籠作りと劣等感
オシュクルが去り、その場にはアレクサンドラとクイナだけが残された。
途端、アレクサンドラは一人取り残されたかのような、激しい孤独感に駆られた。
自分で思った以上に、オシュクルの頼っていたのだと、実感する。
「その…クイナ?よろしく頼むわね」
発した言葉は、自分でもはっきり分かるくらいぎこちないものだった。
クイナはアレクサンドラの言葉に、眉一つ動かすことなく頷いて見せた。
オシュクルも表情筋があまり動かないが、クイナもそれに負けていない。無表情で真っ直ぐに見つめられると、造作が整っている分、余計クイナを人形の様な無機質で冷たい存在に感じさせた。それともこれは、アレクサンドラを相手にしているからだろうか。
「案内する。午後、テント、籠編む…来い…来い、下さい?」
告げられたルシェルカンド語は非常にたどたどしかったが、わざわざ聞き直したり訂正する程でもない。
アレクサンドラは一つ頷いて、午後の仕事の場へ案内してくれるというクイナの後に続いた。
案内されたのは、昼食をとったテントだった。アレクサンドラが外で少し休んでオシュクルと話していた間に、他の人達が片付けてくれていたらしく、中は先程までよりすっきりしていた。
中に集まっていたのは、女性と子どもたち。男性は、オシュクルの方へ行っているらしい。幾人か、女性でもいない気がするのは、きっとオシュクルに同行している騎士の女性もいるということであろう。
(あれ?それじゃあ、クイナは?)
昨日ドラゴンの背に跨って空を翔けていた筈のクイナが、一体どうしてここにいるのだろう。通訳がいないアレクサンドラを気遣っているからだろうか。
「クイナ!!」
そんな疑問を口にする前に、昼にアレクサンドラに給仕をしてくれた中年女性が、クイナに向かって話かけた。
モルドラ語での会話だが、女性が明るい調子で話かけているのに対し、クイナの返事は端的でどこかそっけない。ルシェルカンド語が上手に話せないせいかと思っていたが、元々会話自体が得意ではないのかもしれない。
黙って脇でクイナと女性が話している様を眺めていたが、不意にその黒い瞳がアレクサンドラの方に向けられて、どきりと心臓が跳ねた。
「アレクサンドラ様…アフカ」
「アフカ?」
「彼女、名前。アフカ。午後の仕事、彼女、リーダー?」
クイナの言葉に、アフカと紹介された女性が、にっこり微笑みながら、頭を下げた。アレクサンドラも吊られるように頭を下げる。
続いてアフカはモルドラ語で何かを言った。
「昼、スープ、アフカ作った。口、あったか?」
クイナの通訳の言葉にほっこりと胸が温かくなるのを感じた。
「ズィ【はい】シューシェ【ありがとう】」
かろうじて覚えているモルドラ語で返すと、アフカは一層笑みを深くした。
笑うとくっきり目尻に皺が出来るその顔は、小さい頃から面倒を見てくれていた侍女とどこか似ていて、アレクサンドラはすぐにアフカが好きになった。
「皆、自己紹介する。聞いて」
クイナの言葉に、テントの中の人たちが一人一人自分の名前を名乗っていく。
そこにいる人たちは十人程度だったが、アレクサンドラの脳みそではとても覚えきれそうになかった為(というよりもルシェルカンド人のアレクサンドラには、クイナのような特徴的な美人でもない限り、髪の色も瞳の色も同じモルドラ人の顔は似たように見える)早々に記憶するのを諦めて、困ったらその都度クイナかオシュクルに聞くことにした。
かろうじて、十歳くらいの男女の双子の兄弟、フルへとイアネだけは覚えることが出来た。遊動の旅の人員中で、ただ二人きりの子どもだ。二人とも黒目がちで、目がくりくりして実に愛らしい。アレクサンドラに対してはにかみながら、自己紹介をしてくれた。
二人はアフカと、ドラゴンの騎士団の一人であるルイの子ども達らしい。ルイと言われた人物に全く心当たりが無かった為、今度オシュクルにどの人がルイか聞いてみることにした。
「何故、アフカは子ども達と一緒に旅を?」
こんなにも不便だらけで、他に同年代の子どもがいないような環境は、あまり子供の教育に適切だとは思えなくて、思わず聞いてしまった。
クイナはそれをアフカに通訳することがなく、ゆっくりと首を横に振って代わりに答えた。
「ルイが、彼の神、過ごせる時間、短い。だから家族、供にいる…悲しみが、ルイ、壊さないように」
クイナの解答はアレクサンドラにとっては酷く難解なものだったが、それを深く追求することは向けられたクイナの視線がそれを許さなかった。
アレクサンドラは、抱いた筈の疑問も忘れて、その強い意志を宿す黒い瞳に見惚れた。
何故自分と同じ色の瞳なのに、クイナの瞳はこれほど美しいのだろう。一体他のモルドラ人の瞳とは何が違うのだ。
「…自己紹介終わった。籠、作る。教える」
クイナが目を伏せて、その黒い瞳が黒い睫毛で隠されて、アレクサンドラは我に返った。我に返った途端、胸の奥から苦々しいものが湧き上がってくる。
(また、クイナに見惚れてしまったわ…)
クイナと話していると、アレクサンドラの自身の美に対する自信がひどく揺らぎそうになる。慇懃無礼な狐似の魔術師の他に、ルシェルカンド語でアレクサンドラの美貌を讃えてくれる人がここには誰もいないから猶更だ。(エルセトの言葉は明らかに表面的なものなので、いくら褒められても全く嬉しくない)
美貌なんて、ここでは全く役には立たない…特に、ドラゴンの美醜にしか興味が無いオシュクルに対しては。
そう分かっていてもやはり、自分より美しいかもしれない存在が近くにいることは、アレクサンドラにとって酷く悔しかった。
「木の蔓…前、集めた。荒野、違う場所で。これで、籠作る」
そう言ってクイナは、固い紐のような木の蔓をアレクサンドラの前に積み重ねる。
そしてアレクサンドラの前で、その蔓を器用に編んでみせた。その指先の繊細な動きにアレクサンドラが感心してみているうちに、みるみる籠が出来上がっていく。
出来上がった籠はピクニックへ行くときに持参するバスケットのような形状だった。ところどころ複雑な編み込みがしてあり、なかなか美しい。
「真似、するといい」
クイナが先程より明らかにゆっくりな手つきで二つ目の制作に取り掛かり始めたので、アレクサンドラも真似をして、恐る恐る蔓に向かって手を伸ばした。
「痛っ!!」
「…大丈夫、ですか?蔓、時々、指に刺さる」
(そういうことは先に言いなさいよ!!)
ちょうど切断面の部分が当たったのか。アレクサンドラの白い指先は線上に血が滲んでいた。
それを察したアフカが、慌てて布地の様なものを持ってきて、アレクサンドラの指先を拭ってくれた。
そのまま、また作業を再開したが、アレクサンドラは何度も指先を切って、その度作業を中断することになった。そもそも指先を上手く使うことが出来ず、周りのように上手に編むことなんかとても出来ない。
アレクサンドラが一つを作るのさえも満足に出来ないうちに、周りはどんどん籠を仕上げていった。フルへとイアネでさえ、指先を傷つけることなく、籠を作り上げている。
アレクサンドラは、酷く惨めな気持ちになった。
「初めて、出来ない、仕方ない。また、明日やればいい」
最初の一つを作り上げて以降、アレクサンドラに合わせているせいで作業が全く進んでいないクイナに無表情で慰められて、何だか余計に惨めになった。
「指、傷、いっぱい。夕食、手伝わなくて、いい。休め、て下さい?」
気遣いで言われて言葉さえ、まるで邪魔物扱いされたように感じられた。
(私は、何も出来ない)
夕食の準備をするクイナ達を遠目に見ながら、アレクサンドラは手を目の前に掲げた。
半日も立たないうちに傷だらけになった手を眺めていたら、何だか涙が滲んできた。
(私って、美貌と家柄以外、何の取りえがあるの…?)
劣等感を抱かずにはいられないクイナと共に過ごした午後の活動は、すっかりアレクサンドラに自信を失わせていた。