が紛れるなら、いつでもやってやるぞ」


(…あそこまでいったのに、全く通じていないなんて!!)


 本当にオシュクルはどこまでも、野暮天だった。


「…もういい。寝るわ」


「?ああ。お休み」


「…おやすみなさい」


 もうこれ以上オシュクルを誘惑する気は無くなったアレクサンドラは、そのままもう眠りにつくべく目を閉じた。

 オシュクルが寝転がった状態のまま片手でランプを消したのか、閉じた瞼の向こうでテントが暗くなったのが分かった。



 暗い部屋の中で感じる、一定のテンポで背を叩くオシュクルの手のリズム。

 耳元に聞こえる、規則的な心臓の音。

 全身で感じるオシュクルの体温。


(…あったかい…)


 要らぬ恥をかかされ、先程まで酷く激高していた筈なのに、気が付けばアレクサンドラは、穏やかな気持ちで眠りについていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ