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イオ  作者: 籠り虚院蝉
1/4

1.

 こんなことをここにしたためるなんて気が狂ったのかと思われるかもしれないが、わたしには夢があった。小さな頃から憧れていたことだった。水中美術館を作ること――それも、人の手によって作られた造形物ではなく、なんらかの人工知能によって形作られた美というものを、漠然と望んでいた。

 その着想を得たのは、幼い頃両親に連れられてメキシコに旅行に行き、カンクン水中美術館に行ったときだった。子ども用のダイビングスーツに身を包み、ガイドのお手本にならって背中から水に飛び込んだ。潜水した途端、視界には太陽の光が宝石を散りばめられたよう波間にきらめき、それだけで心が躍ったものだ。水中で姿勢を正して海底を見定めれば、そこにあったのは海面よりも目を疑うような幻想的な景色だった。

 無数の岩石――人の形をした彫像を色とりどりの珊瑚やイソギンチャク、貝や藻が住処にしており、ファンタジックとエキゾチックな感が混ざり合ったような不思議な見た目をしていた。波にただよう海藻が背を覆っている彫像はさながら羽衣というのを召した天使のように見え、いかつい珊瑚が覆う彫像は、巌鎧を身にまとったいかにも雄々しい海の戦士だった。あるいは、人類史以前にそこにあった彼らの物語が、たしかに海底に形として残されているようにも思われた。たとえば秦の兵馬俑のような歴史大河の痕跡を思い浮かべれば、おのずとわたしの感動も理解しやすいところとなろう。つまり、そこはわたしにとってすでにファンタジーの世界だったのだ。ただし見た目はグロテスクとも取れるため、苦手な人は苦手だろう。しかし、わたしは幼心にその彫像に心奪われてしまっていた。いつか自分もこんな美しい光景を作り出せたらと思っていた。

 そんなにイマジネーション豊かなら、いっそのこと小説家や脚本家や映画監督やゲームクリエイターになってしまったほうがよかったのではないか、と言われるかもしれない。たしかにその選択肢を選べば、ここまで長い年月をかけて途方のない夢を実現することもなかった。だが、わたしはその夢を空想のまま終わらせたくなかった。必ずこの世界になんらかの形、現実として残したいと思った。海の流れに身を任せ、その水中美術館を充分楽しんでから陸に戻ると、先ほどぽっと出で思いついた夢が地に足着いたようにはっきりしたビジョンになったのだ。

 そうだ、水に知能を持たせて、それで岩を海に沈めて、彼か彼女に、水流によって彫像を製作してもらうというのはどうだろうか。

 我ながら夢のある、とてもいいアイデアだと思った。

 そしてわたしは望みの高校、二浪した大学、一流の大学院という進路をたどり、ついに人工知能を研究する機関の研究者となった。

 とはいえ実現の道のりは容易ではなく、夢を話して賛同してくれた仲間たちとの計画は幾度も頓挫しかけた。子どもの頃の夢を実現するには「水」というのはあまりにも漠然とした対象であったし、美術館を作るにあたってどのように任意の、そして精緻な水流を生み出すかという具体的な発想については、人工知能研究を専門としてきたわたしにとっては馴染みの薄い分野ではあった。そして、もっとも難しかったことが「水」という不定形の有機物にどうやって知能を宿らせるか、ということだった。

 それでも展望がなかったわけではない。たとえば水流に関しては、電気浸透流という流体力学を研究しているオックスフォード大学のエドワード・W・ハーヴィー博士に協力を願った。そして「水」という曖昧な形をとる存在は、そのままの水を用いるわけにはいかなかった。なんらかの特殊な液体を作り出すことでバルクの状態を維持しなければならず、その上で電圧を加える必要があり、これに関してはマイクロボット研究の第一人者であるインドのカルカッタ大学、アルンダティ・トゥグルク博士よりご教授を賜った。また、石の削り出しに水流を用いるというのは非常に時間がかかってしまうし、バルクの状態をどのように保つのかも依然問題があった。そこで、通常は浄水や医療用の消毒薬として用いられるドープダイヤモンドを、導電性ナノダイヤモンドとして「水」に含ませることで、それを研磨剤として扱うことができないかと考えた。実際の水との区別も、界面特性によって膜を貼らずに水中での形態を維持することが可能になった。この点については、日本の慶応大学の野戸春博士よりご協力いただいた。それ以外にもMITやモスクワ大学といった名立たる機関の研究者の方々から厚い協力をいただいた。ここで簡素ながらも謝辞を申し上げたい。

 ここに来てようやく「水」の具体性を明らかにすることができ、わたしの畑である人工知能の導入段階まで研究が進んだが、これに関しては、マイクロボット一体ずつに同様の人工知能を導入し、おのおのの相互作用によって二重の創発効果を期待することにした。いわば、環境からの刺激であるアフォーダンスと、それに対処するという「学習し自ら行動する」といった古典的な人工知能イメージの融合である。

 ここまで簡潔に、わたしが思い描いてきた「水」の構造について述べてきたが、具体的にどのようなイメージとして捉えたらよいのか想像が追いつかない方もいるだろう。「水」は、マイクロボット同士で自由な形態を取りながらシナプスのような三次元ネットワークのパターンを構築し、アメーバのように形を変え水中を漂う「脳」と捉えるとわかりやすいのではないかと思われる。つまり、彫像は人工知能の知的活動から直接作り出されることになるというわけだ。たとえば、fMRIで人間の脳の活動を転写すると、活発に思考している際にざわざわと脳全体が波立つような反応を示す。このとき、「波立つ」という現象を「水」に当てはめたときの「水流」と考えると、より理解しやすいのではないだろうか。すると不思議なことに、「美」というものが人工知能の脳内で作り出され、彫像を製作する過程でそれを同時に実体化するという、おもしろい構図があることに気づくだろう。この点に関しては、すでに他の人工知能や脳科学分野の研究者によって研究対象となっていることである。

 科学者諸氏の期待するところであるパターンの総数に関しては、「水」内で形成される(マクロ)パターン及び、異なる(ミクロ)パターン同士の組み合わせも考慮すると、星の数ほど存在すると言っても過言ではない。人工知能としてどれほど学習することができるのかといった点についてはまだ明らかとなっていないが、最終的に人間以上の知能を持った存在となることは間違いないと推測している。

 すでに各所で物議を醸し出しているこの「水」であるが、学術名称を「Intelligence Organism」と正式に命名し、その第一号として学術名の頭文字を取り、愛称を「イオ」としたい。先述した物議というのは、とくにこの愛称についての状況であるが、これはチームリーダーの権限として、そして、この世界のどこかに建築されるまったく新しい美術館で、人々からぜひ愛着を持っていただきたいがためのわたしきってのお願いである。

 むろん、イオについてさらなる研究は続けられていくべきであるし、発表した論文からまったく新しい人工知能を作り出すのも自由であるが、ひとつ申し上げておきたいのは、それが許されるのはイオ自身の判断に適った場合のみとしたい。通常は美術館で彫像を製作しているし、チームとしてもさらなる研究は重ねていくので、実質的には美術館兼研究所という体裁になると思われる。イオの判断に適った場合には、わたしたちのチームと研究所を共有してもらうことになるが、これは創造した者の当然の権利として、どうかご納得いただきたい。

 以上。

          SAIL AIシミュレーション研究チームリーダー

                           デビー・D・ウィショー


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