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ドラゴンの背に乗って

(わ、私を美しいかと聞いた時と全然違うのは、一体どういうことなのよ!!)


 アレクサンドラはシュレヌと呼ばれたドラゴンをうっとりと眺めるオシュクルの様子に、わなわなと指先を震わせた。

 シュレヌと他のドラゴンを見比べても、アレクサンドラの目には多少の差異こそあっても、そうそう変わらなく見える。どう考えてもそこには、オシュクルの欲目があるとしか思えない。


「…まあ、その代わり、人を乗せて飛ぶのはあまり上手くは無いのだがな」


「……え」


「やはり容貌が美しい分、体が繊細に出来ているのだな。背に重みがあると、バランスを保って飛ぶことが難しいらしい。元々雌のドラゴンは、雄の個体に比べて馬力も弱いしな」


 オシュクルの言葉に、アレクサンドラはシュレヌの背中に、乗馬の際に用いる鞍のようなものがつけられていることに気が付いた。またその頭にも頭絡がつけられ、長い革の紐が鞍の方に向かって伸びている。

 それを見た瞬間、アレクサンドラは非常に嫌な予感がした。


「シュレヌを美しいと言ったお前なら、まあ大丈夫だろう。…そこで卒倒している侍女は、悪いが連れて行けない。王宮に置いていけ」


 オシュクルは、モルドラ語でシュレヌに向かって何かを囁いた。するとシュレヌはその場に身をかがめて、頭をもたげた。

 オシュクルは、鞍の方に伸びていた紐を引き寄せると、見上げる程のシュレヌの巨体を身軽に上って行く。

 そして鞍へと登ると、アレクサンドラを見下ろしながら不思議そうに首を傾げた。


「何故来ないんだ?登れないのか?登れないのなら、手伝ってやるぞ」


 その言葉に、アレクサンドラは全身からさあっと血の気が引くのを感じた。


「あ、あの、もしかして…もしかして移動は馬車ではなく…」


「当然、シュレヌ達の背に乗せてもらうに決まっているだろう」


 嫌な予感は、的中してしまった。


「シュレヌ達を疲れさせるわけにはいかないので、普段は鍛錬以外では滅多に背になど乗らないのだが、有事の時だけは別でな。協力を頼んで、王宮まで乗せて来て貰ったんだ。モルドラの領土は広く、今私達が移動している土地は、首都カラムからはかなりの距離がある。行き帰りにはどうしてもシュレヌ達の力が必要なんだ」


 ドラゴンに乗って、移動する?

 馬車ではなく?


 それはアレクサンドラにとっては、驚愕の事実であった。

 アレクサンドラは今まで馬にすら跨ったことがない。ルシェルカンドの貴族女性でも乗馬を嗜むものはいるにはいるが、あまり一般的な趣味ではない上に、古い貴族の家には未だ女性が乗馬のような男性的な行為をすることをはしたないとする考え方が残っている。父セゴールは、そのような前代的な考え方に囚われる程頭は固くはなかったが、かといって娘にわざわざ乗馬を奨める程でもなかった。基本体を動かすことを好んでいないアレクサンドラは、一部の家から眉を顰められてでも乗馬をしたいと思うわけでもなく、乗馬どころか馬に触れたこともないまま、今まで生きてきた。

 それなのに、馬どころかいきなりドラゴンに乗るだなんて。いくらアレクサンドラがドラゴンに対して忌避の感情を抱かなかったからと言って、それはあまりにハードルが高すぎた。


「…私には、無理ですっ!!」


 不意に響いた拒絶の声に、アレクサンドラは一瞬無意識のうちに言葉を発していたのかと驚いたが、アレクサンドラの心情を代弁したかのようなその声の主は、後ろに控えていた侍女の一人だった。

 彼女は真っ白な顔で震えながら、アレクサンドラに向かって懇願した。


「傍にいるくらいならまだ耐えられます…けれども、あのような恐ろしい生き物の背になぞ、絶対に跨れません…!!アレクサンドラ様、どうか私もまたここに置いて行って下さいませ!!」


「私も出来ません…ドラゴンに跨って空を駈けるだなんてはしたない行為…アレクサンドラ様。貴女様は昨日、残りたければ残ってもいいと、確かにそうおっしゃいましたよね?どうか、私を王宮に残らせて下さいませ」


「私もどうか、お願いします…!!」


 口々に侍女が異口同音で懇願し、アレクサンドラは唖然と目を見開いた。

 残留を訴えたものは、モルドラの地に同行してきた侍女のほとんど全員で、残ったのは通訳と、最も年配の侍女長、ただ二人きりのみであった。その二人もまた、青ざめた顔をしており、その表情には「不本意」という気持ちが明らかに貼り付けてあった。


「…アレクサンドラ様。いかがなさります?この状況でもなお、遊動の旅に同行されるおつもりですか?」


 正直に言えば、ドラゴンを騎乗することをすっかり臆していたアレクサンドラだったが、苦々しげに告げられた侍女長のこの言葉が、アレクサンドラの負けん気に火をつけた。


「…当然でしょう!!いいのよ。もし無理ならば、貴女達もここに残っても。私は全く気にしないわ・オシュクル様はお優しいから、例え貴女達が職務を放棄したところで、わざわざルシェルカンドの地に告げ口などされないでしょうし。貴女達が王宮に残っても、きっと生活は保障してくれるわ」


 ふん、と馬鹿にするように言い捨てて、アレクサンドラはつかつかとシュレヌへと近づいて行った。完全に勢いだけで出た言葉と行動であった。

 だが意気込んでやって来たは良いものの、その巨体を一体どう登ればいいのか分からない。

 思い切ってその皮膚に触れてみると、つるつるとした鱗の感触が指に伝わった。とても自力で登れるとは思えない。もし無理をすれば、鱗を削いでしまいそうだ。それが引き金になってドラゴンの怒りを買ってしまったらと思うと、とても無理などする気は起きなかった。


「――来い、アレクサンドラ」


 シュレヌの前で途方に暮れているアレクサンドラを見かねて鞍から降りると、アレクサンドラに向かって手を差し伸べて来た。

 アレクサンドラは一瞬躊躇するも、おずおずとオシュクルの手に自身の手を重ねた。


「…きゃっ!!」


 次の瞬間、アレクサンドラの体は宙を浮いた。

 オシュクルはそのままアレクサンドラを引き寄せると、まるで丸太でも担ぎ上げるかのような気安さで、ひょいとアレクサンドラの体を脇に挿んだ。そしてアレクサンドラが自身の身に何が起こっているのか理解できないうちに、オシュクルは器用に片手で紐を掴みながら、するするとドラゴンの上に登って行った。

 アレクサンドラがハッと我に返った頃には、アレクサンドラは鞍の上で、オシュクルの胸に背中を預けていた。


「随分と軽いな、お前は…ちゃんと食べているのか?正直お前が、旅の食事に耐えられるか心配なのだが」


 呆れたように頭上から降ってきた声に、かあっとアレクサンドラの頬が紅潮した。

 背中に密着したオシュクルの胸板が、一層アレクサンドラの羞恥を煽った。


(な、何なのよ、この野蛮人は…!!)


 心臓が煩い。呼吸が荒くなる。

 けれども、こんなに近くにいるのに、オシュクルはそんなアレクサンドラの変化に気が付いていないようだ。それが実に腹立たしい。


「ちょっと…その…いくら夫婦だからと言って、こんなのって…」


「…うむ。どうやら他の者達も乗り込んだようだな。いや、本音を言えば、お前の侍女の数が減ってくれて良かった。雄のドラゴンならば最高で5人くらい乗せられるが、やはり人数が多い方が危険は増すし、何よりドラゴンに負担が掛かるからな。2人乗りくらいがちょうどいい」


(話を聞きなさいよっ!!)


 アレクサンドラが内心で地団太を踏んでも、オシュクルは全く気が付かない。どこまで鈍感なのだろうか。

 オシュクルはゆっくりと一度手を振った。オシュクルの視線の先には、一人地の上で佇む神官の姿があった。

 どうやら彼は、見送りだけのようだ。彼は件のモルドラ人の祈りのポーズをすると、モルドラ語で何かを叫んだ。


「【若き王と、その第一の伴侶に神の祝福あれ】」


「え?」


「神官の言葉を、ルシェルカンドの言葉で訳すればそうなる」


 神の祝福…モルドラにおいて神というのが、ドラゴンのことだというのならば、自分はドラゴンの祝福を祈られているのだろうか。そう考えるとアレクサンドラの心中は複雑だった。確かにドラゴンは思っていた以上に美しく、神々しくも見えなくはないが、それでもルシェルカンドの地で生まれ育ったアレクサンドラには、ただの珍しい生き物にしか思えなかった。そんなドラゴンの祝福が、一体何の役に立つというのだろう。

 異国の宗教観というのは、宗教が異なる人間にとってはどこか珍妙だ。モルドラで過ごしていれば、いつかアレクサンドラも同じ観念を抱くようになるのだろうか。


「さあ、出発するぞ…振り落されないように気をつけろ。ドラゴンから落ちたら、よほど運がよくない限り、まず即死だと思え。馬車から落ちるのとは、高さも早さも全く違うのだから」


「……え?」


「しっかり革ひもを掴んでいろ。どれだけ風圧が掛かったとしても極力手を離すな」


「え?」


「ああ、だが失神する分には別に構わない。寧ろ暴れられない分、そっちの方が楽だ。お前が気絶したら到着まで私が支えてやるから、安心しろ」


「え」




 晴れ渡った、モルドラの青い空の下で、アレクサンドラの絶叫が、尾を引いて木魂する。

 ドラゴンが飛ぶその速度は、アレクサンドラが今まで味わったことがない凄まじい速さだった。


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