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神を喪うということ

「…どうした。アレクサンドラ。夕飯が進んでいないようだが」


 隣で掛けられたオシュクルの声に、アレクサンドラは我に返った。

 どうやら自身の存在価値に思い悩むまり、スプーンが止まっていたらしい。


「流石に昼とほとんど変わらない食事だと、食欲も出ないか…だが、道中の食事はどうしたって、変わりばえのないものになる。町についたら、もう少し贅沢なものも食べられるのだが…」


「ち、違うわ。食事に不満があったわけではないのよ。少し考え事をしていただけよ」


 アレクサンドラは慌ててスプーンを口に運ぶ。

 確かにアレクサンドラに給仕された食事は、昼とさして変わりばえしない食事だったが、使っているスパイスも違うし、スープに浮いている小麦を練ったものも、昼とは違って中に具材が詰められている。ここまで気をつかって貰っているのに、不満を露わにするなんて贅沢だと、二日ほどしか遊動の旅に参加していないアレクサンドラでも分かる。

 清貧を美徳とするオシュクルに、そんな風に誤解されたくはなかった。


(…でも街に着いたら、少し贅沢な食事が出来るというのは、素敵ね。結婚式では、ほとんど料理何か口に出来なかったけれど、ちゃんとコックに作られたモルドラの料理って、どんな味がするのかしら)


 …まあ、かといって、今の食事に完全に満足しているわけではけしてないので、それはそれとして、新しくオシュクルから齎された情報には、密やかに胸を弾ませておく。

 嬉しいものは嬉しいのだから、仕方ない。美味しいものは、ほとんど全ての人間にとって。価値があるものである。


「考えごと?何を考えていたんだ。何か悩みや相談事があるのなら、聞くぞ」


「え、その…」


 アレクサンドラは視線を彷徨わせる。

 ここで、自分は美しさと家柄しか取りえがないのではないか、なんて素直に悩みを打ち明けられるアレクサンドラではない。そんなことを口にすれば、それだけでクイナに対して敗北宣言をすることになるような気がしたのだ。

 18年間で積み重ねたプライドは、そう簡単に自分を卑下する言葉を口にさせてくれない。

 答えを考えあぐねるアレクサンドラの目に、並んで仲良く食事をするアフカと、フルへ、イアネの姿が目に入った。


「――ルイ」


「うん?」


「ルイって、どの人なの?アフカの旦那様だと聞いたわ」


 咄嗟に、そんな言葉が口に出た。今考えていたわけではないが、元々オシュクルに聞きたかったことだ。今聞いたとしても、何もおかしくはないだろう。

 意外な質問だったのか、オシュクルは虚を突かれたように二、三回瞬きをした後、アフカ達の方に視線をやった。


「アフカの隣で一緒に夕食を食べているだろう。基本的に夫婦は並んで食事をとるものだ」


「え」


 アレクサンドラは、オシュクルの言葉に目を見開いてアフカの方を向いた。

 アフカの隣にいる男性は、どう見てもこのテント内で最年長の男性だ。

 髪は白髪が混じり、顔にはくっきりと皺が刻み込まれている。アフカだってそう若くはみえないが、それでも親子ほど年が離れているのではないだろうか。


「その…ルイは随分、遅くに結婚されたのね…」


「この騎士団では、そう珍しいことではない。寧ろ、一般より晩婚だったとはいえ、ちゃんと結婚しただけルイはまだいい方だ。遊動の旅を続けていれば、旅のメンバー以外の女性と深い交流をする機会なぞ滅多にないし、そもそも興味関心のほとんどが自身の神にばかり注がれて、女に心を砕く余裕がない奴らばかりだ。運良く恋人が出来たとしても、【あなたは神と私、どちらが大切なの!!】といってフラれるのが常だしな」


 あまりにも説得力があり過ぎるオシュクルの言葉に、アレクサンドラは絶句した。

 そして、どうやってもシュレヌ以上の存在になりそうにない自身の境遇に、改めて絶望した。

 ドラゴンを中心に世界が回っているようなこの男を、どうやって夢中にさせればいいというのだ。誰か切実に教えて欲しい。


「そ、そんな相手なのに、アフカはどうやってルイと結婚したの?」


 アレクサンドラは、その偉業を成し得たらしい先人の経験を尋ねることにした。

(この時、オシュクルの視線が再び止まっているアレクサンドラの手に注がれていたことに気が付いた為、慌てて食事を再開した)


「…旅の道中で、ルイが暴漢に絡まれているアフカを助けて、アフカが一目ぼれしたらしい。自分は親族もいない天外孤独な身だし、どうしても旅に同行したいというので、許可した」


「…ほ、ほれで?」


 興奮のあまり、思わず口に物が入ったまま尋ねてしまった。貴族令嬢らしからぬ不作法に、思わず赤面するが、オシュクルは全く気にする様子もなく話を続けた。


「アフカの情熱に絆されるように、ルイもアフカに惹かれ、やがてアフカが双子を身籠った。ルイとアフカは一度王宮のルイの生家に戻って祝言をあげ、フルへとイアネを出産した。そして、一年だけ共に過ごして、ルイだけが遊動の旅に戻って来た。ドラゴンの騎士団の家族は、国からの特別な補助が出る。アフカはルイの生家で、フルへとイアネを育てていたんだ」


「…ずっと、一緒にいたわけではないの?」


「まさか。旅をしながら、赤子を育てるなぞ不可能だ。今の年齢でも、特例で無ければ許可はしていない」


「…特例って?」


『ルイが、彼の神、過ごせる時間、短い。だから家族、供にいる…悲しみが、ルイ、壊さないように』


 クイナの言葉が、アレクサンドラの脳裏に蘇る。

 クイナが、瞳に強い意志を宿しながら、口にしたあの言葉。

 アレクサンドラが理解出来なかった、あの言葉の意味は。


「――ルイの神…彼が従うドラゴンは、まもなく寿命を迎えるからだ」


 オシュクルの口から出たルシェルカンド語で語られた真実は、明るいモルドラ語の会話が飛び交うテントの中で、酷く無機質に響いて聞こえた。


「自らの神を失った胸の穴を埋めることが出来るのは、家族しかいない。だから今のルイには、どうしても、アフカ達の存在が必要なんだ」


 アレクサンドラは軽い気持ちで発した質問に対する、思いがけないオシュクルの解答に、狼狽えた。


「そんな…ドラゴンの寿命って人間の何倍も、何十倍もあるのでないの?」


 アレクサンドラはルシェルカンドで聞いたドラゴンの伝説を思い出す。

 世界最強の力を持つドラゴンは、人為的に殺害することはほぼ不可能であり、またその寿命も人の想像を絶する長さを持っていると言われていた。その長さは何百年、何千年、何万年と、噂によってまちまちだったが、それでもアレクサンドラはドラゴンがそういう生き物だと信じて疑ったことは無かった。


「…一般的に魔物をはじめとした、力ある生き物は寿命が長いことが多いため、そのように勘違いされているが、ドラゴンの平均寿命は50年ほどだ。その能力の高さ故に、外的要因で亡くなることはまずないが、寿命ばかりはどうしようもない。だからこそ、私達のように神に従うことを決めた人間は、しばしば自らの神を看取らなければならないのだ」


 オシュクルはそう言って、痛ましげに目を伏せた。


「ルイの神であるアズリスは、今年で齢50になる老ドラゴンだ…今のアズリスは、空を自由に翔けることも難しく、地を歩く足取りも酷くたどたどしい。…ルイはアズリスを神とするようになって以来、40年以上もずっとアズリスと共にいた。どんな家族よりも、友よりも、近しい存在だ。そんなアズリスを喪失した時のルイの悲しみの深さは、一体どれほどのものか。…その悲しみを緩和してやる為に、出来る限りのことはしてやりたいんだ」


 アレクサンドラは、再びアフカ達の方に視線を向ける。

 ルイはアフカや子どもたちと話しながら、穏やかな表情で微笑んでいた。彼らが家族だと知った今、その姿はどう見ても幸福な家族の団欒にしか、見えない。

 そんなルイが笑顔の裏に、深い悲哀を抱えているとはとても信じられなかった。


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